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『週刊東洋経済』2007年11月17日創刊記念特大号(2007年11月12日発売)

『編集長のホンネ』
「台湾で超人に会った」

先週は、この「編集長のホンネ」を休載し、申し訳ありませんでした。毎週、更新を楽しみにしてくださっている方もおられると聞き、深く反省しております。

先週は、出張先の台湾からこのコラムを書くつもりでした。台湾と言えば親日で知られる国です。日本人の往来も多い。当然、滞在先のホテルで日本語環境のインターネットが存分に使えるだろうとタカをくくっていたのが間違いだった。ビジネスセンターにはパソコンが2台しかなく、それも中文(中国語)専用なのです。

部屋にはADSL回線が引かれていましたが、ノートパソコンを持参しなかったので、どうしようもありません。他の方法をいくつか考えましたが、過密スケジュールを組んでいたため、結局コラムを書くことも送ることもできませんでした。

自分の不手際を棚に上げ、台湾ともあろう国がなんて不便なんだ!と舌打ちしながら、ふと思ったのが、「IT白帯」の私がこれほどの不便さを覚えるほど、世の中はものすごく便利になったのだなあ、ということです。

マスコミの現場でも、20年ほど前からPCの導入がはじまり、10数年前には1人1台が支給され、記者の机から原稿用紙とエンピツが消えました。それでも、しばらく前までは、出張先から手書きで原稿を書いて、これをFAXで送り、本社で打ち込んでもらうということがありましたが、今はそんなこともまずありません。世界のほとんどの場所でPC環境が整っており、インターネットに接続さえできれば、日本の自分の席にいるのとほとんど同じように仕事ができるからです。

しかし逆に、今回の私のような不手際で、自分自身の装備が整っていないと、あるいはその場所の装備について予測を間違うと、実に大きなストレスを感じることになるわけです。

水道のない地域に住んでいる人々は、毎朝、川に水を汲みに行くことを、大変だと思っても、不便だとは思わない。彼らが不便を感じるのは、川が干上がったときです。しかし、水道に頼って生きている私たちは、毎朝川に水を汲みに行けと言われたら、「なんて不便なんだ」ときっと思う。ただ、それだけのことなんですが、休載の言い訳に、台湾のホテルでそんなことを考えていました。

ところで、なぜ台湾に出張したかというと、いちばんの目的は、前台湾総統の李登輝さんに会うためです。ご存知のように、李さんは、国民党独裁の台湾にあって、民主化を進め、自ら総統任期を定め、実際に政権交代を実現させた「アジアの哲人」として知られる人物です。

李さんは「私は22歳まで日本人でした」と自らおっしゃるように、日本統治時代に日本式の教育を受け、京大生の時に学徒出陣で招集されました。実に格調高い日本語を話されます。すこぶるつきの親日家だけに、日本での人気も高く、特にナショナリスティックな傾向の強い層から支持されています。

一方、わたしたち「週刊東洋経済」の編集部は、今年後半から来年にかけて追求するべきテーマのひとつに、「市場の失敗を再調整するための制度のつくり直し、及び、政治機能の回復」を定めています。簡単にいえば、市場はとても便利だし、必要だけれども、それだけで全部うまく行くわけじゃなくて、状況に応じてルールをつくり直す必要がある、そしてその時はみんなで話し合う民主主義のシステムがちゃんと機能しないとマズいのではないか」という、ごく当たり前の問題意識です。

今回、わたしたちが李さんに会ってお聞きしたかったのは、その「民主主義」の部分です。これから日本が政治の季節に突入していく可能性がある中で、そこをもう一度確認しておきたい。アジアでは、 ミャンマー(ビルマ)で虐殺がおきましたが、台湾でもかつて「2・28事件」や「白色テロ」といった大量虐殺があった。その激動を生き延び、大陸から来た「外省人」が支配する台湾にあって、「本省人」(従来から台湾に住んでいる人)として初の総統となり、民主体制を実現して国民党独裁に終止符を打った政治家に、どうしても会っておきたかったのです。

加えて、もうひとつの本音をうち明けてしまいます。李さんはもう84歳です。この機会に「アジアへの遺言」をいただいておこうという、不謹慎な野心も若干ありました。つまり、亡くなる前に、ロング・インタビューを実現しようというわけです。

そういう思惑もあり、緊張しつつスタートしたインタビューでしたが、ご自宅で迎え入れてくれた李さんは、「まあ、台湾のパイナップルを使ったお菓子でも食べながらやりましょう」と、もうニコニコしておられる。180センチを超える長身。下顎のしっかりしたいかつい顔。はっきりと威圧感のある風貌ですが、笑顔になるとその威圧がいっぺんに消えてなくなるから不思議です。

インタビューがはじまったのはおやつの時間。こちらの予想では、引き延ばせるのは1時間30分が限界か。なにしろご高齢です。秘書的な仕事を引き受けておられる方からも、おそらくそれが最長だろうと聞いていました。

ところが、李さんの語るの語らないの。もう話は止まらないし、その内容は、ハイデッカーから西田幾太郎まで東西の哲学に及んだかと思えば、日本で大ヒットした「千の風になって」の分析、村上春樹の批評、スタートレックの最新シリーズと過去のシリーズとの比較までやってのける。このご老人の頭の中は、いったいどうなっているんだろう。

唖然、呆然、ただただ聞き入っていたら、メモがそっと回ってきました。「あと15分で終わりにしてください」。それで気がついたのですが、外はもう真っ暗。李さんはもうかれこれ3時間も語り続け、わたしたちは3時間も時間を忘れて聞き入っていたのです。

「普段は、こんなに長く話さないんですよ。今晩は大変かもしれない」。
秘書の方からそう耳打ちされ、恐縮しながら李さんのお宅を辞去しました。 ホテルへ戻る車中、同行した編集部の面々と「まだ、何時間でも語り続けそうな勢いだったけど、やっぱりお疲れだったのかなあ」などと話しました。

その翌日です。台湾の新幹線で南に向かう道中にあった私の目に、斜め前の乗客が広げた新聞の一面に掲載された大きな写真が飛び込んできました。写真の中で李さんが笑っているのです。どうやら、昨夜行われた政治的なイベントに臨むため、政界の重鎮らしき人物たちとともに会場入りした李さんを写したものらしく、李さんはわたしたちが会った時と全く同じ服装のまま、疲れも見せずにあの豪快な笑顔を浮かべていました。

そうか・・・。昨日、秘書が耳打ちした「もうこのくらいで」は、 このイベントに遅れてしまう、ということだったのかもしれない。そういえば、李さんの自宅を辞すときに、事務所のスタッフが集まってあわただしかったような・・・。

アジアの哲人に「アジアへの遺言」を聞こうなんてとんでもなかった。李さんは、この先10年でも20年でも、私たちにしてくれたように、人々に、社会に、アジアに向かって語り続けるのではないでしょうか。そして、そうした語り続ける意欲を決して失わない人をこそ、「政治家」と呼ぶべきなのかもしれない。台湾新幹線の車中で、そんな思いにふけりました。

山崎豪敏 「週刊東洋経済」編集長

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