安波茶ポケット (浦添市経塚・沢岻)                      2006年11月撮影

 昭和20年5月6日から第1海兵師団第5海兵連隊は安波茶と沢岻の間、小湾川の流れる渓谷地域で日本軍の激しい抵抗に遭遇した。海兵隊はこの小湾川流域一帯地域を「安波茶ポケット」(Awacha-pocket)と称し、5月12日に制するまで多数の死傷者を生じている。写真を見てもわかるように複雑かつ急峻な地形のため戦車と歩兵の協同・連携が非常に取りにくく、戦車などは一度渓谷に降りてしまうと歩兵部隊の位置を見失ったり、位置を確認してもその場所にたどり着く道を探し得なかったりしたために歩兵だけで攻撃を開始して大きな損害を出す結果となった。また写真に見える稜線上は海兵隊の担任地域ではなく、米陸軍第77師団の担任する地域であったために、その背後や側面から攻撃することが困難であったために待ち構える日本軍陣地に対して正面攻撃を挑むこととなった。対する日本軍は独立歩兵第23大隊・独立機関銃第14大隊などが稜線上や崖に巧みに陣地を構築し、小湾川を渡ってくる米軍を的確に射撃、数次にわたる米軍の攻撃をその度に撃退している。
 現在は深い緑に被われて、戦時下のような荒々しい岩はほとんど確認できないが、急峻な地形からか今でも開発の手を拒んでいるようだ。