文化勲章を打診されてあっさり断ったのはこの人ぐらいだろうか。理由を問われ「お国のためにしたことはないから」などと答えたエピソードはよく知られる。
その風貌(ぼう)や暮らしぶりから「画壇の仙人」とも呼ばれた画家熊谷守一のことだ。世俗にとらわれず、九十七歳で亡くなるまで少年のような無垢(むく)なまなざしを持ち、生命力にあふれた作品を描き続けた。
没後三十年を記念した展覧会が高梁市の成羽町美術館で開催中だ。好んで描いたのは、庭に咲く草花や小さな虫、鳥、猫など。輪郭線でくくられた簡略化されたフォルムと明快な色彩が絶妙なハーモニーを奏でる。存在感ある小宇宙だ。
独特の世界を支えたのは、若いころから培われた描写力と、徹底して対象を見つめる観察眼だろう。庭先にうずくまり、働き者のアリが左の二番目の足から歩き出す習性まで発見した。「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います」(熊谷守一著「へたも絵のうち」)。
画家としての歩みは、この一語に象徴される。「何が望みか」と聞かれれば「いのち」と答えた。晩年の作品も実に生き生きしている。会場を一巡しながら、生への希求がエネルギーの源泉だったのかと思い知らされた。
「石ころ一つとでも十分暮らせます」とも言った。力まずに「精神の自由」を生きた人だったのかもしれない。