安波茶ポケットの日本軍掃討 (浦添市経塚・沢岻) 2006年11月撮影
昭和20年5月10日撮影の写真とされている安波茶ポケットの攻撃である。ところが大きな疑問が残る。当日第5海兵連隊第1大隊が午前8時から攻撃前進したが、このとき戦車部隊は合流できずに歩兵単独(A中隊先頭の縦隊攻撃)の攻撃となっている。進撃開始後45分で日本軍と遭遇して混戦に陥り、その後戦車が合流したが、この戦車(火焔放射器装備の戦車ではない)は攻撃に使用することはなく、戦死者・戦傷者の搬送に使用したとある。結局第1大隊はこの日1700に撤退命令が下達されて攻撃開始線まで後退することになった。写真に見える火炎放射器を装備した戦車は記録によれば、第2大隊正面に12両が投入されており、第1大隊に正面に投入した記録がない。この写真の地区へは翌5月11日に再度第1大隊が攻撃して奥に見える稜線に到達、その後斜面に潜む日本軍陣地を掃討した記録が残されている。したがって、この写真は「5月11日」のものではないかと考えるのである。 本来の撮影ポイントは現在の写真の撮影ポイントの右へ50mくらいのところではないかと思われたが、現在は事業所の敷地内であり、撮影方向も遮られていたためにこの場所からの撮影とした。この渓谷は宅地化されず、農地と若干の事業所などからなり、戦時の写真の面影を色濃く残している。 |