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激務、訴訟…産科医が消えていく出産の取り扱いを中止する病院が後を絶たない。産科医が不足する背景には、勤務医の激務や訴訟リスクの高さなどがある。現場の医師からは、「このままでは、お産の現場が崩壊してしまう」と悲鳴が聞かれる。(小林篤子) 36時間勤務が月6、7回「あまりの激務に、若手勤務医が燃え尽きてしまう」。埼玉県の川口市立医療センターの栃木武一副院長は危機感をあらわにする。 新生児集中治療室(NICU)が整備され、地域周産期母子医療センターに指定されている同病院には、切迫早産や多胎妊娠など、県内外からハイリスクの妊婦が集まる。60歳の栃木副院長も連続36時間勤務の当直を月4、5回こなす。若手なら月6、7回。当直以外にも、月に数回、未明に応援で呼び出される。 ここ数年、近隣の病院や診療所の産科休止が相次いだ。そのあおりで、同病院の出産取扱件数は前年度(700件)の2割増は確実だ。妊婦の救急搬送の受け入れ拒否が問題になっているが、栃木医師は「現場は限界ぎりぎり。拒否でも、たらい回しでもなく、受け入れ“不可能”なんです」と語気を強める。 日本産婦人科医会によると、勤務医の当直回数は2006年度は月平均6・3回で、6年前(4・7回)に比べ約3割増えた。小児科や外科など他科に比べても多く、当直明けで通常勤務という病院が9割超だ。 突出する提訴件数訴訟リスクも、医師が産科を敬遠する要因の一つ。最高裁によると、04年の医療訴訟の提訴件数は計1140件で、97年に比べてほぼ倍増。科別で医師1000人あたりに換算すると、産科は12・4件。外科(10・9件)や内科(3・8件)を上回り最も多い。関係者は、「『お産は病気ではなく、安全なもの』という神話があり、結果が悪かった時に訴訟になりやすい」と打ち明ける。 追い打ちをかけたのが、福島県立大野病院の産科医(40)が帝王切開の手術中のミスで妊婦を死亡させたとして、06年に業務上過失致死罪などで逮捕・起訴された事件(1審公判中)だった。横浜市立大医学部の平原史樹教授は、「産婦人科を希望していた学生が、『あんなにリスクの高い科に行くな』と、親に反対されて希望を変えるケースもある」と話す。 国は、通常の妊娠出産で子どもに脳性マヒなどの障害が残った場合、医師の過失がなくても被害者に速やかに補償する「無過失補償制度」の来年度からの導入を目指す。今回の全国調査でも、14都府県が無過失補償制度の導入を要望した。 女医支援女性医師の割合が急増していることも、勤務医不足に拍車をかける。産婦人科全体に占める女性医師の割合は、41歳以下で半数を超え、ここ数年の新人では3分の2以上。働き盛りの30歳代で出産、育児と重なるため、当直回数が多く、多忙を極める病院勤務から離れざるを得ない人も多い。 院内託児施設の設置や、当直なしの日勤ダイヤで回すなど、復職支援を行っている病院もあるが、まだまだ少数。北里大医学部の海野信也教授は、「あと10年すれば、勤務医の半数が女性になる。女性医師支援は待ったなしだ」と語る。 「数増やせ」厚生労働省は従来、「偏在はあるが、医師不足はない」という立場をとっていたが、同省の「医師の需給に関する検討会」は昨年7月、診療科や地域によっては医師不足が問題になっているとする報告書をまとめた。医療施設で働く医師総数が毎年約4000人増える中で産婦人科医は減少しており、対策として、医療機関の集約化や助産師の活用などを提言している。 「誰が日本の医療を殺すのか」(洋泉社)の著者で、済生会栗橋病院(埼玉県)副院長の本田宏医師は、「産科のみならず、全国の7割近い病院が医師不足に陥っている。国の医療費抑制政策と医師数制限が、現在の医療崩壊を招いた。働き盛りの勤務医がどんどん現場を去っており、このままでは医療の質と安全を保てない」と話し、医師数の増加を提唱している。 医師不足の実態直視を産科医を絶滅危惧(きぐ)種のパンダに例えた創作話が、ネット上で話題になっている。連日連夜の芸や重労働を強いられ、疲れ果てて白クマに姿を変えたり、動物園から逃げ出したりして最後は一匹もいなくなるというストーリーだ。 現場の医師は、厳しい環境でぎりぎりの労働を強いられている。「心が折れそうになることがある」と、ある勤務医。救急搬送拒否を批判するのではなく、背景にある医師不足の実態に目を向けなければ、産科医療は本当に崩壊してしまうだろう。 自治体 つなぎとめに躍起産科医不足に対応するため、多くの自治体が、産婦人科を目指す研修医や医学生を対象にした貸付金制度などを導入している。だが、医師の育成には時間がかかる。妊婦の受け入れ拒否が相次ぐ非常事態の中、喫緊の課題は、現在、お産の現場で働いている医師をいかにつなぎとめるかだ。 栃木県は今年度から、切迫早産や帝王切開など、ハイリスクの妊婦の出産を受け入れた病院に、出産1件あたり1万円を県費で補助する事業を始めた。予算は年間約2300万円。救急搬送などの対応で忙しい現場の医師への手当増額に結びつけるのが目的だ。 医師の負担軽減策としては、静岡県が今年度、産婦人科医師の事務を補助する「医療クラーク」を病院が雇用した場合、人件費の半額を補助する制度を始めた。利用しているのは5病院。県の担当者は「待遇を少しでも良くすることで、産科の勤務医の離職防止につなげたい」と話す。 開業医との連携を模索する動きもある。仙台市では、検診は近所の診療所、出産は病院で行う「仙台セミオープンシステム」を導入。共通診療ノートを発行、診療所と病院で情報を共有した上で、時間外や緊急時の対応は病院が行う。 女性医師の復職支援策では、神奈川県、山口県、大阪府などが今年度から、出産、育児などで第一線を離れた人に、公費で2〜6か月程度の技能研修を行う制度を始めた。だが、希望者は今のところゼロ。神奈川県の担当者は「働き盛りで退職した女性医師に何とか復職してもらいたいが、今後は、希望者の掘り起こしも必要になる」と話す。 (2007年11月15日 読売新聞)
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