善意の見方

 昨年12 月に「20世紀の奇跡の最強チームを語る」というテーマで稲尾和久と対談した。翌日はひどい二日酔いで苦しんだが、酒の強さ食欲ともに稲尾に及ばないが、球友と飲んでなる二日酔いは生きてる実感があった。西鉄ライオンズが消滅して以来、時祈OB会を開くが今ひとつ盛り上がらない。それもそのはず。新会員無しの集いだから、序列も顔ぶれも話の中身もいつも同じで閉口する。しかし稲尾だけは違う。若い時はそれなりの感性と知識で話が合致したが、近頃の会話は味と深みがあって、格段と面自いのである。人生経験から培われた見識とでも言うのだろうか、信頼と裏切り、夢と現実、右脳と左脳(コントロールは記憶力)。さらに善意と悪意等々と幅広い会話は尽きない。同じ話でも、上下、左右、前後、斜めから見える年になったからだろう。杯が進むはずである。昭和33年の西鉄対巨人の日本シリーズで、稲尾は6試合に登板した。結果は3連敗から4連勝という奇跡の3連覇で西鉄が勝った。当然脚光は三原監督と稲尾に集まった。このとき三原さんに「魔術師」の名称がつき、稲尾は「神様、仏様、稲尾サマ」と呼ばれるようになった。しかし試合直後の稲尾はズタズタに疲れ果て目はくぼみ、記者の質問に「よくやったと、自分をほめてやりたいです」。と答える顔を今だに忘れない。以来、私は三原監督を嫌った。一人の将来を酷便してまで勝ちたかったのかと。やがて三原は逝った。逝った人の悪日をプロ野球人はタブ−としている。が、飲んだ勢いを借りて稲尾に聞いてみた。「おまえの選手生命は三原さんに短くされたんじやないの」と。稲尾はじっと私の目を見つめながらいった。「わしがロッテの監督してる頃にね、三原さんが杖をつきながら監督室に尋ねてこられましてね。何事ですかと尋ねますと。君に謝っておがねばならない事があるんだよ。と、おっしやるんです。何の事か見当もつかんので黙ってたらね。3連敗ではどう転んでも勝機はないと思ったし、第一あの時の君は調子が悪すぎた。正直云うと敗因を君になすりつけようと思ったんだよ。とおっしやったんです」。最後に深々と頭を下げてすまんことをした」と詫びたという。よく真実を改ざんしてカッコつける人がいるが、自分の名誉を捨ててまで真実を残した人はまれだ。私はバツが悪くなってしまった。長いこと三原さんを誤解していたし、他球団で連投に次ぐ連投で潰れたピッチャーを知っている。泣さ言も聞いている。しかし稲尾は「勝つほどに楽しくて仕方がなかったバイ」という。決して本音ではないと思うが、こんな嘘ならいくらついてもいい。今更過去の事で、本音を言ってもシャレにもなるまい。いい話を間かせてもらった。

 話題はさらに続いた。最終回に1点リードで二死満塁ピンチになったことがある。しかも雨まで降りだした。いたたまれずマウンドの稲尾の所に内野手全員が集まった。だが、かける言暴など無い。西鉄というチームはピンチでピッチヤーに「がんばれ」などと声をかけるものなら「がんばっとるわい」とドヤされる始末だからたいていは無言だ。しかし、滑る打球に弱い私はつい本音が出てしまった。「稲尾よ、悔のところへ打たせたらいかんぞ。エラーしそうな気がしてならんのだよ」。一瞬怒るかと思いきや、稲尾は「ウン」とうなずくでははありませんか。ポジションヘ戻りながら、ふと、ホントに打球が飛んできたらどうしようと。こうなったら祈るしかありません。「神様、私の所へ打球が来ないようにしてください」と。願いが通じたのかセカンドゴロで試合終了。稲尾完投勝利。気が引けたので最後にロッカールームに引ぎ上げると、入り日に稲尾が待ちかまえている。一瞬私の脳裏に「オレのところへ打たせるな」発言の抗議か、と思ったが「ナイスピッチング」と大声で誉めると、ギユッと私の手を強く握り「先輩にアドバイスを受けなかったら打たれていたかも」と笑顔で言う。「俺のところへ打たすなと言ったでしょう。タマが内角に寄りだしたから、外角へ投げるようにとのアドバイスがききました」。以来稲尾和久に先輩風を吹かすこと無く今目に至っている。40年も気にしていた事柄だが、先の三原さんの話に因んでエラー発言を心から詫びた。聞いたとたん、稲尾は腹を抱えて大声で笑い転げた。「あんたも人がよかね−。太さん(中西)からも時々脅されていたんよ」ときた。さらに「あんた二人、正面から抗議したら倍になって返ってくるでしょうが。だから夜も寝ないで仕返しを考えとったんです」。悪酔いのもとはここにあった。この一言で人間臭さを感じたし「神様、仏様、稲尾サマ」のイメージは遠のいた。だが、いい勘違いであったことは明らかで、何事も悪意に取らず、善意からみる稲尾型人生観を目指したことはプラスであった。私もこの2月で66歳になる。「善意の見方」は入生の9回裏まで続けたい。