■今の日本への助言でもある・・・寿多有先生の言葉
クロマグロ、米「3―5年漁獲停止を」・国際委総会で提案へ
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20071109AT3S0800G08112007.html
(日経)
米政府はクロマグロの乱獲を防ぐため、東大西洋と地中海で3―5年間、漁獲を停止する「モラトリアム」を提案する。すしや刺し身のトロに使われるクロマグロへの需要は世界的に急伸し、資源の確保には漁獲枠の設定など従来の手法だけでは不十分と判断した。欧州や日本、北アフリカの諸国が反発するのは確実だが、マグロ漁への新たな逆風となる。
|
こういうのがあると、どうも新米反米論とかでくくられるのでありますが
北鮮問題にしても、対中問題にしても、慰安婦決議にしても、
「親」か「反」かで同盟国を語ろうとするのは
なんとも危うい話でありまして、
対テロ・・・国際感覚とのずれ
http://ameblo.jp/disclo/entry-10055133682.html
で言いたかったのは、我が国の微妙に足らぬ点についてです。
助言についてですが、
シカゴ大学に日本講座を作られた人類学者のフレデリック・スタール博士。
単なる日本通程度の毛唐に助言されるとかちんともくるものですが
博士は本当の知日家であり、最後は昭和八年、東京の聖路加病院でなくなられました。
米排日移民法議会上程の際には、なんとも頼りない我が国に代わって
「日本人だけを差別する移民法は、人道を無視するものである。
しかも関東大震災後、日本が困っている時にこのような法律を
制定することは、米国の建国精神に反する」
として徹底反対しました。
で博士はその「微妙に我が国に足らぬもの」・・・というか
「微妙に勘違いしているもの」を喝破警鐘されています。
↓
昭和五年、東京中央放送局ラジオでの博士の講演
「去るに臨みて・親愛なる日本国民諸君へ」
■日本は外交で譲歩するなかれ
日本は今や過去の孤立鎖国の域を脱して、世界の列強の一つとなった。日本は世界の進歩発達に際して真のリーダーとなるべき幾多の機会を有したが、勇気と確信を欠きたるためにしばしば絶好の機会を失ったことは痛嘆の至りである。
日本はこの大責任を果たさんためには高遠の理想と、高尚なる目的と、確乎不抜の決断、特別の智慧を有たねばならぬ。今日何れの国家と雖も利他的なものはない。またこれを期待することは愚である。日本は国際親善の精神と正義の観念とを持って、自主的見地から勇往邁進せば、反って世界の尊敬を受け自然のリーダーとして立つことが出来ると信ずる。
~~
日本は1895年の日清戦争以来、常に外国の圧迫に対して譲歩に譲歩を重ねてきた。日本は他国の要求及び意思に従はんとして常に国家の重大事に関して譲歩したのである。
私は日本の譲歩の動機は国際協調及び国際親善のために寛大なる態度に出でたのであろうと信ずる。しかしながら、かかる政策が繰り返されたならば、外国はこれを目して日本は国際親善の目的に非ずして、むしろ自己の行為または判断の不当を容認せるか、然らざれば卑怯に基因せるものなりと誤解し、その結果、日本を軽蔑するようになって来るのである。
斯様に推移して行くならば、日本は将来必ずや国権を主張せねばならぬ機が到来するであろう。然しながらその時は、日本の主張が有効となるにはあまりに遅過ぎるのは遺憾である。要するに日本の諺に「後悔先に立たず」という名言がある。
今これを例証せんとせば、米国の排日移民法通過の際の日本の態度の如きはその適例である。日本政府当局者は何故に日本国民の名誉のために、且つ正義人道のために、正々堂々と日本の正当の主張をなさなかったか。米国との親善を希望して米国に遠慮し、最後まで日本の主張を率直に米国民に披瀝しなかった故に、反って不幸なる結果を招来したのである。
日本はワシントン会議に於いて日本の国防上多大なる犠牲を払って大譲歩を為した。国際関係においては国家と国家の間は対等であらねばならぬ。然るに日本は何故にワシントン会議に於いて、自ら進んで世界列国環視の前で、巨艦に於て対英米六割の比率を承認して自国の劣等なることを制定する条約に調印したのであるか。
~~
親愛なる日本国民諸君、今や日本を去るに臨んで諸君に希望する。諸君は光輝ある日本帝国の伝統を基礎にして、日本国民の美徳を涵養せられ、日本文明の精華を発揮するとともに、米国及び世界から多くの長所美点を採用し、以って日本をして東亜に於てのみならず、太平洋時代に於ける真の世界的リーダーたらしむべく努力せられんことを切望してやまない。
(笠井重治氏訳)
世界から見た大東亜戦争(名越二荒之助編)より
|
知日とはまさにこういう視点を持てる人のことを言うのであって
何が日本の、良くも悪くも危うさなのであるのかを見抜いておられたわけです。
博士が警告されたように、その後、「国権を主張する」機があったわけですが
時すでに遅し。
もし博士の助言のように国際社会に於いて振舞うことが出来たなら
アジア解放の一大事業はその経緯を異なる形で運んだかもしれません。
で現代、現在でありますが
未だ博士の助言は生かされていないようです。
ちなみに、上記の東京中央放送講演(昭和5年10月19日)の前段、
博士は当時の軽薄なる時代風潮に対し以下のように語られました。
日本に美しい文化伝統があるにも拘わらず、外国との接触によって、三文の価値も無いものを輸入して喜んでいる。日本婦人は典雅にして謙虚の美風を忘れ、もっとも下卑た米国婦人の真似をして粗野に流れつつある。青年男児は日露戦争の如き剛気勇武の風を失って、柔弱に流れている
|
満州事変勃発の一年前でありました。
ぐうの音もでません。
・・・って、今と同じような雰囲気です。
で何が言いたいのかと言うと、
日米関係を語るに、我が国が強く主張が出来ないのは
CIAとか国際資本とか色々な陰謀的原因
(実際そういうのもありますが)
に逃げて、自己の原因を省みないところにあるように思います。
六カ国協議において、各国協調を強調して、我が国の強い拉致問題解決の
意思表示を後退させようとする与党執行部の動きがありますので
寿多有博士の至言を思い出しました。
ちなみに寿多有というのは、スタール博士がご自身で付けられた当て字だそうです。
■無題
石根さん
怪我を押してのエントリーありがとうございます
これは達見ですね
日本人はあまりにも社会性が内向きすぎるというか
自分たちの社会性がそのまま普遍のものとして
認識するところがありますね
だから遠慮してしまう
ただそういう気質的なものというのは
教育でなんとかなるものだとも思うので
これからの子供たちにはこういう精神を伝えて
いきたいですね
そのためには大人がそれを率先垂範できるようにならないと