湯河原のまちづくりを語るサイト 2
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日記風湯河原を語る
 19.11.14 旅の人 湯河原原人
 よそ者のことを湯河原では、「旅の人」と呼ぶということは大分前から聞いていた。そうしたところ、先祖代々湯河原の地元の人のことを、「湯河原原住民」と呼ぶ人がいて、なかなか面白いネーミングだと思った。そこで思い付いたのだが、湯河原原住民と旅の人とは、どのくらいの割合なのであろうか? 勿論、力関係で言えば、湯河原原住民の方が実力者である。では、数の上ではどうなのだろうか。
 湯河原原住民と旅の人の人数はどうやったら調べられるだろうか。単に転入転出を数える訳にはいかない。一旦出てから入った人、一旦入ってから出た人といるだろう。また、長くよそに住んでいた人が戻ってきたら、どっちに数えるのだろうか。さらに何年前から湯河原に住んでいると湯河原原住民になるのか、これも難しいところだ。「30年住んでいるのに未だもってよそ者扱いされている」、と言う話しも聞いているので、50年以上のタイムスパンで見ないといけないだろう。ひょっとして、明治維新前から住んでいた人の子孫を湯河原原住民と呼び、明治維新以降に引っ越してきた人の子孫は旅の人と呼ぶ、ということになるのであろうか。
 いずれにしろ、何らかの方法で、湯河原原住民と旅の人の人数を推測してみたいものである。

 19.11.12 委員会開催 湯河原中学校
 委員会が急遽開催されたので、傍聴に行ってきました。何と新聞記者の方が傍聴していました。議題は、湯河原中学における生徒の暴力事件でした。中学の先生が来ていましたが、どうも「役人的答弁」で事情がよく分かりませんでしたが、休憩になって私も質問することができました。その後、他の議員の催促があって、ある程度の事実が出てきて、やっと納得がいきました。
 私も教育委員会にいたことがあるので、学校の管理職・幹部教員がなかなか事実を言わないと言うことは承知しています。そのやり方が良いのかどうか、学校運営や教育のあり方から言って、判断が難しいところでしょう。特に最近では、「外野」がクレーマーの如く煩いと言うこともあります。個人的なクレーマーは勿論、組織的なところでは、教科書選定の時など、教育委員の自宅まで押しかけてくるくらいですから。

 19.11.11 二本目 DNA研究所
 DNA研究所の反対運動に関して協力要請の電話が来た。神主を呼んでお払いをしているという。現場を確認して欲しいという。早速見に行ってみて、お隣の方とお話をしたのだが、これといって変化はなかった。
 現場を見たのはこれで二度目だが、東京都衛生局で医学系研究所や都立病院の指導監督をしていた経験から言って、あの程度の設備では大した研究実験はできない、学校の理科の実験室程度である、金集めのためのポーズでは無かろうかという気がする。

 それはそれとして、運動に対する私の協力としては、難しい点があると思う。
 まず、「新聞チラシを入れたいが、金の負担をして欲しい」と言うこと。これは公職選挙法の寄付の関係もあるだろうし、私自身新聞チラシ(ミニコミ誌)は毎月発行しているが、一度たりとも他人に資金援助を仰いだことはない。
 その他、ここでは書くのに躊躇する内容もあるのだが、反対運動のリーダーは強力な冨田町長支持者であると思われること。私も町長選挙では冨田氏を支持したのだが、その後邪険にされたので、一切支持しないことにしている。
 従って、この反対運動については、一に金を出すことには同意しない、二に議員としての名前を表に出すことには同意する、三に末席を汚す程度に参加する、と言うスタンスになるだろう。

 19.11.11 町長 県議 湯河原方式
 町役場職員のやり方について疑問を呈したが、ついでに町長県議についても書いておくことにした。町議になって、二つの大きな集まりに呼ばれて参加したことがある。一つ目は、県議の「後援会総会兼祝勝会」で、二つ目は町長の「町政報告会」(内容は事実上の個人後援会の総会)である。

 この二つの集まりに共通しているのが、両方とも後になって「挨拶状」(お礼状)がなかったこと。全員の参加者に出すのは不可能であろうが、議員として参加したものには後で挨拶状(お礼状)があるのかと思っていたが、なかった。これは県議にも町長にも共通しているので、湯河原では出さなくて当たり前になっているのであろう。つまりこれが「湯河原方式」ということなのであろう。町長の方には区長がたくさん参加していたが、区長の皆さんには届いたのだろうか?

 さて、中国故事では、「人と人の交わりは、礼に始まり礼に終わる。礼が正しく行われれば、争いも未然に防ぐことができる」とあるが、湯河原では礼の行われ方が違うようである。違うというのは、ひょっとして区長には出して町議には出さないとか、区長町議関係なく一部の人には出して一部の人には出さないとか、もしくは一切出さない虚礼廃止とか、もしくは別のもっと人数の少ない集まりで個別にお礼しているとか。「郷にいらば郷に従え」と言うが、「郷」がどうなっているのか知らないと、従いようもないじゃないか。

 19.11.10 追加 日本人の幼児化
 出所 産経新聞 平成12年5月7日 「時代の風」 曾野綾子氏 教育改革国民会議
 内容は、必ずしもそのまま湯河原の現場に持ってくることは易しくはないでしょう。

 19.11.10 二本目 曾野綾子氏 日本人の幼児化
 こう言う内容のブログを書いていると、じつに馬鹿らしくなってきて、曾野綾子氏の「日本人の幼児化」を思い出します。確か産経新聞に連載されていたもので、日本教育再生会議だったか、そのような名称の会議での結論の一つだそうです。このブログを見直してみただけでも、日本人の幼児化が実感できます。
 例えば、
・三権分立(中学レベル)
・地方自治
・議員と職員の関係
・公務員の職務遂行における公正さ
・政治的意見の公表の仕方(特に、反対意見の政治家に対するもの)
・言論の自由と民主主義
・電話などの礼儀
・匿名の使い方とその無責任性
・ストーカーは犯罪である
 こんなことを今更あれこれ解説しないといけないのであろうか?

 19.11.10 しつこい?
 「どうでも良いようなことで、しつこい」という声があるといけないので、しつこくする理由を説明しておきましょう。

問い 議員の議会内における賛成・反対の行動について、職員からその理由を問い質されることはあるのか無いのか?
解説 議案については、職員は提案した側である。議員はそれに対して、賛成反対の意思表示をする立場にある。
    提案側である職員が、議員を捕まえて、「なぜ反対したのか?」「なぜ賛成したのか?」と
    その理由を問い質すものなのか?

問い 18人いる議員全員が、その賛否の行動について、職員から理由を問い質されているのか?
解説 一部の議員だけだとすると、その理由は何か?

私見 議員に対してこういう問い質しすることは、失礼に当たる。
    それも、私一人に対してだけ問い質しているのだとしたら、行政の公正に反する。
    湯河原町役場では、主幹クラスが議員にお説教するとは、ずいぶんと職員のプライドが高いものだ。
    その次には、プライドの高さに応じて仕事の質も高くして欲しいものだ。

 19.11.09 二本目
 本日15時50分頃、川端公園から千歳川沿いに、もくもくと煙を吐きながら疾走する軽自動車がありましたね。歩道にまで煙が回ってきたので、匂いを嗅いでみましたが、これと言って何も匂いがしませんでした。とするとオイルが燃えているのではなく、車内で肉まんでもふかしていたのでしょうか。あれは一体何だったのでしょうか?
 そういえば、丁度そのすぐ後で赤い車と白い車が千歳川沿いの道路に入ってきましたが、残念ながら1分違いで煙の車はいなくなっていました。残念なことをしました。(何が残念かって?、地元に詳しく、かつ消防の関係者に目撃してもらえば、何だったのか判明するのではないかと思って)

 19.11.09 追加説明
 分かり難いようなので、たとえ話で説明してみましょう。あくまでもたとえ話です。少し過激ですが、理解されるために、身の危険を敢えてたとえ話を作ってみました。こんなことは湯河原の消防では絶対に有り得ないことでしょう。警察では、どこかの二つの警察署の間であったという報道を見たことがあります。「隣の警察署の警官が内の管内に来たら、徹底して厳しくやれ」と部下に指示した署長がいたとか。

 「119番着信」
 「火事ですか救急ですか?」
 「火災発生、場所にあっては土肥5丁目」
 「新人議員の自宅」
 「何? あの煩い奴か」
 「急ぐことはないぞ」
 「わざと大回りしてゆっくり現場しろ」
 「放水は三本なんかやることはない」
 「二本で十分だ」
 「水圧上げるなよ」
 「水がもったいないからな」

 「再び119番着信」
 「火事ですか救急ですか?」
 「火災発生、建物火災」
 「場所にあっては○長自宅」
 「大変だ、○長自宅だって」
 「非番の者にも非常招集を掛けろ」
 「消防司令、道が狭くてこれ以上消防車が入れません」
 「何でもいいんだ、そこいら辺に並べて赤灯を点けていろ」
 「たくさんの消防が駆けつけたという事実が大切なのだ」
 「水をじゃんじゃん掛けろ、届かなくてもいいんだ、大量の水を撒いたという事実が大切なのだ」
 「ぼやで鎮火しました」
 「よしよし これで来年の消防予算は大丈夫だ」

 相手によって仕事を変えるかどうかというお話です。関係者だったら徴収に不熱心になるのか、というお話です。消防の人は絶対にやらないのが当たり前だが、行政系の職員はやるのかどうか、と言うお話です。大分に過激なたとえでしたが、これで理解されたでしょうか?

 19.11.08 人間関係か立場・役割か
 人間関係論
 「教えてもらえるような人間関係を作れ」という考え方もある。これは否定はしないし、私自身大いに活用している。まさに人間関係論という一つの手法である。だがその反対側には、というか基礎的前提には、何があるのだろうか?
 分かりやすくするために、少し大げさにして考えてみよう。つまり、何事もすべからく人間関係中心に役場が動いたら、どうなるか?

 知らない住民が相談に来たら、便宜を図れる制度があっても、相手が言い出さなければ教えてやらない。仲の良い住民が来たら、条件に該当しなくても、少しくらいなら面倒見てしまう。滞納の徴収に行こうとしたら、親戚だった。徴収は適当にしてお茶飲んで過ごした。そうしたら時効になってしまった。たまには仕事をしていることをアピールしないといけないので、よそ者の滞納を探して処分しておいた。あいつは選挙の時に敵対した会社なので、見積もり入札の時に呼ばないことにした。頭を下げてこない議員には、質問があっても情報提供しないことにしよう・・・・・・・・・・・・

 議員が先か職員が先か
 新人議員と行政側の職員という関係であるから、人間関係が最初からある訳ではない。では議員の側から人間関係を作りに行かないと、資料がもらえない、教えてもらえないということはないと思うのだが、どうなのだろう?少なくとも逆はない。逆とは、職員の側から私の方に積極的に人間関係を作りに来たことはないし、私の方で人間関係がないからと言って職員からの要望等をシカトしたことはない。

 個人的人間関係ではなく、立場・役割に応じた関係
 ごくごくドライに、お互いの役割に応じた遣り取り(質問と情報提供、要望と回答など)があるのだと思うのだが、湯河原ではこういう考え方は通用しないのだろうか? もしくはごく普通の仕事上の関係と同じような、指示、実行、忘れたら謝罪、挨拶、事前説明、事後報告、と言うものがあると思うのだが、これも湯河原町役場では通用していない考え方なのだろうか?あくまでも個人的人間関係で、インフォーマルに教えたり教えなかったり、と言うことなのだろうか?

 「具体的には何のことなのか?」だって?、このブログでも議会活動でも、散々明言しているのだが、何のことか分からないだろうか。選挙が終わったら、具体的な事例一覧表を公表しようと思っている。管理職については実名とする。もちろん選挙結果によっては、一切公的発言は辞めるつもりでいる。

 19.11.07 二本目 議会だよりの原稿
 今日は委員長から呼び出されて、議会だよりの原稿の書き方について、折衝してきました。私としては、合意した部分削除にするか、それともそれでダメならば委員会決定で一切掲載しないことにするか、どっちかにしてくれと言い置いて、終わりとしました。その後議会事務局長と委員長が打ち合わせしていましたが、どんな結論になるやら。

 19.11.07 タヌキの竹細工
 いつものようにカメラを持って歩いていたところ、以前竹細工で写真を掲載したことのあるお家で、新しいタヌキと古い民家のようなものが飾ってあるのを見付けた。早速写真を撮っていたところ、中から奥さんが出てきて、挨拶してお喋りとなった。自己紹介して名刺をもらっていただいたのだが、竹細工を作っているご主人も交えて、タヌキ談義をして、なんと子狸を何匹か頂いてしまった。(画像は近日掲載)
 別のところでは、可愛い手芸品を買わせていただいたこともあるのだが、湯河原には可愛い品々を家のガラス窓の内側などに飾っている家がよく見られる。これを見ると、何時も思うのだが、明店街のシャッターを開けて、照明を点けて、こういう可愛い品々を飾ればいいのでは無かろうか。このことについては、以前ミニコミ誌で書いた通りである。湯河原の有力者というのは、温泉観光協会にしろ商工会にしろ商店会にしろ区会にしろ、こう言う発想はないのだろうか。それとも発想はあっても、「有力者」ではないのだろうか。

 19.11.06 二本目 「あいつは口だけで何も行動しない」
 こういう批判をもらうことがある。さて、私の疑問は、「行動しろって、何をどうしろと言うのだろうか?」。
 額に汗してボランティアをやらないから、口先だけと言われるのだろうか?、それとも区会やら○○協会やらに挨拶回りに行かないからだろうか?、それとも道路整備下水整備など地元に引っ張ってこないからだろうか?、それとも街頭演説街頭ビラ配り街頭握手をしないからだろうか?、後援会を作って面倒を見ないからだろうか?
 もう一つよく言われることで疑問なのが、「もっと勉強して」と言うこと。
 こう言うことを言う人で、具体的に何をどう勉強するのか、指し示してくれた人はいない。せいぜい議会事務局の職員が、私の原稿を見て、「代わりに作ってあげましょう」と言ってくるくらいである。「もっと勉強して」という人は、具体的に何をどう勉強するのか、ちゃんと教えて欲しいものだ。まさか湯河原の人間関係や利権の相関図を覚えろと言うのではないと思うのだが。

 19.11.06 ワン切り電話
 「電話掛けても出ない」とよく苦情が来るのだが、逆に一日中家にいても、電話はめったに掛かってこないものだ。
 そこで不思議なことがあるのだが、時々ワン切りが掛かってくるのだが、それがいつも非通知なのだ。一般にワン切りというのは、着信側に折り返し掛けさせて、宣伝なりサイト登録なりさせるものだが、非通知では掛けようがないではないか。結局のところ、これは無言電話と同じで、嫌がらせと言うことなのであろう。勿論、出ると無言で切れる本当の無言電話も掛かってくる。
 ホームページにはこの電話番号は載せていない。役場への登録の他は、ミニコミ誌で公開しているので、掛けてくる人の殆ど全員はミニコミ誌を見た人と言うことになるだろう。つまり湯河原の人間の可能性が99%と言うことになる。くだらない嫌がらせだ。
 ワン切りにしても、無言電話にしても、匿名で文句を言ってくる電話にしろ、これこそ「便所の落書き」なのでは無かろうか。10月20日の匿名氏は、自分が匿名であることと「便所の落書き」をどう考えるのであろうか。匿名で情報提供してきたり、励ましの言葉をくれるのは別にして、匿名で文句をいってきたり無言電話を掛けてくるのは、すべからく「便所の落書き」なのでは無かろうか。湯河原の人はよっぽど「便所の落書き」が好きなのであろう。

 19.11.05 背景分析の4
 こういう仮説もあり得るだろう。
 実は湯河原の人たちは、暴走車改造車騒音車が好きなのだ、暴走車改造車騒音車を格好いいと思っているのだ。
 例を挙げれば、鼻ピアスであろうが、へそピアスであろうが、鶏のとさか頭であろうが、今にも脱げそうな腰パンであろうが、それを良しとする人は多い物だ。湯河原においては、暴走車改造車騒音車を乗り回すことは、「かっこいいことだ、ファッションだ、祭りと同じだ、個性の主張だ」として、是認されているのでは無かろうか。祭りの準備の場に、暴走車改造車騒音車で乗り付けてくると、周囲の有力者達は「格好いいね」「幾らしたの?」とはやし立てることになる訳だ。
 さて、もしこの仮説の通りだとしたら、どうしたらいいだろうか? 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」であろうか。それとも、風俗習慣しきたりを変えるだけの強権発動が必要なのだろうか?

 19.11.04 背景分析の3
 こういう仮説も提起できるだろう。
 湯河原では、民家の周辺にイノシシやサルが出るのが当たり前になっているのと同じで、町中を暴走車改造車騒音車が走り回っているのが当たり前になっている。それを気にする方がおかしいと言われる。
 匂いでも音でも景色でも、馴れてしまった人には当たり前で何でもないことというのはよくある。何せ湯河原では、観光立町と言いながら、駅前に高層マンションを建てて景観を損ねても何とも思っていないのだし、犬の糞や犬の放し飼いも何とも思わないのだし。町によっては、蛇が庭に出ると警察に電話するのが当たり前になっているところもある。警察もよくしたもので、ちゃんと蛇係がいて蛇取り押さえの道具を用意しているという。
 さて、もしこの仮説が正しいとしたら、どうしたらいいのだろうか?暴走車改造車騒音車が煩い、止めさせた方が良いという論陣を張って、認識を深めていくことであろうか。聞いたところでは、肩こりも、肩こりと言われると肩こりを意識するようになると言う。最近の差別用語も賞味期限もセクハラも、多分に宣伝が行き届いて意識が鮮明になったという側面があるだろう。

 19.11.03 背景分析の2
 別の仮説も提起できるだろう。
 まるでチェッカーズの歌詞のようだが、子供の頃から手の付けられないワルで、暴走車改造車騒音車を乗り回していてくれている方がまだましだ、という場合も想定できる。恐喝、強姦、オヤジ狩りをされるくらいならば、暴走車改造車騒音車を乗り回して発散してくれた方が、町の治安のためになる、ということである。そこでその人達が暴走車改造車騒音車を町内で乗り回している限りは、黙認しておこう、ということになる。迂闊に暴走車改造車騒音車を取り締まってしまうと、もっと凶悪な犯罪違反に移行することになって、警察やら安協やら防犯協会やら多忙になるし、市民生活にも影響が出る、だからやらせておいた方が結局のところ町のためになる、と言う考え方である。
 もしこの仮説が正しいのであれば、どのように手を打ったらいいのか、それとも手を打たない方が良いのか、むずかしいところである。

 19.11.02 暴走車改造車騒音車の背景分析
 何故取り締まられないのか、その背景を極社会学的に分析してみよう。上部構造と下部構造の関係としても良いだろう。社会調査の実例としても良いだろう。
 例えばこんな仮説はどうだろうか。
 暴走車改造車騒音車の背後には、町の有力者の陰があると仮定してみたらどうだろうか?。つまり具体的に言うと、暴走車改造車騒音車を乗り回している人たちは、町の有力者の関係者である。だからこれ見よがしに狭い町で特定少数の人間が日常的に乗り回していても、誰からも咎められないのだ、と言うことになって、一応の分析説明はできる。
 さて、「町の有力者」とか「その関係者」というと、どんな人たちだろう?例を挙げれば、町役場職員はすべからく縁故採用だという。つまり「町の有力者の関係者」ということになる。では町の職員に暴走車改造車騒音車を乗り回している人がいるだろうか?本庁職員から学校職員から消防職員から全て職員の中で、そんな人がいたとしたら、誰かが咎めるだろうか?
 他に、「町の有力者の関係者」というと、どんな人たちなのだろうか。少なくとも、「これ見よがしに狭い町で特定少数の人間が日常的に乗り回していても、誰からも咎められない」という特権的立場を持っている人たちである。具体的には何なのだろう?勝手に推測してみると、地元有力企業従業員?、区会幹部?、観光協会とか商工会幹部?、議員町長の後援会幹部?、他に湯河原町にはどんな立場があるのだろうか?まるで「探偵少年コナン」ではないか。
 町会議員を長年やっていくと、こういう疑問も解消されるのだろうか。解消=事実を知ることができる。

 19.10.29 三本目
 このブログを見ていて、馬鹿らしくなるのは書いている私だけでしょうか?
 もう少しまともな意見交換ができないものか。
 湯河原にそれを期待するのが無理なのだろうか?
 それとも健全なサイレントマジョリティがあるのに、私が気がつかないだけなのだろうか?

 19.10.29 二本目 ジレンマはいかにして解決すべきか
 議会事務局にあれこれ教わっていると、「もっと役場の事情を知るように」と言われる。ところがあっちこっちの課長に聞くと、なかなか教えてもらえない。教えてもらえないことをこのブログに書いても、教えてもらえない。どうも上の方から教えないように指示が出ているのでは無かろうかという気がしてくる。
 さて、このジレンマはどうして解消したらいいのか。かたや、役場の事情を知れと言う、かたや、教えてくれないと言う。ひょっとして、この二つがセットになって、嫌がらせと言うことなのであろうか。そして来年3月に落選するまでこのまま押し通そうと言うことなのであろうか。それは蛸壺的発想なのだろうか。

 19.10.29 北海道で消防士が二名殉職
 痛ましい事故です。消防士という職業は、まさに命を張る仕事と言うことなのでしょう。命がけの仕事であるからこそ、採用も定数も一般職員とは別であるし、危険手当も付くし、日々の訓練が大切と言うことにもなる訳です。大げさに言えば、日々の訓練に自分の命が掛かっているとも言えるでしょう。

 これから先は、私が結論を出すと言うことではなく、湯河原の皆さんや特に消防関係の人に考えて欲しい問題です。消防本部と町役場の間は、どのくらいの距離があるでしょうか。その間を移動するのに、乗用車に乗って移動している姿を見かけます。特に偉い人は、運転手付きの乗用車で送迎してもらっているようです。

 そこで私が考えたこと。
 その1.消防士にとっては日々が訓練の場では無かろうか。命を賭けた仕事であるのだから、休憩や事務仕事などでなければ、肉体の鍛錬や技術取得にいそしむべきではないのか。であれば、消防本部と町役場の間であれば、庁有車に乗らず歩いたらどうであろうか。特に雨でも降ってくれば、本来「火のなか水の中に飛び込む仕事」であるのだから、これ幸いと雨の中を歩いていくのでは無かろうか。それとも出動服が濡れてしまうとまずいという考えなのだろうか。確か訓練では、水の中や煙の中を人工的に条件設定して訓練していると思うのだが。

 その2.消防士の先頭に立って邁進すべき指揮官は、率先して歩くべきでは無かろうか。それとも、消防士を運転手にして送迎させる方が、消防士一般に対して威厳が保てるという発想なのだろうか。

 その他、住民の税金から払っているガソリン代の有効利用の問題とか、消防士の中で運転手役を職員定数ではどう考えるのかとか、最近流行のメタボに関しても、あのくらいの距離は歩いた方が良いとか、色々思うところがあるのだが、消防関係者、住民の皆さんはどう考えるのだろう。
 そういえば、教育関係の部門が入っている郵便局前の庁舎、あそこも本庁に行く時には庁有車を使っているのだろうか。庁有車の運行記録簿を見てみたい気がする。

 19.10.28 電話の礼儀
 トイレに入っているところに電話、ズボンを下げたまま電話に出たら、名前を名乗らない人が出て、こちらを確認すると、
 「○○議員の電話番号を教えてください」
 「ここでは分かりません」
 「オタク議員でしょ?」
 「町役場で分かると思いますが」
 「町役場は何番ですか?」
 「町役場の電話番号は記憶していませんが」
 「オタク議員でしょ?」
 「そちらの事務所はどこですか?」
 「事務所ではなく自宅ですが」
 「自宅はどこですか?」
 「神奈川トヨタの近くですが」
 「ああ あの辺、オタクは元々湯河原の人?」
 「いえ 引っ越して3年ですが」
 「頼みたいことがあるんだけど」
 「どのようなことでしょうか?」
 「頼むことになったら電話するから」
 これで切れました。
 匿名でないといえないことならばともかく、初対面の人にものを尋ねたいのであれば、「○○の○○といいますが」というセリフを最初に出すべきだと思うし、他の議員の電話番号を教えろだの、役場の電話番号を教えろだの、もう少しものの言い方というものがあるのでは無かろうか。役場の電話番号を暗記していないと、「オタク議員だろ?」とくるとは。まったくのところ湯河原は大変なところだと言うことが痛感される。町長が議員だった頃は、こういう電話にはどう対応していたのだろうか、知りたいところだ。「郷にいらば郷に従え」を早く覚えないと。

 19.10.27 犬か道路か?
 犬は道路の上、道路は犬の下、さてどっちが先か、などというコンニャク問答ではない。今回のミニコミ誌は、道路と犬の二つのテーマがあったのだが、こちらとしての本命の道路には関心が少なくて、寄せられる反響が殆ど犬の糞なのである。湯河原の人たちの日常生活というのは、道路には困っていない、犬の糞には困っている、と言う人が多いのであろうか。
 もちろんのこと政治なり行政の役割として、単に市民住民の声の量だけで方向が決まる訳ではない。たとえ話をすると、声の量だけで決まるのならば、税金やスピード取り締まりは取り止めになるかも知れない。勿論その逆に声の量を無視して進めていい訳でもない。これを喩えれば、やりたい人がいないのにPTAやら自治会は無理しないで無しで済ませたらどうかという意見もある。
 で、話を戻すと、政治家、行政としては、単なる住民の声の量だけではなく、リーダーシップなり先見性なりを持って取り組まなければならないと言うことだ。湯河原の将来に必要ならば、住民の声の量の大きさに逆らってでもやらなければならないことがあるだろう。たとえ話をすると、再開発だの道路建設だの、税金徴収だの、住民負担の増など、「橋の哲学」ではうまく行かないことがある。それでその指導性と先見性が正しかったかどうかは、10年後、20年後、30年後に分かる訳だ。そのくらいの長期的展望がなければ、話にならない。

 さて、今の議員、町長の中に、リーダーシップと先見性のある人材がいるだろうか?

 
19.10.25 町長への投書 中学校の社会科
 19.09.06のところで、一旦書いて、余りにも初歩的すぎて削除したのですが、また書くことになるとは、湯河原の知的レベルって、一体どうなっているのでしょうか。
 今日、町役場に来た投書(ネット経由)の写しを議会事務局からもらいましたが、全くお話にならない知的レベルの投書でした。以下引用しておきます。

 「非常に不愉快な思いを致しました」
 「この様な発言を湯河原町では許可しているのでしょうか」
 「議員の監督責任は町長なのでしょうか?市役所なのでしょうか?」
 「この件については、熱海市役所にも投書させていただきます」

 もし湯河原地元の人であれば、湯河原中学卒業と言うことになろうかと思いますが、湯河原中学の社会科では、三権分立やら地方自治というものは教えていないのでしょうか?これが湯河原地元の人の平均的知的レベルだとしたら、他の議員の皆さん、町長、町役場職員の皆さんは、本当にご苦労なことです。
 1.議員の発言は許可制である?
 2.許可権は町に属する?
 3.町長が議員に対する監督責任を持っている?
 4.湯河原町には市役所がある?
 5.熱海市役所は湯河原町の上位に位置する?

 他にも、自分が不愉快だと発言すれば、他人は自分の不愉快さのために行動するのが当然だとする思い込み。1億人人間がいれば1億通りの不愉快さが存在する。その不愉快さの一つ一つのために行政や議員が行動していたら、一体どうなるのだろう?
 それとも、他人の不愉快さなんかどうでも良い、自分の不愉快さだけが大切なのだ、他人の不愉快さは放っておいてかまわないから、自分の不愉快さのために行動してくれればそれで良いのだ、という今流行のミーイズム(ジコチュウ)なのでしょうか?。

 指摘するまでもなく、私のブログではそんなことを言っていないのに、言っているとして投書してくる。これは文章読解力が不足しているのか?、それとも「心ここにあらずんば見れども見えず」で、存在しないものが見えるのであろうか?、それとも意図的にねつ造して投書を書いているのだろうか?

 それにしても、他人のアラ探しを目的として人様のブログを毎日のように熱心に見ているとは、よっぽど心の貧しい日常生活を送っている人なのでしょう。心が満たされた日常を送っていれば、他人のくだらないことは気にならないものです。気になっても一時的で、町に投書まではしないで流してしまうものです。そういう心貧しき人たちのために神の言葉を贈りましょう。

 「心貧しき者は幸いなるかな、天国は汝らのものである」

 引用したからと言って、この宗教の人たちは何もクレームは付けてこないでしょう。それだけの歴史の荒波をかいくぐってきているでしょうから。

 さらに、熱海市役所と湯河原町長と湯河原町議会がどう出るか(議会=議会を動かせる実力者達)、これも興味深いところがあります。私の経験では、匿名の投書では動かないのが一つの原則、個人的な感情的な不愉快さの表明は扱わないのが原則、ということでしたが。町長がまた私に向かって、「仕事の邪魔をしないようにお願いします」というのかどうか。

 19.10.24 口の利き方論争
 ミニコミ誌を配って、早速電話が来ましたが、どうも頂けないのが、最後は「口の利き方論争」に終わってしまうこと。これでは建設的な意見交換ができません。現役の時に毎度のように出くわしたのですが、住民の方と遣り取りしていて、住民の側の主張に理がないことが明らかになると、最後に必ず出てくるのが「口の利き方が悪い」という主張でした。そうすれば、苦情要望等を持ち込んできた住民の方に理がないのに、役人の側が頭を下げることになる訳です。それにしてもこういう終わり方をすることは、住民にとっても役人にとっても、不幸なことだと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?

 今日の電話も、あれこれ意見交換して、私の意見が理解されたところで、相手の言い分が「議員としてその口の利き方はおかしい」という主張に変わりました。さらに最後が非常に興味深い終焉を迎えたのですが、「それでは自分が支持する議員に言う」というものでした。つまり支持していない議員の書いた物について意見を(と言うより強要を)言ってきた訳です。その理由が「議員なんだから」と言うことなのですが、これも毎度のことですが、気に入らなければ支持しなければいいのではないでしょうか?支持しない議員の言動について、直接あれこれ言ってくるのはどういうことなのでしょうか。意見交換して、理解されて、それで支持する議員が替わるくらいの柔軟性があるのであれば、大いに意見交換するのですが、支持する議員が固定しているのに、それで意見を押しつけられてもね。まして「議員なんだから私の言い分を受け入れろ」という主張も如何なものでしょうか。まさに「クレーマー」の時代ですね。

 それともう一つ疑問があります。犬の糞害について意見を書いた私のミニコミ誌の表現について、大きな怒りを持って電話してくるのであれば、本来の元凶である犬の糞を放置する人たちに対して、それ以上の大きな怒りを持って注意しなければ、話がおかしいのではないでしょうか。議員と言うことについても、支持している議員以外の数多くの議員に対して、その言動についてあれこれ電話しているのでしょうか?それをしていないのでは、以前書いたストーカー氏と同じではないでしょうか。

 そういえば、今日の電話の人は、私がストーカーが出ているといったところ、「当然でしょうね」「そういう言い方をしていれば」と返されましたね。湯河原では、私の口の利き方ではストーカーが出るのが当然のことになっているようです。

 最後に私も同じレベルに立って一言、「匿名で何を言うやら」 それにしても、匿名で、しかも初対面の人に電話をして、長々と苦情を聞いてもらって、感謝の気持ちというものがないのでしょうか?これについても「議員だから当然だ」というのでしょうか?あなたは私の支持者ではないんでしょ?

 19.10.23 議会(委員会)への報告のあり方
 今日吉浜の海岸の方へ行ってみたら、海岸のトイレの修理をしていました。ここは台風で壊れた時に、委員会で視察に行ったところです。その時には、町役場から修理すると幾ら、取り壊しならば幾ら、という数値をもらい、どうするかこれから決めるという説明を受けました。
 それが今日は修理作業をしていました。委員会が視察した案件については、決定したら委員会に教えるものではないのでしょうか?何も委員会を開くまでもなく、メモで各委員に連絡すれば用が足りるでしょう。湯河原町役場の考え方というのは、次回の委員会で報告すればいいと言うことなのでしょうか?そういえば、今までこのブログで私が文句を言ってきた行政の議会対応は、一度も後で「フォロー」されたことはありませんでした。これが湯河原方式というのでしょうか。郷に入らば郷に従えですから、早く湯河原方式に対応できるようにならないといけませんね。

 19.10.22 委員会報告 高額滞納者
 19日のことですが、委員会が開催されて、高額滞納者のリストが配られました。勿論秘密会ではないので、全て匿名化された上に、マル秘とされています。ここでは守秘義務に反しない程度で、コメントしておきます。
 1.5千万円滞納しているところで、分割払いが、月2万円だとしたら、これは納めていることになるのだろうか?それで差し押さえもしないで放っておくのだろうか?
 2.5千万滞納があるところで、差し押さえしていたのだが、売却するから解除してくれと言われて、100万円納付と引き替えに差し押さえ解除してしまった。これで良いのか?その後には差し押さえすべき不動産は残されていないのではないか?全額納付を交換に差し押さえ解除するものではないのか?
 3.温泉使用料の滞納があるのだが、滞納者の内部事情を理由にして、供給停止せずに放置して良いのか?
 4.民間の借金取り立て業のやり方を参考にしたらどうなのだろうか?職員はみんなして「ナニワ金融道」を読んだらどうか?

 19.10.21 二本目 「あいつは100票も取れない」
 ミニコミ誌を配って歩いていますが、数少ないのですが、文句嫌み拒否に出くわすことがあります。昨日はあるお店で、店内で作業をしているご主人とおぼしき男性に声を掛けました。挨拶をして、身分を名乗り、ミニコミ誌を配っていると用件を伝え、一部受け取って欲しいとお願いしたところ、「要らない」「入れないでくれ」というお返事でした(この二言以外一切発言は無し)。当然のこと、私の方は「失礼しました」と言って引き下がります。
 露骨に敵対感情をむき出しにする人が結構いるものです。湯河原では公明党の家に共産党がビラ配りに来たら、どうなるのだろう?その逆だったら?私自身湯河原では相当に根強く嫌われていると言うことが実感できます。町の有力者からは、来年の選挙では、100票も取れずに落選するともウワサされているようです。道路整備その他の利益誘導を有権者にで来る訳でもないので、めげずにミニコミ誌を配って、ブログを書いて、何とか来年の3月を乗り切りたいものです。

 19.10.21 政治の世界 たとえ話
 政治の世界はまさに現実の世界ですから、百人いれば百様の中で、自分の思いと100%ぴったしな政治家がいる訳はありません。政党でも同じ事です。そこでどうしたらいいのか、たとえ話を一席。(何でこんな初歩的な話をせにゃならんのか)
 餃子と寿司とガスパチョが食べたい時に、イタメシ屋と寿司屋とラーメン屋しかないとする。さてどうしよう? 寿司屋に入って、「餃子がないのはおかしい、餃子を出せ」と主張するだろうか。ではどうすればいいか。自分でファミレスを出店するか、誰かに頼んでファミレスを出店してもらえばいいのだ。食べたい物をボルシチに交換しても同じ事である。
 心理分析
 人間は自分の立場でのみものをいう傾向があります。自分の立場とは、「利益、メンツ、好き嫌い」と三段階に分けることができるでしょう。
 例えば暴走車改造車騒音車の取り締まりに熱心さが足りないと思ったら、実は町の有力者の関係者が、暴走車改造車騒音車を乗り回しているからとか。暴走車改造車騒音車を取り締まってしまうと、「それをやるくらいならあっちをやるべきだ、こっちをやるべきだ」と言われて、警察その他が多忙になってしまうからとか。メールの張本人もしくはその関係者に暴走車改造車騒音車族がいるとか。
 もしくは、
「格好良さげな事をやっている奴は気に入らない、何とかして引きずり下ろしてやりたい」
 かといって
「正面から敵対するには正論を掲げているのでやりにくい、守旧派と思われるのも面白くない」
 そこで
「味方のような顔をして、教え諭すようにして足を引っ張ってやれ」
「あれだけ格好良さげなミニコミ誌を配っている奴の頭を下げさせることができれば、大いに溜飲が下げられ、自分としては優越感が高まり支配欲が満たされるではないか」
 それでは
「何か手頃なネタを探してやれ」
「誤字脱字はもう突っ込みを入れたが効果がなかった」
「セクハラ・差別用語というのも手頃なのだが、なかなか見付からない」
 それでは
「あいつが最近格好良さげに叩いている暴走車改造車騒音車と嫌がらせを取り上げてやれ」
「小林よしのりがよく使う、便所の落書きという文句を使うと、きっと反応するだろう」。

 最後に一言二言。
 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」「木を見て森を見ない」「近視眼的」「蟹は自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘る」「日本民族弱体化計画」今日のヤフーのニュースにも、早稲田大学の新入生向け日本語教育が載っているので、参考にどうぞ。

 19.10.20 匿名のメール
 匿名のメールは削除するとトップページに明記してありますが、今回は興味深いので、特にここに写すことにします。さて湯河原の皆さんはどうお読みになりますか? 私としては常々申し上げている通り、気に入らなければ他の議員を支持すればいいのだと思いますが。それともご自身が活動なさるか・・・・
 以下引用部分。

私は湯河原町民で選挙の立候補前よりミニコミ誌を拝見し中島町議の活動を
見守ってまいりました。町づくりを語るホームページも読ませていただいております。
 
残念ながら最近は暴走車・改造車・嫌がらせなどなど話題が「便所の落書き」
(名前が明白なだけにそれ以上ともそれ以下ともとれますが)に近い書き込みが
多いと思います。
 
また、中島町議も湯河原町民であるにもかかわらず、ご自分の納得のいかない
部分は「湯河原方式」という表現で全てを片付けてしまい、全て自己完結されている
ことも納得がいきません。中島町議が町議会議員として町の発展のために
何をなされているか・・・ご自分が掲げている目標に対して、具体的にどのような
活動(行動)をされているのかを私は知りたいです。

 19.10.19 二本目 熱海市図書館
 これも昨日のことですが、珍しく車に乗って千歳川沿いを走っていたところ、どうも遅い車がいるらしく、どんどんと車がつながって行列ができていました。カーブの時に行列の先頭の車が見えましたが、バックドアに「熱海市図書館」と書いたワンボックスカーでした。別に速度違反をしろという気はありませんが、周囲の車の流を阻害しない程度の速度で走ったらどうなのでしょうか。なにしろ40kmのところを30kmで走っているのですから、後ろの車はイライラさせられます。
 どうしても交通の流を阻害したいのであれば、湯河原の道路を走らないで、熱海市内の道路を走ってくれ。バス道路を峠越えで行けばいいじゃないか。熱海泉地区は湯河原にあれこれとお世話になっているのに、合併はしたくないだの、屎尿処理でも救急でも面倒見てくれだの、新市長になったら途端に屎尿の共同処理の申し出は凍結だの、泉地区の住民は何かというと湯河原の行政やまちづくりに口を差し挟むだの、ろくなことがない。その上のろまの公用車まで走られたんじゃ、うんざりだ。というベランメエ調のセリフが口をついて出てきてしまいそうな情景でした。

 19.10.19 初めてのケース
 19.10.18は削除しましたが、ここで文句をいって、町役場の職員がちゃんと対応してくれたのは、初めてのケースでした。これ以外では、庶務課長、企画課長、防災課長、その指導監督責任のある総務部長、町長を名指しで非難しても、全員「バックレ戦略」でシラン顔して過ごされてしまいました。きっと管理職ではない職員の中に良心的対応のできる人がいるのでしょう。
 更に、上からの指示があるか無いかですが、あるとした方が立証が容易でしょう。

 19.10.18 相変わらずの町役場職員の嫌がらせ
 
 19.10.16 観光立町+暴走車改造車騒音車
 観光立町
 昨日の朝日新聞には、兵庫県出石町の話が載っていました。今では豊岡市の一部になっていますが、「但馬の小京都」と呼ばれているそうです。興味深い取り組みが紹介されていますが、やはり相模の小京都では実行不可能な気がします。役場主導のせいなのか、民間に良き企業家がいないせいか、よく分からないところです。
 暴走車改造車騒音車
 今日は二台二種類見かけました。1種類目は、大分お歳のいった男性の黒いスクーター、故障しているのをそのまま乗っているのか、それとも意図的に音を大きくしているのか、どちらか分かりません。最近ではお年寄りや外見はごく普通の大人が改造車に乗っているそうなので、区別は難しいでしょう。
 2種類目は明白で、時々見かけますが、4653、加速の時のエンジン音を聞いていると、どうもMTではなくATの様な感じがします。何となく自慢げに騒音を立てて走っているように見受けられました。まさか町から補助金をもらっている団体の関係者でなければいいのですが。

 19.10.15 湯河原文学賞小説の部に応募
 このホームページの小説の部にある「日本民族弱体化計画」を印刷して提出してきました。去年は「神との取引」で応募しましたが、選外でした。今年はどうなる事やら。町で聞いた噂では、書いた人の町内での立場によって選考が左右される場合もあると言うことでしたが、さて真偽の程はどうなのでしょうか。いずれにしろ小説は10編程度は用意がありますので、当分は楽しめそうです。それにしても選考委員の選出については、色々と疑問があります。礼を失するような人選は辞めるべきだとある新聞記者から感想を聞いたことがあります。

 19.10.13 農の話 続編
 地元の農業専門家にお話を伺ったところ、こんな感じでした。
1.湯河原では有畜農業は難しい。最大のネックは人材がいないこと、牧畜は農業以上に難しく、ミカン畑とは違うという。次が、匂いの問題、相当な設備を要するという。
2.フラワートピア(花卉、観葉植物)は、結構可能性が大きい。観光用から、花の販売、蜂蜜や油などの加工品販売、遊休農地の保全、そして刈り取った草から剪定の枝からそれこそ残滓から燃料油を回収するバイオマスまで、循環システムが組める。具体的にはどの花をどんなサイクルで咲かすか、県の農業普及センターに教わればいいと言う。

 19.10.09 国の元は農にあり
 これからの農業(第一次産業)のあり方の本を読んでいますが、湯河原に使えそうな企画というと、「有畜農業」と「フラワートピア」(花卉き、観葉植物)の二つがありましたが、果たして湯河原で実用になるかどうか。ノンビリじっくり調べてみることにしましょう。何しろスローフード関係でもアグリパーク関係でも失敗していますから。何かと行政が絡むと、うまく行かないことがあるみたいで、やはり農家の自主性+卓見したリーダーシップが必要でしょうか。これは観光業でも同じでしょう。行政がらみより企業の自助努力とまちづくりの卓見と。

 19.10.07 暴走車・改造車・騒音車
 またまた見かけましたよ、まじまじと見つめましたが、若い男の運転手は何にも感じていないようでした。スカイラインの2ドア、GT-Rかそれとももどきか、サスにも手を加えてあるのか、どうも車体が不安定で、フワ付いていましたね。25−○○ですが、ああいういやらし連想を浮かべる番号というのは、特注するのでしょうか。
 そういえば、下のニュースですが、ナンバープレートを傾けて付けるのも取り締まる方針だそうですね。実施となれば、湯河原ではどうなる事やら。警察は知らん顔なのかどうか。安協は?防犯協会は関係がないのかしら?

 19.10.05 ナンバープレート隠し
 今日のニュースをネットで見ていたところ、車のナンバープレートにプラスティック板を張るのは、一切禁止になるようですね。湯河原でもたくさんの車が張っていますが、止めた方が良いでしょう。安協の皆さんそう思いませんか。

 19.10.04 顔を知られていない
 
 19.10.03 難しい話題
 10.01の委員長の話題ですが、そんなに理解するのが難しいでしょうか?
 それでは、この前の法務大臣の記者会見はどう理解するのでしょうか。「自分は死刑廃止論者であるから、死刑執行に署名しない」と公式の場で法務大臣として発言している。それでは、議長が町長から提出された議題を議会で報告する時に、「議員の皆さん賛成して下さい(反対して下さい)」とやったら、どうだろうか。この件に限らず、湯河原の人たちにアンケート調査をしてみたいものです。

 19.10.01 今日の話題を2題
 
 19.09.29 議会報告
 昨日は本会議でしたが、その時気になった点を一つだけ。決算が委員会を経て本会議で審議されましたが、決算審査特別委員会の委員長報告で、こういう下りがありました。「(決算案について)ご賛同賜りたくお願い申し上げます」。これは町長が発言するのであれば、その通りですが、議員が委員長として報告する時に発言するのは、如何なものでしょうか。委員長はあくまでも委員会の結果を議会に報告するだけであって、賛成しろだの反対しろだの他の議員にお願いするべき立場ではないと思うのですが。そういう意見表明をしたければ、委員長報告という立場を離れて、一人の議員として賛成討議をすべきでしょう。まさに公私混同と言うことでしょうか。(一人の議員としての立場と、委員会の結果報告をする委員長としての立場との混同)

 19.09.28 三本目 観光関係
 もう一つ言われたのが、「景観、浮浪者、犬の糞、暴走騒音車」、こういう話が外の人に読まれると、観光客が来なくなってしまう、という反論でした。観光にとって好ましくないものをなくそうという指摘に対して、好ましくないものを表沙汰にすると観光客が来なくなってしまう、だから隠しておくべきだ、と言う論理のようです。この論理ではいつまでたっても湯河原は良くならないのではないでしょうか。
 来年は選挙ですから、湯河原の有権者の皆さん、皆さんの支持する議員・候補者と話し合ってみていただきたいものです。


 19.09.28 二本目 これも湯河原方式?
 今日会派控え室で、町長からこう言われました。「町の仕事を邪魔しないようにお願いします」、別の時に議員からも同じ事を言われました。町長については、具体的に何を差しているのか確認しませんでしたが、下記の注意書きのように議会運営委員会で問題になったところと言うのは、ミニコミ誌の「滞納して放っておいても、差押されない、差し押さえされても公売されないということが明らかになれば、馬鹿らしくて誰も納税しなくなるのではないでしょうか」というところだそうです。つまり、「これを読むと今までまじめに払っていた人たちが払うのを辞めてしまうようになる」、と言う理由だそうです。
 私は分かりやすく説明する時には、良く「例えば」としていますが、今回はたとえ話は辞めておきましょう。要するに、「税の徴収で、町が手抜き仕事をしている」と批判すると、「手抜きがばれると町の人たちが突け入ってくるといけないので、手抜きのことは公表しないでくれ」と言うことですね。手抜きしないで厳しく取り立てればいいと思うのですが、手抜きの公表を押さえ込もうとするこの逆思考が、湯河原の地元生え抜きの人たちの考え方なのでしょうか。

 19.09.28 議長委員長より指導を受ける
 今日28日、本会議終了後、議長室にて、議長副議長、議会運営委員会正副委員長の4人から、私のミニコミ誌について、ご注意と励ましのお言葉を頂きました。私としましても、ミニコミ誌の表現の至らないところを反省して、より正確に真意が伝わるように、原稿作成に留意することとしました。
 頂いた注意文書をここに掲示して、自戒とするものです。注意及び要望

 19.09.26 暴走車・改造車・騒音車
 これについては、町の行政として取り締まるのは難しいのではないかという意見があるようです。それでは、町の行政として何らかの対策が取れないのかどうか、提起してみましょう。東京都では、排ガス規制を徹底する対策として、東京都が発注する工事、委託、物品購入に関して、使用する車両はすべからく排ガス対策適応車に限るとして、車検証のコピーの提出を義務付けています。こうすれば未対策の車両は都庁関係では使用できなくなります。
 湯河原でも、同様に町が発注する工事、委託、物品購入に関して、使用する車両には「違法改造車、たとえ違法ではなくとも大きな騒音を出して迷惑を掛けると思われる車両」の使用を禁止すればいいのです。例えば、工事会社の従業員が会社まで違法改造車に乗ってくるのは規制できませんが、現場に乗ってくることはできなくなります。清掃委託でも、作業員が現場に違法改造車でやってくることはできなくなります。他にも、町内の事業所に頼んで、違法改造車などで通勤することを控えるよう指示してもらうという対策もあるでしょう。これに協力しない企業は、今後の町発注の時の参考とすればいいでしょう。
 しかし、それにしても、町役場の職員、警察、補助金を受けている団体、町長、町長の後援者・・・の皆さんは、誰もこういう対策は思い付かないのでしょうか。

 19.09.25 二本目 委員会の構成をどう考えるか
 議会には委員会と言ったものが幾つかあります。総務・文教、環境・観光、議会運営、広域行政、国内外親善、議会だより、真鶴湯河原衛生組合、決算委員会、といったとこですが、それぞれ8人程度に議員が構成員になっています。議員総数が18人ですから、単純に割り算をすると、一人で三つは入ることになります。ところが補選当選の新人は、一つしか入れません。これはどう考えるべきでしょうか。
 役所でも民間でもそうですが、新人をどう扱うか、新人にどんどん色々な仕事に参加してもらって仕事を覚えてもらうようにするのか、それとも仕事を覚えるまでは見学させておくのか。湯河原方式では、新人には参加させず、古参古顔議員が幾つもの委員会を掛け持ちして独占する、新人は傍聴すればよい、と言う考え方のようです。今日は決算特別委員会でしたが、発言できずに歯がゆい思いをしました。恐らく、私が古顔古参議員になった頃には、全ての議員が新人古参に関係なく、みんなして同数の委員会に参加するようになっているでしょう。

 19.09.25 内部告発の手紙
 
 19.09.23 ミニコミ誌配布
 
 19.09.22 暴走族改造車騒音車

 何かというと「観光立町」ですが、お祭りやイベントばかりではなく、もう少し足下を見直ししないと観光客にいい印象を与えることは難しいのではないでしょうか。
 今日、駅前から温泉場方面に明店街を歩いて、銀行向かいの横断歩道を渡ろうとした時のこと。宮下会館から来る抜け道を一見暴走族らしい軽が突っ走ってきて、横断歩道を渡ろうとしている私を渡らせないように押しのけて横断歩道の上に一時停止して、駅前方面へ走り去っていきました。乗っているのはいわゆるツッパリ風の若者。これでは観光客がいい印象を持つはずがありません。さらにその先の旅行会社のところで牛乳屋側へ横断歩道を渡ろうとした時のこと。私の前にいたおばさんは、車が一時停止しないのにしびれを斬らして、車が止まらないのに横断歩道を渡り始めました。そうしたら何と、車は止まることなく速度も落とさずハンドルでおばさんを避けて歩行者の間を縫うようにすり抜けて走っていきました。税金で給料をもらっている警察官にしろ、税金で補助金をもらっている安協にしろ、地元の若者の暴走を止めることはできないようです。

 そういえば、今日のサンケイWEBニュースに、作家・中村文則さんの暴走族などを「憐憫(れんびん)の眼差しで見ることをお勧めする」というお話が載っていましたね。http://www.sankei.co.jp/kyouiku/kyouiku/070922/kik070922001.htm

 19.09.21 町役場職員の意図的怠慢
 今日は本会議がありました。議題の中に、人事案件(委員の任命に対する同意)がありまして、これについては事前に議会運営委員会で「人事案件については審議しない」という慣例があることは聞いていました。それはそれで良いのですが、議院運営委員会の席上で委員長がわざわざ、「審議しないのであるから、委員候補者を知らない新人議員には、あらかじめ顔合わせしておくように」と、行政側に指示しました。 ところがいつまでたっても顔合わせはなく、本会議当日を迎えた訳です。そこで仕方なく私は、同意しませんでした。(同時に提出されていた教育委員については、何回もお会いしているので、同意しました)
 さて、このような行政側のやり方は、どう考えればいいのでしょうか。
 1.ついうっかり忘れていた(全くの悪質な怠慢)
 2.新人議員はシカトしても平気だ(今流の言葉で言えば、「スルー」でしょうか)
 3.議運の委員長の発言は、従わなくて平気だ(議会の軽視)
 日頃、議運の委員長には町役場管理職は虐められているようですから、意図的シカトでお返ししたと言うことなのでしょうか。これこそまさに、行政と議会の「チェックアンドバランス」の見本なのでしょうか。
 それにしても、これらの対応は、町長総務部長の了解の元に行われたのでしょうか。それとも町長総務部長は議会対策の細かいところまで目が回らないのでしょうか。いずれにしても、「湯河原方式」という私の慣用句が出てくる事件でした。
  
 19.09.20 血も涙もない冷血漢 人でなし
 
私の娘が死んでいることは、別に隠しもせずに、プロフにも書いている。だが、湯河原で町議に当選してから僅か4,5ヶ月の間に、二人の人間から娘の死をあげつらって嫌がらせを受けるとは、予想外だった。この比率からすると、湯河原には血も涙もない冷血漢、相手の一番痛がるところを突いて楽しむ輩が、結構たくさんいると言うことなのだろう。それも動機は、ミニコミ誌に書いてあることやこのサイトに書いてあることだと言うのだ。個人的恨みや利害関係ではなく、全くの公的言論表現の範囲なのだ。

 一人目は、前にも書いたストーカー氏で、たかが免許証の住所変更をしていないこと捉えて、「コンプライアンス=法令遵守」違反であるとして、自殺した農林大臣まで引き合いに出して責め立ててきた。娘が自殺している相手に対して、自殺した農林大臣を引き合いに出すのはやり過ぎではないかと指摘したところ、「そんなことで動揺するのか、みっともない」と罵倒されてしまった。
 この人は、夜10時にローソンまで呼び出しを掛けてきたので、近所の支持者の人に店の中に入ってもらい、私は離れたところから覗いてみて、挙動不審者一人を絞り込んでいる。それが20歳前後、近所に住む某氏ということなのだ。メールアカウントは、tooと英語になっている。

 二人目は、メールできたのだが、一見文言だけでは同情しているようでいて、実はこっちが一番痛がるところを大げさについて、苦しませてやろうという意図が見え見えのメールである。何しろ、挨拶もなければ、自己紹介もなく、サイトを読みましたの前段もなく、拡大文字の太文字で、娘が死んだの、冥福を祈るだの、これ見よがしに書いているのである。
 メールアカウント、「ヤマネ」となっているが、動物好きなのだろうか。動物が好きだからと言って、人間に対して冷たくないという訳ではない。ナチスにも動物愛好者はたくさんいたことだろう。

 19.09.18 追加 面白い投書
 
 19.09.18 委員会傍聴 友好都市
 委員会を傍聴してきましたが、なにしろ委員ではなくあくまでも傍聴なので、歯がゆいことが多々あります。例えば、友好都市の話。友好都市の目的・効果とは何なのか。
 1.同業同種の都市と情報交換して、観光行政に役立てる
 2.異業異種の都市と情報交換して、見識を広める
 3.観光客として来てくれそうな都市と仲良くする
さて、これらの内、どれなのかによって、相手の都市の選定が決まってくるでしょう。湯河原と同じような、温泉があって、山があって、となると、その都市から観光客が湯河原に来てくれる可能性は少ないでしょう。逆に、海が無く温泉が無く寒い地方であると、湯河原に来てくれる可能性が大きいでしょう。
 何しろ、税金を使ってやる事業ですから、どういう効果を目的としてやるのか、はっきりさせる必要があるでしょう。友好都市を口実にして、物見遊山飲み食い付きの視察を税金でやりたいと言うことであれば、議員管理職の皆さんが遊びに行きたいところを選べばよろしい。ただし、韓国はダメですよ。都市の方針ではなく、国の方針で関係が変更されますから。何しろ戦後60年たっても、今でもまだ日本協力者の氏名を公表して、財産を没収するという政策をとっている国ですから。

 なお、熱海市から提案のあった屎尿処理の共同化は、熱海市長の行財政改革方針のために凍結となったそうです。つまりやらなくても済むお話だった訳です。逆に言えば、少なくとも湯河原には行財政改革の方針はないようです。

 19.09.15 バス路線の論理 (本会議での私の一般質問)
 「利用者が少ないからバスが不便なのか、バスが不便だから利用者が少ないのか」というお話があります。これを逆にすると、
 「バスが便利だから利用者が多い、利用者が多いからバスの便が良くなる」と言うことになる訳です。
 「試しに走らせてみたら、利用者が少なかったから、バス路線は造らなかった」とか、
 「今現在利用者が少ないからバスの本数は不便なままでいい」、と言うことにしておくと、なかなか利用者が増えることは難しいでしょう。 逆に、
 「今は利用者が少ないが、暫く走らせてみて、利用者が増えるかどうか確認したい」という考え方があるでしょう。バスが便利であれば、今まで自転車で駅まで出ていた人がバスに乗るようになるかも知れません。今まで余り遠出しなかった老人が、バスに乗って出掛けるようになるかも知れません。車を2台持っていた家庭が、1台減らすかも知れません。土地を探している人が、バスの便がいいからそこに土地を買って引っ越してくるかも知れません。
 もちろん何時までも赤字でバスを運行してはいられませんから、これは時間としては3年間ではないでしょうか。ある程度住民の利用が見込まれる地区で、バス便がないと住民の足がない地区では、町が補助してバス路線を整備すべきでしょう。採算については、少なくとも3年は様子を見る必要があるでしょう。
 ましてや兎沢の路線のように、川堀地区が所帯数300の時に住民の署名運動があったからと言って、今現在700所帯では全く住民の意向も違っているかもしれないのに、何時までもバスが不便なままでいいと言うことにはならないでしょう。

 こういう質問を9月本会議でやってきました。その内ミニコミ誌にして配布するつもりです。

 19.09.14 本会議二日目 答弁のあり方 その2
 これはどう考えたらいいのか、湯河原の人たちに聞いてみたいところですが、もう一つの質問の答弁で、こんなことがありました。
 防災無線のサイレンの音量を緊急性に応じて2段階に使い分けられないのかと質問したところ、「湯河原町役場の防災無線の装置には、そのような機能はありません」という答弁で終わっています。そこで私は、「それでは装置を見せてもらえるか」と尋ねたところ、見せてもらえるという返事でした。そこで今日、装置を見せてもらったのですが、私としては音量切り替え機能付加の方法が分からないので、自腹を切って業者を連れてきて、どうやったら音を大小切り替えることができるようになるのか、見積書を作ってもらうことにしました。そこで尋ねてみました。「音響や電気の専門家を連れてきて、見せてもらえるかどうか」。その回答はOKということでした。
 
さてここで疑問です。
 たとえ話をすると、「役場の玄関の自動ドアのセンサーの向きが悪いので、どうにかならないのか」という質問に対して、「当役場の自動ドアのセンサーには、向きを変える機能はありません」と答弁したら、どうだろう?もしくは、「外灯の間隔が広くて、道が暗いのだが、どうにかならないのか」という質問に対して、「外灯は可動式ではないので、位置は動かせません」という回答をしたらどうだろうか?
 議員が直接装置を見たいという申し出があったり、議員が自腹で業者を呼んで見積もりを作ってもらうという話が出たりしたら、これは行政当局にとっては、ゆゆしき事態だと私が現役の時には受け止めたものですが、どうも湯河原では私の感覚は通用しません。是非とも一般町民の方のご意見を伺いたいものです。

 19.09.13 本会議での答弁のあり方
 今日13日は議会本会議初日でした。私は一般質問のトップバッターを務めてきました。三点質問しましたが、一つ議会おける答弁としては首をかしげるものがありました。過去において試行したコミュニティバスの収支について質問したところ、企画課長はこう答弁しました。
 「収入は、試行した時に、福浦では1台○人で、宮上(若草山)では○人で、一人200円として、売り上げは計算できると思います」
 「経費は、現行のコミュニティバスの場合ですと、バス1台で年間1500万円になりますので、収支は計算できると思います」
これで答弁が終わっています。
 つまり、議会における答弁で、企画課長は結果としての数値を示すことなく、議員にその場で暗算しろと答えている訳です。この様な答弁は如何なものかと思って、総務部長か町長が追加答弁をするのならばできるように、私は少し間をおきました。しかし、残念ながら追加答弁はありませんでした。追加答弁とは、例えば、「企画課長の答弁に補足します。収支の結果については、後日紙に書いてお渡しします」といったものです。
 さて、私の感覚と町長総務部長企画課長の感覚が同じであるとは限りません。違っていて当然です。そこで湯河原の有権者の皆さんはどうお考えになるのか、是非とも知りたいところです。

 19.09.12 暴走車改造車騒音車
 夜の11時から深夜1時にかけて、駅前から交番の前を通って、宮上方面に疾走する車があります。どうやらマニュアルミッションの乗用車らしく、加速してシフトアップするたびに、クラッチを切ると、アクセルを踏んで空ぶかしを入れて、わざと大きな騒音をまき散らしているようです。勿論排気系にも手を加えているようです。その昔、自動車教習所では、シフトの際には、アクセルをオフにして負荷が掛かる前にクラッチを切って、アイドリング状態でギヤを入れ替えて、アクセルを踏み込みながらクラッッチを放して、スムーズなシフトワークをするようにと教わったものなのだが、今日では、派手に空ぶかしをするのが格好いいシフトワークとなっているようだ。こういうくだらないところで自己主張をしなくても、他に自己実現を図る場はこの運転手にはないのだろうか。
 どうも年のせいか、夜暗くなってから外に出る習慣はないのだが、その内交番の前にでも行って、どんな車で、どんな人物なのか、じっくり観察してみたいものです。

 19.09.11 ボランティアとは
 今日いつもの店で昼食を取っていたら、元議員という人があれこれ話しかけてきて、煩くて叶わなかった。曰く「ボランティアをやれ」「町の人と一緒に汗を掛け」「議員の誰々さんだって○○の団体に入っている」・・・というものでした。どうもボランティアというものの考え方に偏りがあるようです。「汗をかく」のがボランティア?、「町の人と一緒にやる」のがボランティア?、議員がボランティア団体に入るって、選挙運動とどう違うのか?さらに町から補助金をもらったり、活動していない人たちから会費を集めている団体をボランティアと呼べるのかどうか、と言う論争もありました。
 私から見れば、ボランティアというものは、手弁当でやるもの、役場からは補助金をもらわない、せいぜい会場を借りたり、コピーを取らせてもらう程度とする(例を挙げれば、阪神大震災の時に、「ボランティアに行くから東京から神戸までの交通費を出してくれ」とか「泊まる場所と食事を提供してくれ」と言ったらどうなるのでしょうか)。
 さらに、団体でやらなくても個人でやっても、ボランティアはボランティア。汗をかく体を使った種目でなくても、ボランティアはボランティア。例えば、役場に情報公開を求めて、色々な事業の収支やおかしな公金に支出について調べて、町民に問題提起するのもボランティアではないでしょうか。そして各人が自分の得意な分野で得意なやり方でやれば、それでボランティアになるのではないでしょうか。
 私の場合は、ミニコミ誌も年間100万円以上掛かっていますが、ある意味ではボランティアの範疇に入ると思っています。「議員報酬があるだろう」と言われるかも知れませんが、議員報酬には議会への出席などの責任が伴いますが、ミニコミ誌の発行は議員報酬の義務としてやっている訳ではありません。当然ミニコミ誌など出していない議員がたくさんいます。ホームページも同様です。プロバイダーとNTTのADSLで年間15万円くらいでしょうか。さらにホームページ作成にプロの手を借りて、20万以上払っています。これらは全部手弁当で、広告一つ入っている訳ではありません。政治献金を受けたり、後援会を作って会費をもらっている訳でもありません。
 つまり、個人としても議員としても、無償の社会貢献(つまりボランティア)のやり方はたくさんあって、元議員の考えるようなボランティアだけが社会貢献ではないと言うことです。体を使ってボランティアをやっている元議員より、私の方がより良い政策を打ち出せるかも知れません。よりいっそう住民にまちづくりを広報できるかも知れません。それではミニコミ誌とこのサイトを辞めて、体を使って汗をかくボランティアをやりましょうか?
 そういえば、その元議員からは、「あんたは公共事業推進派の匂いがする」と言われましたが、それは当然のことでしょう。公共事業無しに湯河原100年の計はできませんから。問題は、公共事業で議員個人が金儲けするかどうかでしょう。

 19.09.09 暴走車、改造車、騒音車
 
また見かけましたよ。トヨタのクリーム色のミニバン、48○○。今度は助手席に小さな男の子が乗っていました。やっぱり学校で友達に自慢するのでしょうか。「お父さんの車、かっこいいんだぜ、アクセル踏むと、ぶおーっていい音がするんだ」「お父さん自分でマフラー改造したんだって」他人と差別化を図るのならば、他人迷惑にならないようにドレスアップしてくれ。それで観光客の前を走り回っていれば、いかにも湯河原らしい観光立町になって仕舞うではないか。歩道を歩いていたおばさん集団も、振り返っていましたよ。その帰り道には、エスティマシルバーメタを目撃。まったくのところ、湯河原の皆さんは騒音を出す改造がお好きなようですね。その内写真集でも出版しようかしら。

 そういえば、宮上の理想郷の近く、ここ2年以上も乗用車が路上放置されているのだが、保管場所違反で取り締まられることはないようだ。

 19.09.08 プレス発表 ニュースリリース
 プレス発表の前は、原則として情報はリリースされない。根回しというのは、非公式に情報を流すことである。根回しをするかしないかはその時によって違う。だがプレス発表すれば、その時点で全てのニュースはリリースできることになる。これはいわば情報提供のタイミングの問題である。
 そこで次に出てくるのが、積極的に情報提供するかどうかと言うことである。議員が新聞を見て初めて知ったと言うことでいいのかどうか。それは情報の内容によるだろう。議会へ提案・報告する案件であれば、正式に手続きが決まっている。では議会に提案報告する案件ではないが、重大な案件であったらどうするか。ここで町の姿勢が問われることになる。積極的に議員に情報提供・説明するという姿勢なのか、積極的に情報提供・説明しないという姿勢なのか。当然一部の有力議員にだけ根回しするという選択肢もある。
 湯河原町では、どうも議員に対して積極的な情報提供・説明をするという姿勢はないようだ。通常時に質問・資料提供を求めても、なかなか回答がもらいにくい。特に、企画、財政、庶務と言ったエリート課にその傾向が強いように感じられる。この件については、議会本会議で町長に質問したのだが、「積極的に情報提供・説明するように部下に指示します」という回答はなかった。(議事録を見て下さい)。逆に、古参議員から「議会基本条例をよく見ろ」と不規則発言を頂きました。
 いずれにしろ、私の行政経験30年からすると、「行政側は常に議員に積極的に情報提供・説明する」「それが当然の議会対策である」、と言うものでした。しかし、なかなか自分の感覚と湯河原のやり方とは一致しなくて当然ですから、これからはどうやって説明・情報提供を手に入れるようにするのか、それとも手に入れないで済ませていくのか、思案のしどころです。
 最後に一言、説明・情報提供がないと言うことは、何かまずいことがあるのではないか、という気持ちになります。それ以降は、その疑いの気持ちの上に行動することになるでしょう。

 19.09.07 議会への情報提供
 今日議会事務局より「東海新報」なるものが配られました。そこには、湯河原町の「特別整理班」なるものが載っています。記事によると、どうやら9月1日付にて町役場に設置されたようです。それはそれとして、これも湯河原方式なのかと首をかしげたくなることがあります。それは議会(議員)に対して情報提供が一切無かったこと。発足が1日付ですから、新聞に載ったのが7日で、それを議会事務局が新聞を配るという形で議員に連絡したことになります。
 こう言うことって、湯河原では事前に議員に情報提供すると言うことはないのでしょうか。さらに事後であったとしても、1日に発足したのであれば、少なくとも1日の朝には議員に連絡すべきなのではないでしょうか。しかも不思議なことに1日は土曜日ですから、まさか3日の月曜日に連絡するのではなく、前日の31日に連絡すべきだと思うのですが。
 いずれにしろ、湯河原町では、新聞に載るような機構改革や新たな取り組みがあっても、議員には情報提供しないのが当たり前になっているようです。防衛省の人事では、根回し情報提供の前に新聞報道があったとして、紛糾していました。これは30年の行政経験から言って、おかしな事だと思いますが、湯河原方式というものなのかもしれません。
 ついでに、6月の議会で町長は、定年退職者の人数を年次別にあげて、これを穴埋めしなければ、何年間で何人定数を削減できるという発言をしています。その後どうなったのかと思っていたら、議会事務局長は最近になって、「町のホームページに載っています」と言っていました。そんなことは議員に情報提供はありませんでした。議会で発言したことを具体化した場合には、ちゃんと議会に(議員に)知らせるべきだと思うのは、湯河原では私だけなのでしょうか。それとも湯河原では、「議員の方が常に町のホームページを見て情報収集しないのがいけない」というのでしょうか? いずれにしろじつに不可解な議会対策(長の側からの議会対策)というべきでしょう。

 19.09.06 追加
 
私の基本的スタンスはこんな感じです。
 「今何かをやる場合と、やらない場合と、二つあるとして、それぞれ3年後、5年後、10年後はどうなっているか」「3年後、5年後、10年後の湯河原にとって、どっちがいいのか」を考えて、今の行動を決めています。もちろん外れの場合もあるでしょう。神ではありませんので。その私のスタンスから導かれる主張を見て、有権者として支持できると思えば私を支持し、支持できないと思えば他の候補を支持するか、それとも支持で来る候補者がいないのであれば、私の落選運動をなさればよろしい。選挙は半年後、来年の3月ですよ。普通選挙に基づく民主主義社会ですから、選挙で行動しましょうね。

 19.09.06 議会運営委員会 中学校の社会科
 
 19.09.05 パソコン戻る なんと地元に頼んで廉価で治る
 メーカー修理部からパソコンが戻ってきたのだが、送り状ではメモリーが不良ということで、梱包はメモリーを取り外した状態だった。近所で探した「町の専門家」に相談したところ、在庫のメモリーを入れてもらって、修理完了。僅か正味1時間と掛からなかった。故障を探す手間はメーカー側が負担した訳だが、4万9千に比べれば、遙かに安い料金と時間で済んだのだ。これからは二度とNECの世話にはならないことにした。やはり地元を大事にしていかないといけないと実感した事件だった。
 パソコンが変わると、どれだけ手間が掛かるだろうか。
1.オフィスをインストール
2.一太郎をインストール
3.ホームページビルダーをインストール
4.転送の設定をやり直し(パスワードがどうのこうのと)
5.アウトルックエクスプレスの設定をやり直し(アカウントがどうのこうのと)
6.ADSLのインストール
7.プリンターのインストール
8.メールアドレスの打ち直し(もしくは相手から送ってもらう)
9.過去メールはどうしたらいい?
 メモリーは二つ入っていて、片方が不良で、これを取り外した状態で起動できると言うことを、修理部門は何で教えてくれなかったのだ。知っていれば、起動して必要なデータを別のパソコンに移し替えるという手もあったのだし、メモリー半分で運用するという手もあったのだ。まったくNECは信用ならない。

 19.09.04 パソコン故障 NECは辞めることにした
 デスクが起動しなくなって、買ったところのメーカー直販に送ったのだが、修理はメモリー交換で何と4万9千円だという。これならば新品を買った方がいい。NECはパソコンを始めた時から愛用していたのだが、これで辞めることにした。他には、東芝とソーテックのノートを持っているが、どちらも今のところ故障しない。それで値段の安いソーテックのデスクのXPモデルを買うことにした。入手したら、また全てのアプリケーションを入れて、ネットその他の設定をし直さなければならない。面倒な話だ。
 NECよ、せめて三年保たしてくれ。それとも修理代をもっと安くしてくれ。メモリー交換で5万円というのはひどいのでは無かろうか。最初に買ったNECのデスクは、自分でメモリーを増設して、自分でLANボードを入れたが、特に工賃のかかるような作業ではなかった。今後二度とNECは買わないことにしよう。ビッグローブもそのうち辞めることにしよう。 

 19.09.02 防災訓練
 防災の日で、大地震を想定した防災訓練がありました。中学校のグランドでしたが、色々な取り組みがあって、興味深く視察してきました。やはり最後の真打ち登場、自衛隊の倒壊家屋からの救出訓練は、なかなか練度の高い物でした。それに自衛隊は広報するのが慣れているようです。画像もありますが、デスクトップが故障でノートを代用しているため、画像掲載はデスクが戻ってきてからとします。
 気になったところでは、訓練の会場の隣で、中学生によるテニス部の練習が行われていたこと。2時間くらいのことですが、練習を休むと試合に負けてしまうとか、何か重大な理由があったのでしょうか。この辺りも湯河原の古い地元の人たちとの感覚の違いなのでしょうか。それと議員は全員参加のところが、地元の自主防災活動参加のために欠席した議員がいたこと。この辺りも感覚が違うようです。

 19.09.01 雑論二題 続
 その1 誤字脱字
 住民の方からお手紙を頂いたのだが、ファンレターというより苦情に近いもので、何とそこにも「成願寺」と手書きで書かれていた。地元の人も間違えるのである。やはり200選んでクイズ方式で議員全員と住民有志に出題してみたい物だ。その結果、「やっぱりよそ者は湯河原を知らない」「議員のくせに」と言うことになるのかどうか。
 その2 改造騒音車
 見ましたよ、同じバイク、どうも鍛冶屋に住んでいるみたいですね。ナンバープレートはあるが、ひん曲げで見えないようにしているらしい。アクセルをオフにすると、パンパンとバックファイヤーの爆発音が出るように細工している。同じような細工をした四輪もあるようだが、これで排気系に悪影響は出ないのだろうか。そんなことよりも、湯河原地元の人たちは、どこの誰か知っていると思うのだが、何もしないのだろうか。「湯河原に生まれ育った地元」の皆さんはどう考えているのでしょうか。よそ者の一人としては、是非知りたいところです。
 
 19.08.31 雑論二題
その1 誤字脱字
 町役場職員や町民の方から、誤字脱字等でお教えを頂くことが多々ある。もちろん誤字脱字をお教えいただくことは有り難くお受けしているのだが、一つ二つお返しをしておきたい。
 @誤字脱字という細かなことばかりに知性を使っていると、大胆な発想や改革の意欲が損なわれてしまいかねない(敵方はそれを知っていてわざと細かな間違いを大げさに突いてくるのだが)、
 A批判をしてくる人たち全員に2000文字の論文を書いて貰って、それを私が採点することにしたらどうだろうか、
 B地名や施設名(この場合は成願寺なのだが)について、湯河原町全域から200選んで、町民にクイズ方式で出したとして、正解率はどのくらいだろうか、
 いずれにしろ、些細な誤字脱字や地名施設名の変換違いくらいでしか突っ込みが入れられないというのは、その人の知性と人格を物語っていることになると思うのだが。もちろんいうまでもなく、誤字脱字を訂正しないと言うことではない。
その2 改造車
 役場に出勤する時に、見ましたね、近くでまじまじと、改造バイク。役場の前から駅前の方に行きましたね。ナンバープレートを付けていないのか曲げているのか、さっぱり見えませんでした。あれで役場の前から駅の前から交番の前まで日常的に走り回って、誰からも何も言われないという経験を積んでいくと、ますます遵法精神は損なわれていって、感覚が麻痺した若者が次に何をしでかすことになるやら。
 町の補助金をもらって、青少年健全育成や交通安全に取り組んでいる皆さん、公務員が給与に見合う仕事をしろと言われるのと同じではありませんか?

 19.08.30 ホームページのURL

 19.08.27 また通勤開始
 9月議会が近づいてきたので、また出勤を始めた。毎日議会控え室に出勤して、19年度予算書その他を読んでいる。不明点があると、メモ書きして担当課長のところに持って行くことにした。やはりメモ書きの方が先方の時間の負担が少ないし、こちらも手元に残るので勘違いが無くなる。一般質問の方は、既に草稿ができているので、これから推敲仕上げとしたい。

 19.08.25 道路工事の事前広報と現場の掲示板
 
 19.08.23 改造車騒音車
 近所で何時までも改造騒音車の音がしていると思ったら、1階が洋菓子屋さんになっているアパートの前の駐車場、前々から50CCモンキーの改造車が止まっているのだが、それがまた出たり入ったりしていたようだ。
 音を大きくしたバイクに乗っていると、何か楽しいのだろうか。それも一番小さいバイクを改造して、大きな音にすると、特別な快感があるのだろうか。モノが大きい小さいというコンプレックスがどうのこうのとか、ネクタイに拘るのは男性性器への拘りだとか、心理学ではあれこれ解説されているのだが。

 19.08.21 お祭りは町がやるものなのか?
 
 19.08.20 一部削除 湯河原方式
 

 19.08.18 高額滞納者 改造車
 改造車については、2ストに手を加えると、パンパンパンと豆を煎るような爆発音がするようになることがある。これで本人は格好いいような気分になって乗り回す訳である。回りはいい迷惑である。マシーンをいじるのであれば、他人迷惑にならないようにいじってくれ。50ccの402番さん、このブログを見ているかな。

 19.08.17 町議会 委員会
 
 19.08.15 改造車・暴走車・改造騒音車
 そのつもりになって町を歩いていると、結構見かけるものだ。定義付けを煩く言われるといけないので、改造車・暴走車・改造騒音車と長い見出しを付けておいたが、要するに異常に大きな音が出るように改造した車や、ナンバープレート、スモークなどの違法改造をしたとおぼしき車のことである。勿論最終判断は警察がすることである。
 エスティマシルバーメタとか、白のミニバン46○○とか、今日も見かけた。
 それにしても不思議なのが、ミニバンは助手席に小さな女の子を乗せていたのだが、父親は子供にどう説明するのだろう。「お父さんの車は格好いいだろう。自分でマフラーを改造して、大きな音がするようにしているんだよ」。すると子供は学校に行って友達に自慢することになるのだろうか。「うちのお父さんの車は格好いいんだよ。マフラー改造して大きな音が出るようになっているの。止まっている時はごろごろ言っていて、アクセル踏む込むとゴーってすごい音がするんだよ」「今度乗せてあげようか」。
 この説明って、「うちのお父さんすごいんだよ、酔っぱらい運転しても、裏道知っているから、絶対に捕まらないんだって」と自慢しているのと大して変わらないように思えるのだが。こういう子供がどういう大人になるのだろうか。そしてそのまた子供は?

 19.08.13 追加
 

 19.08.13 議事録は抄録か速記録か
 
 19.08.12 「割れたガラス窓の理論」
 これは元々英語Broken Windows Theoryの訳語なので、どの訳が正しいかという決定版はないだろう。私は勝手に、割れたガラス窓の理論と言っている。
 私が初めて聞いた時の解説では、「ニューヨークの地下鉄で、割れたガラス窓をそのままにしておくと、どんどん割られてしまう。綺麗に直しておくと、割りづらくなる」というものでした。たばこが1本捨ててあると、2本目を捨てやすくなる、というところでしょうか。今ではあっちこっちで実践されていて、評価もあるようです。興味のある方は調べてみて下さい。
 この理論については、幾つかの課題があると思っています。一つは、「取り締まりのラインをどこに引くか」と言うこと。どんな小さな犯罪違反であっても、と言うことになると、取り締まり不可能になるでしょう。市民の日常生活にも影響が出ます。いい例が、交通違反、一切の違反をしないと言うことになると、日本経済はどれだけ落ち込むでしょうか。二つには、「無限のモグラ叩きをする覚悟」が必要だと言うこと。一旦ラインを決めたら、そこをはみ出るものはすべからく取り締まらなければ効果が台無しになる訳ですから、こういう覚悟が必要になります。三つには、この理論を素人が実践しようとすると、とかく「脚下照顧」になって、どうでも良い些事には熱心になって、大きな違反犯罪には知らん顔をする傾向があること。(脚下照顧:靴の位置は直せるが、虐めは指導できない とか)
 さて、町長、小田原警察署、交通安全協会、防犯協会、区会、交通安全母の会、といったお歴々は、どういう考えなのでしょうか。改造車暴走車が跋扈する町が、観光立町、相模の小京都に相応しいでしょうか? 駅前の浮浪者のたむろは? 公園道路の犬の糞は?・・・・・・・

 ストーカー氏のために特別に一言。免許証の住所変更をしていないことをコンプライアンス(法令遵守)違反として、取り立てて騒ぐことは、あなたがそれ以上の大きな違反犯罪に、それ以上の熱意を注いでいるのでない限り、結局は気まぐれ自分勝手魔女狩り言葉狩りジコチュウ卑怯者と言われてもしょうがないでしょう。

 19.08.11 続き 一部削除
 
暑くて頭の働きが悪いので、9日の続きを少々。 (そういえば、前回のストーカー氏も、電話で声を晒し、メールでアドレスを晒し、コンビニに呼び出して、コンビニにいたそれとおぼしき人物は近所で自宅も名前を把握されて・・・・全然怖くないのだろうか)
 改造騒音バイクをまた直近の位置で見かけた。デジカメでは間に合わないし、音が入らないので、今度はデジタルビデオカメラを買うことにしようか。これもミニコミ誌と同じで、議員活動としての必要経費であろう。その内画像がたまったら、「湯河原観光立町暴走改造車編 これが湯河原の観光立町か」と銘打って、街頭公開・無料配布しようかと思うのだが。
 吸排気系を改造してアクセルオフの時に爆発音が出るようにしている黒のバイクとか、サーフィンボードを載せて千歳橋から国道を吉浜めがけて疾走する黒のスクーターとか、バイクではなく四輪でも、GT-R(?エンブレムだけR)、白のミニバン1600クラス、白のライトバンローダウン気味、青のランクルプラドなども見かける。
 「湯河原では改造車で爆音を蹴立てて走っても平気だ」という住民意識が定着してしまうと、困ったことになると思うのだが。「割れたガラス窓の理論」なんて言うのもあるのだが。

 19.08.09 湯河原方式 早朝の電話 削除
 
 19.08.08 改造車暴走車
 小田原警察署も交通安全協会も、これと言って有効な手が打てないようだが、その気になればやれるのでは無かろうか。まず何と言っても車両の特定であるが、毎日のように午前1時頃になると、湯河原駅近辺からバス通りを海岸の方にカッ飛んでいく改造車暴走車がある。結構長いこと爆音が聞こえているので、国道に出て真鶴方面に行っているのか、それとも途中で曲がって鍛冶屋吉浜方面であろうか。時間から言うと、パチンコ屋で遊ぶか働くかして、終わったら帰るのであろうか。また午前5時15分頃、毎日のように宮上方面からバス通りを駅前を通って、国道の方にカッ飛んでいく暴走車改造車がある。時間からして、早朝勤務なのか、それとも深夜勤務明けなのだろうか。他にも、赤のエスティマ83○○というのもある。夜11時頃温泉場に向けて交番の前をカッ飛んでいく暴走車改造車もある。
 こういった車両は、安全協会がその気になれば、結構特定できるのでは無かろうか。駅前近辺の人の情報の次に、中央地区の人から、「その車両は、国道を真鶴方面に行く」、次に吉浜小道地蔵近辺の人から、「船付けで旧道に入る」、さらに・・・・・とやっていけば、起点終点が特定できるのでは無かろうか。特定できれば、後は警察の出番である。

 19.08.07 無税国家構想
 ヤフーのニュースを見ていたら、どこかの自治体の長が、住民税を無しにするという話が載っていた。下地は、松下幸之助の「無税国家構想」なのだそうだ。これはそんなに難しいことではない。ましてその自治体では、住民税を無しにするだけなのである。例えば、固定資産税のシェアが高い自治体であれば、そんなに難しくないだろう。優良企業のある自治体であれば、個人住民税無しで法人住民税だけにすると言う姑息な手もあり得る。
 
自治体ではなく国家全体ならば、もっと簡単である。特定の事業を国営とすればいいのである。例えば、銀行を全て国営にしてしまう。これはユダヤの商法にからめて、私のサイトのどこかで論じている。酒たばこギャンブル麻薬などの嗜好品を全て国営販売とすることも考えられる。国営にしなくても、税として特定の商品・サービス・事業にのみ課税して、個人の所得税を廃止することは難しくはない。風俗水商売ギャンブルにだけ特別高い消費税を課すという方法もある。
 いずれにしろ、大して意味のない思い付きを何故マスコミは大きく取り上げるのであろうか。当然のこと、松下政経塾とマスコミの絡みとか、その長個人や所属政党とマスコミとの絡みなどがあるのであろう。逆に私のように、絡みが無いどころか、マスコミは一切シカトすることになっている内部告発をやった人間は、幾らサイトに無税国家構想を書いても、たとえ選挙運動無し宣伝カー無しで当選しても、マスコミは取り上げないのである。

 19.08.06 DNA関係の研究施設
 

 19.08.05 ストーカーと改造車
 
 19.08.04 湯河原方式
 

 19.07.31 津波災害訓練
 

 19.07.28 イノシシはダメだ、それなら何がいいのか?
 とある地元の人と立ち話になって、イノシシが良く出て畑を荒らすというお話になった。そこでイノシシ料理の店はどうかと聞いたところ、返ってきた答えが、「イノシシはダメだよ」「商売にならないよ」でした。そこから先突っ込みは入れなかったのですが、今まで色々な人の話しを聞いたところでは、相当数の元々地元の人の共通項として、「では、何がいいのですか?」と聞くと、必ず返ってくるのが、「古き良き温泉場の賑わい」「観光バスを連ねて団体客がやってきて、温泉場を浴衣を着た観光客がぞろぞろ歩いている」という「過去の栄光」というものがあるようです。
 そのような過去の栄光をもう一度というのは、なかなか難しいのではないでしょうか。やはり観光立町に加えて、他の柱を追加することと、鈴木一郎を喩えにあげたように、小さなヒットを幾つも積み重ねていくことが必要なのではないでしょうか。他の柱の追加については、政策のページに書いてある「老人立町」のことですが、追々書いていくことにします。

 19.07.27 電話・メール
 

 19.07.21 モノレールの話
 早速情報を頂きました。有り難うございました。
 よくよく考えてみると、設置の条件が難しくて、意外と町の予算はそれ程使わないのでは無かろうか。例えば、道幅の問題。広ければ真ん中にレールを置いて、両側を人が歩くことができるが、レールを越えて歩くことが難しくなる。狭ければ片方にレールを寄せる訳だが、レール側に家などがあれば、これもまたレールを越えるのが難しくなる。結局のところ、レールをまたがないで済む条件の場所になる。
 都合がいいのは、片側にしか家がないとか、モノレール専用道にして、通常のエレベーターと廊下の関係の如く、水平方向への道路に次々と接続していくとか、車の通る道から集落の真ん中へ新規にレールを通すとか、限られた条件の場所になるだろう。とすると結果として設置できる場所が少なくて、町の予算はそれ程の金額ではなくなるのでは無かろうか。
 それにしても、不便な地域の交通アクセスができることは、町として積極的に取り組むべき事であろう。山の上の「○○の里」や「○○林道」よりよっぽど住民のためになると思うのだが。

 19.07.20 農林業用モノレールを人間用に使えるか?
 福浦を歩いていて、地元の人とお喋りになったのだが、ああいう急傾斜地に住宅が密集している地域では、道路整備をすることが難しい。救急車を呼んでも、タンカを運び上げるだけで途中で一息入れなければならないくらいだそうです。そこで考えたのだが、ミカン畑や林業などで使っているモノレール、テレビで見ていたら、林業用では人間がトロッコのようなものに乗って移動していた。あれはどうなのだろう、人間運搬用に使っても問題はないのだろうか。
 通常の人間の移動用には使わずに、車いすやタンカなどの場合や、重たい荷物を運ぶ時に限定するとして、もし使えるタイプがあるのであれば、道路整備の代わりに、町がモノレールを設置したらどうであろうか。設置後の管理運行は地元に任せるとして、これからの高齢化社会、より少ない経費で、より大きな住民福祉が実現できると思うのだが、どこへいけばモノレールの運行基準について調べられるのだろうか。

 19.07.19 町役場にはシャワーがない?
 
 19.07.16 イノシシ料理、シカ料理
 ある人と森林の保全について話し合っていたところ(詳細は、政策のページ)、「丹沢のシカが段々移ってきていて、湯河原にも現れるのは時間の問題だ」「なるほど、シカによる食害ですね」「どこかに境界線を設けて、有害鳥獣の駆除をしないと」
 そこでハタと思い付いたのだが、湯河原ではイノシシが多く徘徊して、迷惑しているという。それではいっそのこと、イノシシ料理とシカ料理の店を出して、東京横浜方面に宣伝して、客を呼んだらどうだろう。結構流行るのでは無かろうか。場所は、鍛冶屋の幕山のあたりがいいだろう。マスも捕れるので、魚がいい人にはマスを出すことにすればいい。
 必要なものは、土地と金を出す人、料理と仕入れのできる人、宣伝営業のできる人、この三人である。昔イノシシ鍋とクマ鍋とシカ刺しを食べたことがあるが、結構いけると思う。湯河原で最低1軒の店が成り立つだけの客は掴めるだろう。問題は、誰がやるかである。全ては人なのだから。
 これで、鉄道マニアの店と、伊丹十三記念館と、イノシシとシカ料理の店で、合計3店の店のアイデアを出した。鈴木一郎であれば、ヒット三本であろうか。

 19.07.15 湯河原を知らない その2
 
とある会合で、参加人数は多かったのですが、私は敬遠されているのか、話しかけてくれる人は少数でした。その中である人が曰く、
 「もっと湯河原を知って下さい」 
もちろん「勉強したいと思っています」と回答したのだが、その次の質問が傑作でした。
 「第7分団がどこにあるか知っていますか?」
 「え〜と バス通りの警察の先の」
 「あれは第3分団」
 「第7分団は、・・・・・・・・・」
 「だから湯河原のことを知らないでしょ」
 
交通安全協会の質問と同じですね。これが湯河原をよく知っている人たちの平均的感覚だと言うことなのでしょうか?「湯河原をよく知っている」というのは、先祖代々湯河原に住んでいるという意味なのでしょうか。
 
 19.07.13 削除の予告
 段々長くなってきましたので、最初の頃を少しづつ削除します。例えば、07.12のレイちゃんの話などは、時間が経ったら削除します。削除することについて、疑問を呈したり、疑いの目で見る人がいるといけませんので、今の内にどこに何が書いてあるのかよくよく見ておいておいて下さい。

 19.07.12 二本目 犬のレイおばあちゃん
 
 19.07.12 交通安全協会湯河原支部との遣り取り
 07.06に記しましたが、小田原交通安全協会湯河原支部長より頂いた質問書について、質問書と私が書いた小田原警察署への手紙と私の回答書を全て公開することにします。判断は有権者であり納税者であり住民である湯河原の皆さんにお任せします。私が赤っ恥を掻く可能性があることも十分覚悟しています。
 質問書、小田原警察署へのお手紙、回答書


 19.07.09 湯河原方式を二つ 湯河原の市民意識
 

 19.07.06 交通安全協会
 
 19.07.03 再びストーカー
 
 19.07.02 自己責任 自助努力
 
 19.07.01 混乱防止のために、現物コピーを掲載
 
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 19.06.30 町内の人口動態調査
 湯河原を歩いていると、住宅の新築が多いような気がする。ところが人口は増えていない。自然増は少子化で静止人口になるとしても、社会増(転入者)が少ないのはなぜだろう。新築の住宅に移り住んだ人は、どこから移ったのだろう? もし町内からの移転、例えば親と同居していた子供が家を買って独立したというケースが多いのであろうか。それともよそから、例えば定年退職者とか、近隣に仕事を持っている子育て世代とかが、移ってきているのだろうか。
 それを知りたいと思って、まず最初に、住宅の新築件数の把握から始めた。これは固定資産税の家屋の評価件数を税務課にお願いした。その次は、住民課で、町内移転の件数と転入者の件数を教えてもらう。その次は・・・・・・
 その結果によっては、既存の住宅地に、老人ばかりの地帯ができているとか、そこが10年後には無人地帯になるかも知れないとか判明するかも知れない。そうなると、安全上どうなのかとか、場合によっては町が買い取って公園や避難場所を作るとか、面的再開発をするとか、色々考えることができる。
 将来的には、住宅地図に全ての情報を反映させた、「地域情報システム」を作りたい物だ。それができれば、例えば、「高齢者だけの世帯を表示せよ」と命じると、住宅地図に赤い点で分布が表示されるとか。未就学児を表示させると、通学圏や通学ルートが検討できるとか。何かと便利になると思うのだが。高機能消防司令システムより役に立つと思うのだが、どうだろうか?

 19.06.28 災い転じて福となす
 国際交流関係のことをミニコミ誌に書いたのだが、今日責任者の方から説明を聞くことができた。国際交流のことは勿論のこと、お話が弾んで1時間半くらいお喋りしてしまったのだが、じつに勉強になった。これからの活動に生かしていきたい。

 19.06.24 「湯河原を知らない」
 「君は湯河原を知らない。もっと勉強しろ」と言われることが良くある。確かに知識情報は大切である。私も大いに勉強したいと思っている。それはそれとして、面白いので、ここで少し言い返してみることにした。

 
(1)湯河原をよく知っている人が今まで何をしてきたのか。
 町の財政問題にしろ、地元産業の発展衰退にしろ、住民の民度にしろ、犯罪・違反にしろ、これらは古い人たち、それこそ何百年も前から湯河原に住んでいる人たちが招いたことなのではなかろうか。古くてよく知っている人たちは、少なくとも、対策を今まで何をやってきたのだろうか。そしてどんな効果が上がっているのだろうか。それとも、すべからく新住民が原因なのだというのだろうか。

 (2)湯河原を知っているというのは、自分の地域、血縁、仕事関係という湯河原町の中のほんの一部を知っているということなのではないか。
 旧土肥村の人と旧吉浜村の人との関係を今でも聞くことがある。例えば、川堀の人は温泉場のことをよく知っているのだろうか。例えば、門川の人は福浦のことをよく知っているのだろうか。温泉旅館の人はミカン農家のことをよく知っているのだろうか。全ての古い人は湯河原町の全てを知っているのだろうか。「浅く広く」ならば、よそから来た者の方がよく見えると言うこともありうるのではなかろうか。

 (3)後から湯河原に引っ越してきたものは、古くからいる者と同等の知識が身につくまで、発言も行動もしてはいけないのか。
 こういう言い分を公的な場で主張できるのであれば、町長選挙の時に、「湯河原土着の人だけの、湯河原土着の人だけによる、湯河原土着の人だけのための政治」というものを主張してみたらいいだろう。

 ちなみに、新町長は「外部に委託してアイデアを出してもらう」といっていた。なかなか進歩的な考え方だと思う。ついでにこれにも反論しておくと、「それでは今現在湯河原に住んでいる外部から来た者の存在はどうなるのであろうか?」「高い金払って委託した外部の者の声には耳を傾けるが、既に住んでいて税金払っている外部出身者の声は無視するということなのであろうか?」 外部の委託先が湯河原のことをよく知っているとは思えないのだが。

 19.06.22 ユーロが上がっている
 ユーロがまた上がっている。どうも週末の日本市場が休みの時に特に上がるような気がする。確か3年前は、140円くらいだと思ったのだが。この動きは、必ずや日本にとっては厳しいものになるのではなかろうか。JAの食料品への関税問題で意見書を出している時期ではないと思うのだが、この考えが理解されるのは難しいだろう。

 19.06.21 また投書、匿名が、町役場に
 
 19.06.19 追加 「自由人」の手紙
 
 19.06.19 議会運営の妙味
 
議会は今日10時から最終回の本会議がありました。その前に9時から議会運営委員会があった訳ですが、私は委員ではないので出席していませんでした。本会議終了後、11時半頃議会事務局長から呼ばれて、お手紙を渡されました。それは「自由人」を名乗る匿名の方で、私のミニコミ誌について、あれこれと批判が書いてありました。事務局長の説明では、一つの封筒に議長宛と私宛と二通入れてあったそうです。さて、私の言う「妙味」とは、お手紙の中身ではなく、湯河原町議会における議長宛、議員宛の手紙の扱い方についてでした。

 
まず第一に、公文書としての収受の日が、6月15日になっているにもかかわらず、私が受け取ったのは、6月19日11時半であること。15日は委員会の日でしたので、当然出席していました。その後土曜日曜を挟んで、18日月曜日もいつもの通り「出勤」して、11時まで会派室にいました。勿論何も話しはありませんでした。その後についても、議員は携帯電話まで事務局に登録していますので、幾らでも連絡が取れたはずなのに、何も連絡がありませんでした。

 第二に、19日9時開催の議会運営委員会で議長宛の手紙が配布されたそうですが、当事者である私が出席していない委員会で私を名指ししている手紙を配布するのは、まずくはないのでしょうか。

 第三に、委員会で配布するためには、当然のこと手紙の宛先である議長と、議会運営委員会の委員長が事前に知っていると言うことになるでしょうが、何時どうやって連絡を取って意志決定したのでしょうか。

 第三に、委員長が事前に意志決定をして、委員会で配布するに当たって、もう一人の当事者である私に連絡も取らず、出席も求めずに済ませたと言うことは、一体どういう事なのでしょうか。

 第四に、議会運営委員会終了後本会議まで30分近くの時間があります。その間、議会運営委員会の委員長からは何の一声もありませんでした。連絡を受けたのは、本会議の席上で本会議開始直前に、事務局長から「お渡しするものがあります」と言われたのが、最初でした。

 第五に、議会事務局は、議会運営委員会委員長には連絡を取って扱いの指示を仰いだにもかかわらず、当事者である私には意図的に連絡を取らずに放置したと言うことになります。

 こういう扱い、こういう議会運営をすることが、湯河原では当たり前なのでしょうか。議会運営委員会委員長、各委員、傍聴議員、事務局長そういう人たちにとっては、これが当然のやり方と言うことなのでしょうか。

 この手紙がこういう扱いを受けたと言うことは、真摯な気持ちで湯河原の将来を思って手紙を書いた「自由人」の方にとっても、喜ばしいことではないと思うのですが、皆さんはどうお考えになりますか?

 19.06.18 湯河原には面白い店
 
 19.06.18 またまたストーカーから電話が来る メールも来る、小田原警察署に相談する
 

 19.06.17 ストーカー遂に姿を現す
 
 19.06.17 消防の訓練
 消防の訓練を見ていると、どうしても「気合い」が入っていないように見えます。そう思うのは私一人だけではないらしく、消防の近所の人が同じこと言っていました。「朝の体操は一体何だ、体操になっていない」だそうです。私は現役の頃、東京消防庁の訓練を見ることがありましたが、気合いが入っていて、気勢を上げて、号令を掛けて、団体行動で訓練をしていました。広い歩道などで、隊列を組んで、号令を掛けて走っている姿や、集団行動としての体操を見ていましたので、湯河原町の消防の訓練を見ていると、歩いているんだか走っているんだか分からない状態で、しかも服装も私服何だか制服何だか分からない格好で、ダラダラ訓練をしているように見受けられます。
 何事も、「町民からどう見られるか」が大切ですし、訓練も本来の出動時と同様の服装で(服も靴も)やるべきでしょう。そうしないと訓練にもならないし、町民の信頼を得ることも難しいでしょう。

 19.06.16 スローフード
 
スローフードの委員会では、町も何千万か掛けているのだから、業者に請求するとかしないとか言う意見が出ていました。私見では、町長と町議会が協力を決めたことですから、業者に詐欺行為でもない限り、業者に請求することは難しいでしょう。それよりも、町長と町議会は町民に対しては、結果責任を取るべきでしょう。といっても町民の皆さんには選択肢の幅が狭すぎて、結局同じような顔ぶれの中から選ばなければならないことになるのでしょう。

 19.06.15 ストーカーその2
 
 19.06.14 しつこいストーカー現る

 19.06.13 トラとお釈迦様
 
 19.06.12 顔役政治、ボス政治
 自分としては初めての委員会に出席しました。傍聴は何回かありますが、委員としては初めてでした。これに出て大きな驚きだったのが、委員会の議事進行は傍聴席からの不規則発言によって執り行われていると言うこと。声の大きな人がいて(私も結構大声が出せますが)、その人のいわゆる「ヤジ」で委員の発言が封じられたり、委員長の議事進行が変更されたりして、なかなかの見物でした。
 こういのを「顔役政治」「ボス政治」というのでしょうか。30年も前の国会みたいで、私にとっては新鮮な驚きでした。勿論ヤジに言い負かされる委員についても。将来私が委員長の席に座るようなことがあれば、即退場を命ずるところですが。こういう事態が解消正常化されるには、あと10年くらいは必要でしょうか。それとも4年でしょうか。

 19.06.11 偽物か?勘違いか?老人用迷子符だ
 先日中央を歩いていて、道ばたの老人と挨拶したところ、首からネームプレートを提げていたので、お話を聞いてみた。その老人の話では、「町役場でもらった」「1500円だった」。中を見せてもらうと、表には住所氏名血液型、裏には子供孫等の連絡先が印刷してある。首から提げるヒモは、役場などで使っているものと同様である。それについて、今日町役場で確認してみたところ、町ではそのようなものは発行していないという。
 さてそこで知りたいのは、どこの誰が発行しているのか、1500円というのは、どういう料金なのか。何しろ老人のことなので、本人からのお話では、はっきりしないのだが、どなたかご存じではないでしょうか?まさか「消防署の方から来ました」という消火器と同じではないと思うのだが。

 19.06.10 バス路線に見る行政と政治のねじれ
 
 19.06.08 議会の品位 その2
 
 19.06.08 議会の品位 その1
 
 19.06.04 ふたたび バスの話し
 

 19.06.03 バスの総合案内看板
 駅前でバスに乗ろうとして、決定的なものに欠けていることに気がついた。勿論地元のよく知っている人には不必要なものである。えてして看板を設置する側というのは、自分だけが分かればいいとしがちなものである。知らない人、よそ者、観光客の視点に立って考えることは、じつに難しいことなのだ。私自身、つい最近までコミュニティバスとそれと半分路線のだぶるバス路線と、両方あることを知らなかったのである。
 必要なものは、バスの総合案内看板(駅前広場内のバス停の所在案内図+行き先別バス停の一覧表+路線別の時刻表+停留所名入りバス路線の案内図)であるのだが、説明抜きで必要性が理解されるだろうか。現行の改札出て左にある町の案内地図の横辺りが場所としてはいいだろう。この地図にバスルートと停留所名を入れるという手もある。

 19.06.02 鈴木一郎VS伊丹十三
 湯河原の中堅指導者的人たちとお喋りする機会があると、何時も同じ話しをするのだが、「湯河原がやるべき事は、野球で言えば、鈴木一郎ですよ」「満塁逆転ホームランを打とうと思ってはいけない」「いい玉が来たらヒットを打つ。塁に出たら盗塁を狙う。玉を選んでフォアボールを取る」「こうして小さな積み重ねをしていって、何年かしたら、湯河原がそこそこいい町になっていればいいのではないでしょうか」
 その鈴木一郎と伊丹十三がどういう関係があるかというと、伊丹十三記念館を作ったら、これはそこそこ大きなヒットになるのではなかろうか、ということである。少なくとも、山の上に「○○の郷」を作るよりは効果があるだろう。小部屋中部屋のあるミニシアターを作って、伊丹作品が何時でもどれでも見れるようにしておけば、結構流行るのではなかろうか。西村京太郎記念館より客が多くなりそうな気がするのだが、いかがなものであろうか。勿論有料であり、できれば駅から歩ける立地が良く、駐車場付きで、既存の建物を使えるともっと良い。
 さて、このアイデアを皆さんはどう思うだろうか?、もしいいと思っていただけるのであれば、今まで山の上の「○○の郷」や町立美術館しか作れなかった町役場職員の意識を改革しなければならないということが理解してもらえるだろうか。
 
 19.05.30 新人議員の顔
 
 19.05.29 二本目 湯河原の良さ
 朝、家を出て、役場に「出勤」しようとしたら、歩道のゴミを拾っている人がいる。外出用の服装で、ゴミ袋とゴミハサミを持っている。妙齢の女性であった。気になったので、とって返して挨拶したのだが、仕事に行く時に何時も道具を持ってゴミを拾っているという。「ボランティアですか?」と聞いたところ、「そんな大げさなものではない」という返事。こう言う人と出会う限り、とかく揺らぎがちな、湯河原の良さを維持したいという自分の気持ちを、補強することができる。

 19.05.29 一本目 救急ヘリの話し 続編
 18日の続きなのだが、湯河原とはこういう町なのだという勉強ができたというお話をしておきたい。要するに、湯河原の住民側は、自分の狭い世界だけで町全体を考えているということ。そして町役場の側は、必要な情報を全ての住民に知ってもらおうという姿勢がないと言うこと。
 実は湯河原には救急用のヘリポートがあるという。それは夢公園で、搬送先は東海大相模原だという。そういうものがありながら、住民は知らないでヘリポートを欲しがる。役場の側は、持っているのに住民に知らせようとしていない。これをよそから来たものとして思うに、住民も役人も、みんなして自分の回りの狭い世界だけで閉じこもって生きているのではなかろうか。いわば狭い蛸壺が湯河原には幾つかあって、その中だけで日常生活も仕事も完結している。露骨に言うならば、議員の数だけ蛸壺があって、その中で全て自給自足ができている。
 だから鍛冶屋の人にとって宮下は別世界。門川の人から見れば吉浜福浦は辺境の地。温泉場の行く末なんか吉浜の人間には関係がない。と言うことになるのではなかろうか。となれば、私のようによそから来た人間が全体を見る仕事をした方が良いだろう。さて、湯河原の皆さんはどう思いますか?

 19.05.27 夜の議会
 夜と言っても、別に宴会をやって根回しをする訳ではない。議会の開催を夜の時間帯にしようと言うことである。どういう効果があるかというと、1に傍聴できる住民が増える、2に他の仕事を持っている人が議員になれる、ということである。どこかの国やどこかの自治体でやっているらしい。傍聴席も議員席も、野良仕事の服だったり、作業服だったり、背広だったり、学校帰りの通学服だったりする訳だ。
 背広ネクタイ革靴バッジという議員ルックも、その内変わってくるのではなかろうか。

 19.05.24 鉄道ファンの店
 湯河原町は、狭い町なのに、東海道線の在来線と、新幹線が並行して走っていて、同時に両方を見ることのできる場所があります。勿論上下線が一緒に見えますから、合計して四本の路線が見える訳です。しかも在来線は、長距離夜行寝台特急や貨物などの珍しい列車も走っているようです。新幹線も最新型ののぞみから旧型のこだままで走っています。うまくすると、一度に四種類の列車を見ることもできるでしょう。しかもトンネルに入るところ出るところも見られます。
 これが湯河原町とどういう関係があるかというと、うまくすれば鉄道ファンが集まってきて、ファンの中の誰かが展望レストランなどの店を出して、結構流行って・・・・・と言うことがあるのではなかろうかと思えます。小さな話しですが、こうして小さな話しを積み重ねていって、全体としてはそこそこ流行っている町になればいいのではないでしょうか。

 19.05.21 ホタルの里
 
 19.05.18 救急用へリポート
 

 19.05.17 JAにて口座開設を拒否される
 
 19.05.15 通勤して予算書を解読する
 ここのところ連続して町役場の会派室に「出勤」して、19年度の予算書を読んでいます。やっと半分まで来たでしょうか。同時進行で、これはと思う問題点を担当課に内線電話で質問して、資料をもらったり口頭で教えてもらったりしています。何はともあれ、勉強ですから、しばらくは会派室に「通勤」しようと思っています。その内予算書で勉強したことを元にして、画期的な提案をしてみたいと思っています。乞うご期待です。

 19.05.12 初議会
 
 19.05.04 マスコミの誤報、マスコミの対応
 

 19.04.28 手作り選挙 マスコミの取材
 
 19.04.25 外に向かって放送
 

 19.04.24 何かが変わった? 議会報告

 選挙が終わってまだ二日なのだが、何かが変わったような気がする。町を歩いていると、知らない人が顔をじっと見つめて、「中島さんでしょ?おめでとうございます」と言ってくれるのだ。その場で立ち話していると、近所の人も集まってきてくれて、あれこれお喋りになるのだ。
 そこで始めて納得したのだが、湯河原には議会報告をする議員がいないらしいのだ。議会報告というものは、議員が有権者に自分をアピールする絶好のチャンスだと思うのだが、なぜやらないのだろうか。ミニコミ誌を定期刊行化して、議会報告を毎回やろうと思っている。もちろんこのサイトにも書くことにする。

 19.04.22 湯河原の10年を予想する
 選挙が終わったので、サイトもリニューアルした。最初の書き込みでは、湯河原の将来予測をしてみよう。当たるも八卦当たらぬも八卦である。知的レベルの低いクレームはお断りしておく。
 予想:今後10年、湯河原は確実に悪くなる。それが目に見えて明らかになるのは、3年ではなかろうか。
 では、具体的に、どんなことであろうか。
1.金の問題
 これは、町の財政と言うことでもあるが、個人の金脈と言うことでもある。5年程度で尽きるのではなかろうか。
2.自転車の問題
 自転車が大幅に増えるだろう。自転車が多い町は、どうなるか、どこかへ見に行ってみると分かるだろう。
 老人が安心して町を歩けなくなるだろう。
3.湯河原高校の廃校
 質的量的に大きな施設がなくなると、地元の町にも大きな影響があるだろう。それも悪い方の影響が大きいだろう。
4.犬の糞・綱無し散歩
 1〜3に比べると、小さい問題だろうが、「犬も歩けば棒に当たる」ではなく、「人が歩くと犬の糞を踏む」であろうか。
 町に犬の糞が溢れ、綱無し犬によるトラブルが起きるのではなかろうか。
5.交通事故・犯罪
 交通事故(それも人身事故)、犯罪(粗暴犯というか、小さな単純暴力犯や万引き窃盗恐喝など)が増加するだろう。
 これは全国的傾向だが、湯河原では特に目立つのではなかろうか。