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Shokubi News Report 食ビNEWS
8月例会レポート |
今回は泣く子も黙る日本料理の雄、吉兆グループの船場吉兆の心斎橋店・博多店店長の湯木尚治氏から、 *「吉兆」の吉はのとおり‘土’かんむりですがフォントの都合で「吉」としております。 |
「吉兆」今昔物語 |
食ビ研例会レポート 「吉兆」今昔物語
吉兆創業〜屋号は吉兆、名物は鯛茶漬け | |
日本料理・吉兆は昭和5年に創業者の湯木貞一氏が新町(現在の大阪市西区)に店を起こしたのが始まり。その時貞一氏は29歳。 吉兆の屋号は字のごとく「吉」良いことの「兆」きざし。商売繁盛を祈り今宮戎の吉兆笹から取ったもの。間口一間(6尺=1.82メートル)、奥行6メートルの小さな店は名物料理の鯛茶漬で横堀の材木問屋の大将衆からひいきにされ、一年もたたないうちに当時の花街であった新町のモダンな人気店となった。 その後、畳屋町に拠を移し本格的な日本料理屋となったが、昭和20年の大阪大空襲で店も全焼。戦後、店を再建したのが、現在の吉兆本店となる高麗橋である。 |
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「縁あって料理に出会った。料理を通して自分は生きる」 日本料理の神様 湯木貞一 |
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湯木(尚治)さんのおじいさんにあたる湯木貞一氏もまた、神戸・花隈の中現長(なかげんちょう)という料理屋の息子である。幼少から勉強好きであった貞一氏は16歳で料理修行をはじめたが決して外の世界に興味がないわけではなかった。 ある夕方、店の大根を買いに出た街で貞一氏は昔の学友にばったり出くわす。思わず使いの身が恥ずかしくなり物陰から友の姿を見送った、という辛い思い出もあるという。 しかし、その後さまざまな人との出会いによって「縁あって料理に出会った。料理を通して自分は生きる」との決意が貞一氏の中で確固としたものになってゆく。 さらに25歳の時、北大路魯山人と島津藩・松平氏の二人の巨人との邂逅を経て、神戸から食の都大阪へ独立してゆくのである。 北浜高麗橋吉兆も多くの食通に支持を得、その縁で京都・嵐山の地に店を開き昭和35年には東京・木挽町に出店する。 |
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工夫して心くだくる思いには、花鳥風月みな料理なり。 | |
表千家に師事し茶道にも造詣が深いだけでなく、料理界にとどまらない貞一氏の見聞と親交は昭和45年から20年間に渡る「暮らしの手帖」の連載に日本家庭料理への愛情とともに記されている。
サミュエル・ウルマンの「青春」の詩を愛し、日本料理を愛した貞一氏は、亡くなる間際に口をついて出る言葉も料理のことであったという。 |
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三代目 湯木尚治 吉兆、祖父への思い | |
「生まれた時から家は料理屋」−− 湯木尚治さんは、芸者が出入りするのが当たり前の環境で育った。 遠足の弁当は塗りの膳に入った松花堂弁当。誕生会はお友達を呼んで吉兆本店で流しソーメン。 「お前はそれでも料理屋の息子か」 厳しい祖父の一喝が返ってきた。 「日本料理の神髄は味だけやない、心や。今ごろお客様は明日どんな料理が食べられるか楽しみにしてるんや。どれだけのお客様への思いを料理に込められるかが大事なんや」と。 この時、吉兆の「おもてなしの心」を学んだと湯木さんは語っている。 ひとつは「料理」。 船場吉兆・心斎橋店では総勢40人の訓練されたスタッフを擁しそれぞれが創意工夫と粋なはからいに精進する。 |
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湯木店長の全力投球 |
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2000年7月
沖縄サミット サミットの蔵相会議は福岡で行われた。当時の宮澤蔵相の晩餐会の料理を担当した博多吉兆は8カ国の国賓を迎えた。 半年前から準備を始めた献立は、フォアグラの煮こごりをほおづきの器に持った前菜に始まり、ハマグリの煮物椀、タイやトロの手毬寿司、クルマエビのお座敷てんぷら、ゴマクリーム、魚介の石焼、すき焼きなどの11品。 七夕飾りで季節を表現したテーブルで食したゲストからは 「これはアートだ」 との賛辞が寄せられ、「大変だったが素晴らしい体験だった」と湯木さんは振り返る。 タイのボランティア 湯木さんは料理を通じた縁で東南アジアのタイ、特に貧困にあえぐ山村の地域の子供たちの算数教育に役立つよう算盤を送るボランティアがあることを知り、「タイに広めてご名算」と称して使い古しの算盤を集めて送っている。 そこで、集めてただ送るだけよりはやはり届けよう、ということになりタイの奥深い山村へ出向いた湯木さん。 子供たちは算盤をもらい大喜び。吉兆の店長にお礼に食事をご馳走すると言い出した。 湯木さんはこの時の村で取れた野菜のシンプルなスープが人生最高のご馳走のひとつだという。 料理のおいしさはどれだけ相手のことを考えて心を込めて作るか、を実感した体験だと語った。 湯木さんの座右の銘は気力・知力・努力・体力・協力・魅力の六つの力。 |
これからの船場吉兆の展開 |
<食文化の創造> ワインと日本料理の出会いを演出 ワインを勉強し日本料理との組み合わせを創造することで多くの人たちに新しい日本料理の楽しみ方を知ってもらうためこんだ手作りとともに挑戦。 <キレイ懐石の挑戦> 若い女性の一番の興味はキレイになること。そこでス・コ・ヤ・カをキーワードにした懐石を展開。「ス」酢と「コ」ゴマ、「ヤ」野菜(=大豆)、「カ」海草を使い体と心をキレイにするメニューを楽しんでもらう。また懐石に美容の講座を組み合わせた「キレイ夜会」と名づけた食事会も実施している。 <スローフード> 地域特産の食材と料理法を吉兆のアレンジによって紹介する。九州味紀行を大阪で開催。 <ブライダル> 初めての経験であるお客様が圧倒的に多い中で吉兆のできるいいものにするためのアドバイスを展開。 |
全国に24店舗を展開する吉兆は、いわゆる暖簾分けではなく、全てが身内・親族の経営。つまり創業の心を知るものだけが吉兆のすのである。調理師の料理を出中途採用はせず20年以上の経験を持つ調理師が指揮を執る。 |