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ソマリア拉致:「韓国人にばかり暴力を加えていた」

 「韓国政府も放棄していたことを国民の皆さまが解決してくれて本当に感謝します」

 今年5月15日にソマリアの海賊に拉致されたが、その後海賊らに身代金を支払うことにより、今月4日に174日ぶりに開放されたマブノ1号と2号が10日間の航海を経て、13日にイエメンのアデン港に帰還した。ハン・ソクホ船長(41)は感想を聞かれると、おえつしながら「これまで船員たちが苦労に耐えてくれたことに感謝している」と述べた。

 マブノ1号と2号は今年5月11日にケニアのモンバサ港を出港し、船の修理と次の仕事のためにアデン港へと移動していた際、出港から4日後の15日、ソマリアのハラデレ沖の海上で拉致された。海賊は当初、身代金として500万ドル(約5億5000万円)を要求してきた。その後、交渉の末に身代金は大幅に引き下げられたが、船主のアン・ヒョンス氏はどうしても資金が不足していた。そのためアン船主の縁故地でもあり、マブノ号が所属していた釜山地域の市民たちが募金活動を行い、ようやく身代金を準備することができた。

マブノ号の韓国人船員4人。左からハン・ソクホ船長、イ・ソンリョル機関監督、マブノ2号のヤン・チルテ機関長、マブノ1号のチョ・ムンガプ機関長

 139トンのトロール漁船であるマブノ号は、海賊からの開放後に北に向かって航海を続ける間、米国第5艦隊所属の海軍艦艇の護衛を受けた。米軍艦艇の1隻はこの日午前10時30分(韓国時間午後4時30分)ごろ、マブノ号とともにアデン港に戻ってきた。

 チョ・ムンガプ機関長は、「海賊は身代金を要求し、韓国人船員4人に集中して暴力を加えた。酸素切断機のゴムホースで1日に40回以上殴られたこともある」と述べた。イ・ソンリョル機関監督は、海賊が耳の近くで放った銃声で鼓膜が破れ、ヤン・チルテ機関長は顔を殴られて前歯1本が今もグラグラしている。チョ機関長はひどい皮膚病で今も脚の内側に炎症を起こしている。しかし、韓国人船員たちは全体的に見て、健康に大きな問題はないようだ。

 「あまりにもつらくて、家族に電話したとき“米艦隊に連絡して、この船に砲撃を加えて沈めてくれ。もう死にたい”と訴えたこともある。韓国政府が助けてくれるとウソばかり言っていた」などと、チョ機関長は韓国政府に対する不満を込めて語った。

 マブノ号はソマリア沿岸から2マイル(3.2キロ)ほど離れた海上に停泊していたところ、海賊8人が船に乗り込んできて拉致され、その後は交代で監視を受けたという。コメなどの食料は餓死しない程度にだけ与えられ、食事の量が少なかったため、船員たちは週に1回しかトイレに行く必要がなかったという。「海賊が住む村には250軒の家があるらしいが、そこに海賊だけで300人ですよ。10代から50代まで銃で武装し、軍用トラックまで保有していました」

 この日夜にはハン船長とチョ機関長、イ・ソンリョル機関監督の家族3人がアデンに到着し、涙の再開を果たした。韓国人船員たちは14日に簡単な健康診断を受けてから、韓国へ帰国する予定だ。

崔俊碩(チェ・ジュンソク)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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