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【暮らし】医師不足 外科でも 勤務医ルポ2007年11月15日 「十年後、手術ができる病院はどれだけ残るのか」−。外科医たちの間で、こんな不安の声が高まっている。過重労働、訴訟リスクなどから、医師の卵たちの「外科離れ」が進む一方、勤務医生活に疲れ果てて開業するベテランも増えているためだ。勤務医不足は小児科や産科だけの問題ではない。名古屋市中村区、名古屋第一赤十字病院の若手外科医の一日を紹介し、望ましい外科医療のあり方を考えてみたい。 (安藤明夫) 「では始めます」 午前九時半。術者の大森健治さん(32)が手術開始を告げた。 手術台には、全身麻酔をされた高齢の男性患者。大腸の上行(じょうこう)結腸に進行がんが見つかっている。患部周辺の腸管とリンパ節を切除する手術だ。 向かい側には、手術の第一助手を務める三宅秀夫さん(43)=第一外科副部長。その右脇に第二助手の女性研修医。患者の心拍数、血圧などを示す計器の前に麻酔医が座り、看護師たちが手術台の周囲をてきぱきと動く。 電気メスが腹膜を切り開き、生命の営みを支える臓器が見えてきた。三宅さんが腸管を手に取り、切除の仕方を大森さんにアドバイス。メスが血管に差し掛かると、大森さんが鉗子(かんし)でつまみ、三宅さんが縫合。研修医が出血を吸引する。手際のいいチームプレーだ。 開始から約一時間半後、リンパ節を含めて大きく切除した患部が取り出された。 午後一時すぎ。手術を終えた大森さんは昼食も取らず、切除した組織を標本室で点検していた。腸の壁に食い込んだがん細胞の深さ、リンパ節での増殖度を見ることで、転移の可能性を測るためだ。 医師になって八年目。「まだまだ毎日が勉強です。早く肝臓などの難しい手術をできるようになりたいです」と大森さん。この日は当直。標本整理の後は、入院中の受け持ち患者を見回り、夕方になってようやくひと息ついた。夜は、たまっていた書類仕事を片づける。腹部損傷などの患者が搬入されてくれば、待機メンバーを呼び出し緊急手術だ。 普段の日も、若手の大森さんは一日に十三時間以上、病院にいることが多い。休みは月に六日前後。同病院の外科は常勤医九人。このチームで分担し、午前に二つ、午後に二つの手術をこなすのが日常だ。時に、朝から夕方までかかる難手術も入る。 それでも、二十代のころにいた地方の病院に比べれば、肉体的にも精神的にも楽だという。午前中から手術できる体制があるので、夜までずれ込むことが少ない。麻酔医も充実している。ベテラン医師が助手について、若手を指導する体制も確立されていて、安全性を損なうことなく、技術を磨くことができる。 外科は医療訴訟が多いことも若手が敬遠する一因だが「それは意識したことがないです。ぼくたちは、患者さんの不利益になることはしないのだから」と、プロ意識を見せた。 第三外科部長の竹内英司さん(45)は「手術によって患者さんの病気が良くなるのを見るのが、私たちの最大の喜び。使命感がないとできない仕事です。そのためには、若手に責任が与えられ、やりがいを持てるチーム、ベテランが燃え尽きないチームが大事です」と語る。だが、それだけのマンパワーがある病院は限られているのが現状だ。 翌日の午前十時。大森さんは再び手術室にいた。この日は肝臓がんの手術の第二助手だ。前夜は緊急事態はなかったものの、睡眠は短時間。「大丈夫です。慣れっこですから」と笑った。
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