2.研究
最新論文 「有機農業と循環型社会について」(『香川大学経済論叢』第80巻第3号)
先週の土曜日、狭い庭の木の剪定作業をしていた。そこに、チョクさんが通りかかった。
チョクさん:安井さん、どうですか。
安井:いやいや、チョクさんこそ、元気ですか。
チョクさん:私は、趣味としてはスポーツが中心だから、こんなになると、困るんだよ。
安井:いまは、どうリハビリしているのですか。
チョクさん:安井さんの家の通りは、ベンチがないので、あまり来なくて、団地の反対側の公園の方によく行くんですよ。
前に、一度自宅の前で会ったことがあり、その時も話したが、その時は、介護の人が後から見守っていた。いまは、杖は使っていてゆっくりだけど、自分一人で歩き、リハビリに頑張っている。
そして、話し方も、教師の頃に比べればゆっくりだけど、しっかりした口調になっていた。学部は違う先生だったけど、(公務員宿舎の隣の同じ団地に住んでいることもあって)テニスなどを一緒にやったこともあり、その彼の元気な様子をみて、本当に、本当にうれしかった。
チョクさんが脳出血かなんかになったのは、63歳の定年より前だった。病気になってすぐ大学を辞めたわけではなかったが、最終的には、定年より前に退職された。そして、懸命にリハビリに取り組んでいる。
私の母親も、同じように脳出血で左半身が不随になった。チョクさんと同様に、リハビリをやって、少し回復してきた。話すことについていえば、病気になる前と変わらないほどの状態になった。ただ、左半身の不随は回復していないので、チョクさんのように杖で、自分一人で外に行くというようなことはできない。兄貴夫婦の介護が大前提となっている。
私のお袋とチョクさんでは、20歳位は違うので、リハビリの効果も違うかなという気がする。チョクさんは、早くリハビリを決断をして(それに、おそらく、奥さんの強力な支えもあって)、いまのような状態に戻してきたのではないかと思う。
私は母親似で、血圧が高い。降下剤を毎朝飲んでいるし、毎朝血圧測定をやっている。いまのところ、上は120台で、下が70台だから、まあいいのではないかと思っているが、どこかでは、「俺の脳の血管も切れることがあるかなあ」と心配をしながら、人生を送っているわけである。60歳を過ぎて、どこも異常がないという方が普通じゃないから、この程度なら、よしとしなければなるまい。
もしいま脳出血になって、半身不随になったら、来年の3月で退職し、リハビリということになろう。その時、いまの規定では(「1年前に申し出ろ」ということになっているから)、定年退職扱いにはならない。35年勤務し、香川大学だけでも29年勤務して、自己都合による退職という扱いになり、退職金が通常の形ではもらえなくなる。
自分だけのことではなく、親の介護ということも考えるなら、人間、60歳前後になったら、何が起こるかわからない。若いときは、自分にもそんなことがやってくるとは思えないものだが、やってくるものはやってくるのだ。
だから、私は、60歳を過ぎて定年前に辞める場合には、その申し出は、せめて「前年の12月までに申し出る」でいいではないか、「それまでに申し出たら、定年退職扱いにする」でよいではないかと主張してきた。期日を決めなくても、1年前に申し出ることの前に「原則として」と入れれば、いくらでも例外適用ができるから、それで済むことでもある。
そして、そうなると、60歳過ぎた人はいつ辞めることになるかわからないことになる。それでは、最終講義を円滑に組むことなど難しくなる。
こう主張してきたのだが、なかなか受け入れられない。私は、自分の言ってきたことにはできる限り忠実に生きて、この大学を辞めていこうと思っている。こういう主張を言ってきた以上、最終講義はやらない、ということになる。
「最終講義をやりたくない」という理由もいろいろあるが(個人的な理由だから、あえて書く必要もないが)、「最終講義をやらない」という理由はこのようなものである。
新しく決められて定年年齢で辞める人は、辞める日時が決まっているから、最終講義も従来通り組んだらよいが、私は、いまのところ1年前に辞める予定なので、最終講義はやらない。自己都合退職で辞めるから、最終講義はないが、大学の制度が変わって、退職金だけは、定年退職したように受け取れるということだな。