昭和20年5月10日の安波茶地区(現在の住所では浦添市経塚・沢岻となっている)の戦闘の写真である。この低地部一帯を米軍は安波茶ポケットと呼称しており、それまで沖縄本島北部地区で比較的楽な戦闘を遂行してきた第1海兵師団第5海兵連隊にとっては南部に転進して初めての激しい戦闘であった。5月10日の米軍の砲撃は米軍兵士の手記にも記載されており、彼ら自身が驚くような空地一体の砲撃であったとされる。この写真は砲撃場所から考えて、第5海兵連隊第2大隊であると思われ、恐らくはこの写真を撮影したカメラマン自身もその凄まじさにシャッターを切ったのであろう。写真では全域に砲弾が撃ち込まれており、攻撃準備射撃の様子であろうと思われ午前8時以前のものである。当日の攻撃開始は0800と記録が残されており、写真の兵士の影からもそれが裏付けられる。
撮影ポイントはほぼ同位置であるが、現在は木々が生い茂り地面近くからの撮影ができなかったので、その場の高い位置から撮影している。手前の建物は浦添工業高校であり、奥の稜線は右に流れると沢岻高地となる。現在の写真では戦時下の写真に見られる弓状の稜線の位置が判別しにくいため、その稜線を示した写真を右に掲載した。 |