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シネマチャオ 肩の荷下りた

2007年11月15日

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映写機の前に立つ「シネマチャオ」の島田映一社長。上映が始まると、スクリーンを見て映り具合をチェックする=長岡市要町1丁目で

 「責任を果たせた」――。長岡市の信濃川西岸の大型店隣に23日、シネマコンプレックス(シネコン=複合映画館)ができるのを前に、同市要町1丁目で映画館「長岡シネマチャオ」を運営してきた島田映一さん(58)は語る。長岡から映画館をなくしてはならない。自宅がある新潟市との間で二重生活をしながら4年間奔走してきた。シネコンの誕生を歓迎する一方で、今、自館について、休館を含め、今後の運営方法を考えている。

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 シネマチャオは、映画好きの市民11人が、経営が悪化し、撤退した映画館を買い取り、00年6月に誕生させた。しかし、三条市にシネコンがあることも影響して、厳しい経営が続いた。

 島田さんが館を引き継いだのは03年11月。学校や映画館のない街で、映写会や試写会などをする新潟市の配給会社の社長をしていたことから、知り合いだった先代の社長に声をかけられた。50歳を過ぎ、自分の経験や知識を生かして、地域に何か恩返しできればと考え始めていた時期だった。

 「県内第2の街を映画館の空白地域にしたくなかった。当時から、2年後くらいにシネコンができるという話はあった。それまでやれればと思っていた」。長岡市内にアパートを借り、新潟市との二重生活をしながら、経営にあたった。

 やり繰りに知恵をしぼった。運営スタッフは受付や映写技師など島田さんを入れて4人に減らした。人件費がかかるレイトショーはほとんどやらない。他県の閉館した映画館から、まだ新しい座席や映写機を安価で譲り受け、自分たちで取り付けた。音響は大手のシネコンに引けを取らない。

 一方で、頻繁に館に足を運んでもらいたいと、中学生以下や留学生の料金を1千円とするなど割引も充実させた。どの映画館でも封切られるものだけでなく、あまり知られていなくても島田さん自身が薦められる作品を多く上映した。

 シネマチャオでしか見られない名作を目当てに、新潟市や長野県など遠方から来る客もいた。

 「赤字が続いたら閉めてもいいという条件で引き受けたが、今まで何とかやってこられた」

 シネコンの開業が近づいた今、島田さんは「肩の荷が下りた」。長岡の映画文化を引き継ぐ新たな担い手としてのシネコンの誕生を喜んでいる。

 ただ、開業となれば、「シネコンとシネマチャオではゾウとアリのようなもの」。自館は今までと同じような経営はできない。とは言え、こつこつと手作りで作り上げた設備はまだ使える。

 「上映したいと思う作品がある時だけ、開館する。そんな方法もあるかな。しばらく休館してゆっくり考えようか」。今まで支えてくれた仲間と相談するつもりだ。

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