流れの真実 2
テーマ:麻雀「流れ」という言葉を一番つかうスポーツと言えば、野球中継。解説者、アナウンサー、選手のコメント等いたるところにでてくる。
今日も夜スポーツニュースを見ていると、ワールドシリーズで勝利投手となった松坂が「流れ」という言葉を、試合後の記者会見で使っていた。
野球界ではあたりまえのように使われる「流れ」という言葉。なぜ麻雀界では神経過敏にうけとられるのか?
一つ視点を変えて考える。今日のスポーツニュースでの種目別で考える。野球、サッカー、フィギュアスケート、格闘技、マラソン。
「流れ」という言葉を聞くスポーツは二つ。野球とサッカー。特に野球。なぜか?麻雀との共通項を考える。それは、作戦、戦術面、選手交代において、人の意思でさまざまな選択が行われること。そしてその選択がさまざまな結果をひきおこす為だと考える。
スケート、格闘技、マラソンなどは選手個々の力量がそのまま結果に表れるのが大半である。だから「流れ」の介入する余地がほとんどない。もちろんあるが目立たない。
団体競技と個人競技という観点から言うと、麻雀は個人なんじゃないとおもわれるかもしれない。でもちがうんですよ。わかりやすくいえば、牌が選手で打ち手が監督みたいな感じになるのかな。
「流れ」がないと思うひとに考えてもらいたい。野球中継で解説者が「流れ」という言葉を使った時、「でもそんなの関係ねえ」っていわないでしょ。ふつうにうけいれてませんか?
今日はこのへんで。
■野球⇔麻雀
野球における『流れ』というのは、観戦する人に向けた演出であり、野球を楽しんでもらう為のものです。
その内実はただの結果論(またはその前フリ)ですが、『野球に関する技術的知識があまりなくても、野球について良く知っているかのような錯覚を起こさせる』という効果があります。(観戦者も解説者も)
野球関連のメディアでは『流れ論に突っ込んではいけない』という暗黙のルールがあるようですが、麻雀ではそのルールが(ここ10年ほどで)崩壊してしまったようです。