吉兆の味
吉兆という日本料理屋は有名だが、最近店によって味が酷く違うことに気がついた。実は神戸には2つの吉兆のお店があるのだが、以前そごうに入っていた吉兆は今島文ビルに入っているそうだ。ここには何度か行ったことがあるのだが、結構良い値段がする会席料理を食べても「?」という感じがいつもする。嫌なら食べなければいいのだが、なんやかんやで行く用事があって食べる機会があるのだ。
実はつい先日もここで食べたのだが、何だろう、全ての味がおかしい。刺身もこれといって美味しくないし、よく私が店の味のバロメーターにするお吸い物はいつも美味しくない。先日食べたときには何か出汁を水で薄めたような、何だこりゃ、という本当に不味いお吸い物で全部飲めなかった。
ところが、である。同じ神戸にある吉兆であっても元町の大丸の南あたりの地下にある吉兆は全然違う。そごうや島文で余り美味しかった印象がなかったものだから余り期待せずに元町のお店でお昼ご飯を食べたのだが、こちらは素晴らしい!文句のつけようがないほど美味しい。刺身でも歯ごたえや味が全く違うし、当然お吸い物の味も美味しい。そのほかの料理についてもちょっとした一品でも十分味が吟味してあって申し分ない。更には追加で頼んだ鮎の塩焼きも素晴らしく美味しかった。さすがに有名な吉兆、と納得の味だ。
そこで思ったのだが、同じ看板をあげる店でありながらこの味の違いは何なんだろうか、ということだ。ハッキリ言ってそごう~島文ビルの吉兆にはここ数年間に渡って食べた経験があるので、少なくともここ数年間は安定してダメなはずだ。勿論私はお店の板長が誰かなどということは知らないのだが、ハッキリ言ってあのお刺身やお吸い物の味からすれば、全然美味しいものを選ぶことができない人が材料を選び、味付けをしているとしか思えない。だれが材料を吟味し、だれがあの味付けにオーケーを出しているのか、その判断を大変疑問に思う。あれだったら昨日今日料理を始めたような素人に毛が生えた人間に作らせても大差ないのではないかといったら言い過ぎか。
しかし元町の店は何もかもが完璧にできている。たった一度しか元町のお店で食べたことが無くても、そのおいしさが印象に残るほど美味しい。これはどういうことか?決して安い料理ではないし、あれほど名の通った店なのにこの違いは許せるものではないだろう。客として通った感想を率直に述べれば、元町のお店はきちんと味がわかって素材も吟味できる板前さんが料理を作っている、そごう~島文の板前は全然ダメ。そんな感じだ。
本当になぜなんだろう?もしかして元町のお店には舌の肥えたOLや奥様方が食べにくるから腕のいい板前に作らせるが、島文ビルの店はどうせ地場に住んでる味のわからんオバハン連中が店の名前だけに引かれて食べに来るんやからこの程度でええやろ、どうせ何出しても味なんか分かってへんやろ、ということか?実際これはもう差別のレベルに近い(笑)。
にしても先日改めて確認したこの二店の味の違い、このひどさは何なんだろうか、お店の経営者に一回聞いてみたいもんだ。