江戸時代末、欧米を巡業した旅芸人一座の座長がオランダを評して「人わるし、国また悪しく」と書いた理由をその後のオランダ人の行動から分析してみたものだ。例えば、日本人を悪臭を放つ猿と表現する人種差別意識の強さ、植民地だったインドネシアの独立のさいに謝罪どころか逆にばく大な“独立許可金”を請求したあこぎさ、それに何度も日本から賠償と謝罪を繰り返させながら、日蘭交流四百年記念の今年、また同じ要求をするしつこさなどをあの座長は感じ取っていたのでは、というごく妥当な結論にしておいた。
だから、オランダ人が何で騒ぐのかわけが分からなかったが、それでもこの記事を書いた動機が知りたいというので、日本人は欧米の国々、例えばチューリップや風車で象徴されるような国も含めて、みんないい国、いい人ばかりと思いがちだけど、みんな結構したたかなんだよといったお知らせでもあると答えておいた。
その週刊誌、「エルセフィア」というのだけれども、それが出たあと、これで沈静化するかと思っていたら、大違いだった。駐日オランダ大使から本紙に電話があったり、向こうの新聞からテレビ局までやってきて、もう仕事にもならない騒動になってしまった。
それなら向こうではクオリティー紙という「NRC・ハンデルスブラット」に寄稿することにしてけりをつけることにした。
以下、要約になるが、日本軍とオランダ人の遭遇という一断面だけで、つまり自分たちがやった植民地支配などをさっぱり棚上げして、あのころの歴史を評価するのはいかがなものかと問いかけ、その意味でコック・オランダ首相がこの三月下旬、日本に何度目かの謝罪を求める一方で、インドネシアへの非道な行為を初めて認めて「わびる用意がある」と語ったことを高く評価してみた。
そうやって他人のあら探しだけでなく、自分のふりも見つめれば、おのずと歴史を正しく見ることができるじゃないか。そうすればお互いの理解も増すはずだ、と。
その辺でやめてもよかったけれど、ついでに日本には、いわれるように拡張主義、侵略主義を展開するほど資源や軍備に余裕はなかったことにも言及してみた。
そういう状況で、例えば日本には消耗でしかなかった「インド解放のため」のインパール作戦も遂行した。
自分の国の存続すら危ない時期に、二十万人の兵士を投入してよその国の自立を助けるという前代未聞の作戦は結局、全滅という悲劇に終わったが、それだからこそ、なおさら欧米列強からアジア諸国を解放しようとする思い入れがあったことを理解してもらえるのではないか、という期待もあった。
実際、そうした犠牲があったからこそ、英歴史学者クリストファー・ソーンも、「ある意味で慈悲深く、欧米のアジア植民地支配の終結を早めさせた」と、その著書「欧米にとっての太平洋戦争」の中ではっきり書いている。
しかし、これもまた逆効果だったらしい。この私見がハンデルスブラット紙に掲載されるや、同紙の投書欄に山のような反論が次々に載せられた。
いわく「タカヤマは日本の歴史をゆがめる唾棄すべき偽善者で、アジア諸国を植民地のくびきから解放したというとてつもない虚構をでっちあげようとしている」
「彼は傲慢にも日本軍が犯した重大な戦争犯罪と、オランダ人がインドネシア人に対してやった小さなミス(Lapse)を同じに扱おうとしている」
「インドネシアの占領は日本の拡張主義の最後の到達地で、彼らは抑留者にそのままでは食うこともできない大豆を食事に出し、オランダ人を淘汰しようとした。朝鮮や中国で日本軍が行った無慈悲さをもって」
以下、少なくとも八通の投書はいずれも本人が読んでいていやになるようなものばかりだが、もう一つ共通しているのが、三百五十年にわたって搾取を続けたインドネシアの植民地支配について、あるいは戦後、独立を求めて立ち上がったインドネシア人を近代兵器を総動員して八十万人も殺しまくった事実について「ささいなできごと」にしている点である。
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「Go Dutch」とは割り勘でいこうという意味だ。
「Be in the Dutch with」、直訳すれば「オランダ人的な間柄にある」という慣用句は、仲が悪いという意味に使われる。
ワーグナーは神をそしり、その罪ゆえに世界の海をさまよい続ける船長の国籍をオランダ人にしている。あの「フライング・ダッチマン(さまよえるオランダ人)」である。あるいはさまよう幽霊船の名ともいわれるが、いずれにせよ、そういう風に「Dutch」がつかわれるのが何となく分かるような気もする。