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国際支援の現場から

ウイグル人の希望の星〜ラビア・カーディルさんの戦い(上)

2007年10月31日

アムネスティ@中国・新疆ウイグル自治区

 13億の人口を抱え、目覚しい経済発展を続ける中国。北京五輪を来年に控え、世界中がその人権状況の改善に注目を向けていますが、いまのところ芳しい改善は見られていません。ジャーナリストの投獄、出版社の閉鎖など表現の自由に対する締め付けや、民族運動をする者、人権擁護活動家に対する逮捕・拷問・死刑も続いています。当然のように、国内でのアムネスティの活動は禁止され、調査活動も厳しい制限下で行なわれています。

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ウイグル人の希望の星と呼ばれるラビア・カーディルさん (c)Private

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北京オリンピックスタジアム(c)Tee Meng

■中国の人権状況に一石を投じ

 それでも、身の危険を顧みず、国内外から人権を守るための活動を続けている人びとがいます。亡命先の米国で中国の新疆ウイグル自治区の人権状況を世界中に伝え、改善を求める活動をしているラビア・カーディルさんもその1人です。行商から身を立て中国10大富豪の1人となり、中国共産党の要職を務めながらも6年間の投獄を経験…、こんな波乱万丈の人生を送ってきたラビア・カーディルさんは、現在、在外ウイグル人の統一組織「世界ウイグル会議」の主席を務め、少数民族ウイグル人の希望の星と呼ばれています。

 すべてを捨てて、民族のための活動に身を捧げるラビアさん。今回は、社会の変化に翻弄されながらも、中国の深刻な人権状況に一石を投じ続けてきた彼女のストーリーをお伝えします。

■父親仕込みの商才

 ラビアさんは、1948年に「新疆」の最北部、旧ソ連・モンゴル国境にほど近いアルタイの商家に生まれました。堅実な商売をする父のもと、彼女は自然に商売のイロハを覚えていきましたが、15歳になる頃、家族は中国共産党により「資本家」のレッテルを張られてしまいます。一家は財産をすべて没収されたあげく、ラビアさんは母と兄弟とともに1,000kmも離れたタクラマカン砂漠に置き去りにされてしまいます。

 姉を頼ってたどり着いた同じ「新疆」のアクスの街で、ラビアさんは家族のために15歳で一回り年の離れた共産党幹部の男性と結婚し、6人の子どもをもうけました。

 生活費の足しにと始めたレース細工の小商いがあたり、夫の給料を遥かに超える金を稼ぐようになりましたが、これがまた「不法に商売をした資本主義の手先」として共産党にとがめられ、咎が及ぶことを恐れた夫から離婚されてしまいます。まだ20代だったラビアさんは、1人でまたゼロからやり直すことになったのです。

■ゼロからの再出発で中国10大富豪の1人に

 漢語が不自由な彼女に就職先はなく、すすんで人のいやがる洗濯屋を始めました。1日100枚もの服を洗濯板で洗い、公務員の月給が70元の時代に、3カ月で4,000元を稼ぎ出したラビアさんは、この元手を使って本格的に商売を始めました。荷車を自分で押して現金の流通していない農村に日用品を売りに行き、軽くて交換価値の高い羊の皮と交換。さらにそれを別の場所で絨毯と交換。78年に改革開放路線が始まると上海などにも仕入れに行きました。このような「循環商売」でさらに資金をかせぎ、次第に不動産、鉄鋼などへと商売を拡大していったのです。

 天性の商売の才能で苦境を乗り越えたラビアさんは、各地で商売をする中で「どうしてウイグル人は貧しく、漢民族は豊かで権力を持っているのか」ということに疑問を抱くようになりました。再婚した民族運動家の夫の影響もあり、次第に民族の権利を守るための政治運動に目覚めていったのです。

■人民大会堂での演説

 巨額の富を手にしたラビアさんには、中国共産党からの誘いがかかり、トウ小平体制の政府で、人民代表や全国政治協商会議の委員など多くの役職につきました。彼女は機会をみつけては党中央の指導者たちに「新疆」の惨状を伝え、改善を求めましたがのれんに腕押し。民衆に人気のある彼女に対し、面とむかってはいい顔をする党中央の高級幹部たちも、中国のまさに暗部と言える少数民族の迫害・弾圧については、真剣に耳を貸そうとはしませんでした。

 ついに、一大決心をしたラビアさんは、党最高幹部の出席する政治通商会議の席上で、予定していた演説の原稿をすり替え、ウイグル人の人権問題についての演説を行ないました。江沢民国家主席・李鵬首相(当時)や現国家主席の胡錦濤らの出席する北京人民大会堂での会議でした。

■すべての地位を奪われ投獄

 ほどなくして、予想通りすべての役職を解かれたラビアさんは、パスポートを没収され、行動の自由を制限されました。それでも彼女は、海外に「新疆」の人権状況を伝える活動を続けました。99年、ついにウルムチを訪問していた米国議会代表団にウイグル人に対する人権侵害の報告書を届ける途中で逮捕されてしまいます。政治犯の死刑や獄中死も多い中国で、ラビアさんは8年の刑を言い渡されたのでした。(続く)

*参考文献:「中国を追われたウイグル人」水谷尚子・著(文春新書)

(アムネスティ・インターナショナル日本 広報担当 野田 幸江)

●11/10〜ラビア・カーディルさん来日講演!


【メモ】

―その8―アムネスティのこれまでの活動の成果(4)

このコーナーでは、アムネスティのすべてを、順を追ってわかりやすく説明していきます。第5回から、アムネスティのこれまでの活動の成果についてご紹介しています。

アムネスティ・インターナショナルは、「世界人権宣言」が守られる社会の実現のため、国際的なネットワークで活動しているNGO(非政府組織)です。 1961年に英国で生まれ、現在は世界150カ国に180万人の会員組織を持つ世界最大の人権擁護団体となっています。アムネスティの活動は、非暴力・政治的中立を貫きながら世界に大きな影響を与えてきたことが高く評価され、1977年にノーベル平和賞を受賞しました。

■ダルフール紛争

2003年から続く「世界最悪の人道危機」といわれるダルフール紛争は、これまでに200万人以上の難民と30万人近くに上る死者を出しています。

アムネスティは2004年より世界規模のキャンペーンを展開し、スーダン政府や国際社会にこの問題への対応を訴えてきました。その結果、紛争の解決に向け以下のような進展がみられました。

・ 戦争犯罪、人道に対する罪、その他ジェノサイドを含む人道法違反があったかどうかを調査する国際委員会の設置

・国連が武装勢力、スーダン政府に対して武器禁輸措置

・2005年3月、国連安保理が、ダルフールで起こった犯罪の責任を追求するために、ダルフール問題を国際刑事裁判所(ICC)に付託

・2006年8月、国連安保理でダルフールに国連平和維持活動(PKO)部隊を展開する決議が採択され、2007年8月には国連とアフリカ連合(AU)の合同部隊の派遣決議が採択

・2007年6月、スーダン政府がアフリカ連合と国連による合同平和維持部隊の受け入れに合意。

 現在も紛争は続いていますが、国際的な世論の高まりからスーダン政府も国連部隊の展開を承認し、来年にも配備される予定です。アムネスティは、ダルフールの民間人たちが待ちわびる実効的な平和維持部隊の展開が、一日も早く実現されることを願っています。

【インフォメーション】

アムネスティ全国スピーキングツアー

「私たちは、『テロリスト』じゃない。〜『反テロ』戦争と新彊ウイグルの人権」

11月10日〜25日、アムネスティ日本は、中国・新彊ウイグル出身の元「良心の囚人」ラビア・カーディルさんを招いて、「テロとの戦い」の下で正当化されるウイグルでの人権侵害について知り考えるための巡回講演会を、全国8カ所で行います。

●東京     11月10日(土)

●和歌山 田辺 11月11日(日)

●岡山―倉敷― 11月15日(木)

●島根―松江― 11月17日(土)

●山口     11月18日(日)

●大阪     11月21日(水)

●北海道―札幌―11月24日(土)

●新潟     11月25日(日)

詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。

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