ブラックバス、ブルーギルについて

 ここでは今回の調査の対象となるブラックバス、ブルーギルの生態や日本に生息するようになった理由、歴史などをとりあげる。
また琵琶湖と外来魚の歴史も年表にまとめてみた


ブラックバス

琵琶湖で釣ったブラックバス

ブラックバスの基本データ

種類

適水温

生息場所

ラージマウスバス

4度〜30

湖、池、川、沼、ダムなどの流れのゆるやかな場所

スモールマウスバス

0度〜28

湖(野尻湖、桧原湖など)

*簡潔にまとめるとこのようになる。
                            (今回の調査は、ラージマウスバスのみ。)
 
 ブラックバスはサンフィッシュ科の魚で本来、北アメリカに生息し、他魚を捕食し45〜70センチまでに成長する。また、環境適応能力が非常に高く、そのため日本の湖、河川、沼などに定着した。また、ブラックバスの繁殖方法はオスが円形の巣をつくりそこにメスが卵を産み、さらに、その卵をオスが守るという産卵形式なので爆発的に増えたと考えられる。ブラックバスの日本での1年の おおまかな動きは、

春  産卵のため流れの緩やかな浅場へ上がってくる。
夏  産卵に使った体力回復のため、また水温上昇により活発にエサを追うようになる。
秋  冬に備えたくさんのエサを捕食する。
冬  なるだけ水温の変化が少ない深場にとどまり、ほとんど動かない。

 日本に持ち込まれたのは1925年、財閥御曹司の実業家、赤星鉄馬の手によってカリフォルニア州より芦ノ湖へ放流された。スモールマウスバスも含まれていたが、環境が合わず、定着しなかったようだ。目的は「公益」であった。害魚論は出ていたが、当時は、水産業発達のためにたくさんの外来魚が持ち込まれた時期でもあったのであまり重要視されなかったようである。その後ブラックバスはルアーフィッシングの絶好の対象物になり各地に密放流されインフルエンザのごとく広がった。その結果、現在に至ったのである。現在琵琶湖には500トンものブラックバスが生息しているらしい。(琵琶湖博物館情報)

ブルーギル

琵琶湖で釣ったブルーギル

ブルーギルの基本データ

種類

適水温

生息場所

ブルーギル

4度〜30

湖、池、川、沼、ダムなどの流れのゆるやかな場所

ブルーギルも同じくサンフィッシュ科の魚で本来、北アメリカに生息し、他魚、昆虫、プランクトンなど口に入るものなら何でも捕食して20〜30センチにまで成長する。また、ブラックバスと同じく環境適応能力が非常に高く、そのため日本の湖、河川、沼などに定着した。ブルーギルもブラックバス同じような繁殖方法をとる。ブルーギルの1年のおおまかな動きは

春  産卵に備え浅場に上がってくる。
夏  産卵に使った体力回復のため、また水温上昇により活発にエサを追うようになる。
秋  冬に備えたくさんのエサを捕食する
冬  あまり深場には落ちない傾向があるが基本的にはほとんど動かない。

      

 1960年、皇太子殿下(現在の平成天皇)←(「今上天皇」が正しい表記でした。ご指摘どうもありがとうございます)は訪米の際、事前に注文していた4種類の魚をシカゴ市長より贈られた。その1種類こそ現在問題となり騒がれているブルーギルであったのだ。ブルーギルが含まれていたのは偶然ではなく、皇太子自ら「非常に釣りやすい魚で、また丈夫であるので都会の子供たちに釣りを楽しませるのに最適である。」と考えたためである。これらを淡水水区産研究所に贈呈し、御所の池へも放流した。淡水区水産研は、淡水真珠の幼生の寄種魚としての活用に着目し、繁殖させた。それらを今度は滋賀県に分与した。1965年にはブルーギルを、大阪府淡水試に分与されここから全国各水試、養殖業者に配布されたのである。同年、琵琶湖でブルーギル初確認(西の湖周辺)。これは滋賀県が管理していた施設から逃げだしたものと思われる。なぜなら、西の湖は真珠棚がたくさんあり、淡水真珠の栽培がさかんであるからだ。こうして増えたブルーギルはブラックバスのエサとして一緒に密放流され全国各地に広まったのである。現在琵琶湖には2500トンものブルーギルが生息しているらしい。(琵琶湖博物館情報)

ブラックバスとブルーギルの上陸から現在

1925 ブラックバス日本上陸。理由は実業家・赤星鉄馬が米国カリフォルニア州よりブラックバスを食用目的で持ち帰り芦ノ湖へ放流したこと。
1936
ブラックバスの分布は5県になる。
1945 ルアーフィッシング流行の兆し。
1960 ブルーギル日本上陸。理由は皇太子殿下が日米修好百年記念式典で訪米の際、シカゴ市長から譲り受けたこと。          
1963 淡水真珠のグロキジウム幼生の寄種魚として着目しブルーギル1400匹を滋賀県水試に分与した。
1965 西の湖付近(琵琶湖最大の内湖)でブルーギル初確認。養殖場から逃げ出したものと思われる。
1970 第一次ルアー・フィッシングブーム起こる。マナーのない釣り人のゲリラ放流(無差別放流)が各地で行われる。
1972 釣り具輸入業者によって米国ブラックバス(ラージマウスバス)の稚魚が芦ノ湖に移植。このときの一部が関西方面に運ばれた。その後の西日本の水域におけるバスの源となった。琵琶湖に移植されたのもこの頃である。
1974 ブラックバスの分布は23都府県となる。
1974 琵琶湖でブラックバス確認
1975 全国各地の湖にブラックバスが広まり、ブラックバスの放流は違法行為であるという認識が深まる。
1979 漁業被害(琵琶湖)深刻化。ブラックバスの分布は40府県、ブルーギルは9府県になった。その後ブラックバスの分布とともにブルーギルの分布が急速に広がった。
1988 ブラックバスの分布は45都府県になった。
1994 琵琶湖の漁師が外来魚駆除に乗り出す。漁協などにバサーからブラックバスを駆除することに対して非難。
1999 滋賀県、年間5500万円の予算を新たに投じ、外来魚駆除(とくに増えすぎたブルーギル)を本格化
2003 外来魚リリース禁止条例が発表。多くの釣り愛好家がショックを受ける

参照:琵琶湖博物館展示板

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