元プロ野球西鉄ライオンズの投手で「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた稲尾和久氏が亡くなった。七十歳だった。
一九五八年の巨人との日本シリーズで三連敗し絶体絶命のチームに奇跡が起こり大逆転。原動力になったのが稲尾投手だ。連投に次ぐ連投で一人で四勝、うち一試合はサヨナラ本塁打だ。ファンが神様…と言うはずだ。
絶妙のコントロール、打者との駆け引きのうまさはどこで生まれたのか。自伝「鉄腕一代」は「別府湾の海の色や波の音が投手人生をつくった」と記す。小学二年から毎日放課後、一本釣りを生業とする父親の和船に乗り、櫓(ろ)をこいだ。足腰が強くなった。
中学の野球部では何と捕手だった。やはり海が鍛えてくれた。父親と沖に出て一息つくと中腰になって浜辺で拾ってきた石を遠くへ投げた。「一日一日、肩の力が強くなっていくのが分かった」と。
投手としての芽生えは高校一年夏だ。監督の「明日から投手をやれ」の一言でマウンドに。エースで四番。多くのスカウトが来る中、父親の「大阪は遠い。ワシの船では行けん」で西鉄入り。通算二百七十六勝もしたが謙虚だった。父親の「稲尾の稲は“実るほどこうべを垂れる”の稲だ」の教えが効いたのか。
評論家広岡達朗氏は「汚い投球は一切なかった。正々堂々と勝負をしてきた」と言う。この言葉こそ投手人生最大の勝ち星といえる。