KMC掲示板

投稿者
メール
題 名
コード 1と1を足した数字を入力ください(1+1の答え)※荒らし対策
内 容 改行有効 改行無効 図/表モード
   
    URLをリンクする

    削除キー (記事削除時に使用)

■投稿時には、この記事を削除する時に利用する削除キーを設定してください.
■一度設定して投稿すれば一定期間同じ削除キーが保存されます.
■入力欄に記憶された内容を消去するには、[書き直し]→[書き込む]を順番に押します.

更新 終了


仰烏帽子山
投稿日 11月6日(火)19時18分 投稿者 新蒲生人 [softbank220020033221.bbtec.net] 削除

仰烏帽子山 のけえぼしやま 1302m  2007・11・03

2007年の文化の日、朝7:00に会員のSさんが我が家を訪れる。今日は熊本県球磨地方の山を登ろうと約束があった。

球磨川を人吉市で分岐する川辺川を遡ると子守唄で有名な五木村に到る。自分はもう随分昔の話となるが、そう30数年も前の記憶と言うか、当時人吉測候所勤務の知人からレオーネの直前モデルであったスバル1300をお借りして、九州山地をドライブした経験がある。
前夜の宿でお世話になり、早朝からたった一人で当時の未舗装路に踏み入れたが、走破する目標は椎葉村で、なぜかと言うと、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありと言う「平家物語」のイントロというかフレーズと言うのか、が、もの心ついた頃から大好きで“落ち武者”の謂われみたいなものに興味を抱いていたからだったと思う。そうそう、自分の若かりし頃に意識して通った、名峰と呼ばれる後ろ立山連方の盟主、鹿島槍ヶ岳にも伝説的な落ち武者物語があり、“鶏鳴で源氏に追われて”見たいな危機意識で、鹿島川流域最上部の鹿島部落の住民はニワトリを飼育しない掟が昭和の始めまではあったと聞いている。それは自分が19歳の夏に始めてカクネ里と呼ばれている八つ峰キレットの信州側に突き上げるV字谷の中での合宿であった。

Sが言う、この辺り来たこと有りますか?ハイ、多分30年も前になりますが、「子別れ峠」
って言うインパクトに感じた地名!忘れませんよ。今日登る山のちょっと北くらいに有る峠ですよ。って感じで会話も弾みながら順調にR445を遡ったが、突然現れたかっての五木村には愕いた、街に流れるBGMは例の子守唄であり、建物はすべて新築で、それも豪華なのである。Sさんが言う、この辺りは川辺ダム予定地で…交付金の街なのですよ。

人が幸せに成ることは良いことで、自分も現在の自分にほぼ満足している訳だからと、変に言い聞かせて更に支流の元井谷に向う。

今夏は宮崎県の台風被害が著しく大きかったと、メディアを通して新しい知事がPRしていたが、その影響か、お隣の県では有るがここ元井谷も渓相が大きく変わってゴーロの様が一変したとSが言っている。確かに露岩が磨かれた様子で綺麗だったが、浮石も目立ち気を使う登行ともなった。

辺り一面に福寿草保護の看板が目立つ谷からやがて分岐を繰り返す感じで、尾根に取り付き、快適な稜線歩きとなると1301.8mのピークは近かった。

今日は気象的には特異日だそうで、360度の展望に最高の条件で恵まれたが、南に霧島連山、北に根子岳と思える阿蘇の連峰、そしてご近所なのか、明日の登行目標の白髪岳や市房山が、なだらかだったり鋭鋒だったりで、ひときわ展望を楽しませてくれた。

明日の山行は白髪岳から陀来水岳縦走が会イベントだが、参加のための今日のプレ山行も温泉欲と日没をけじめとして、人吉クラフトパーク併設のキャンプ場でテントを張った。
「大石長一郎」球磨焼酎のブランドである。霧深い球磨地方の球磨米をじっくり発酵させて蒸留し、球磨源流の市房山から流れ出る名水で焼酎とし、シェリー樽で3年、ブランデー樽で更に3〜5年熟成した限定焼酎だそうだ。ラベルを見るだけでも贅沢さが嬉しさを感じさせるが、昼間の山行とのハーモニーが心地よく、簡単な夕食で明日に備えた。

仰烏帽子山では植林と天然の落葉樹が混成していて、紅葉は点に留まるようです。写真は下のURLでスライドショーをご覧下さい。

http://picasaweb.google.com/k.kikoh/Web03


白髪岳〜陀来水岳〜猪ノ子伏林道縦走
投稿日 11月6日(火)16時20分 投稿者 えっさ [109.59.145.122.ap.yournet.ne.jp] 削除

白髪岳〜陀来水岳(だらみずだけ)〜猪ノ子伏林道縦走
コースは籔はありませんが、白髪岳山頂を過ぎると、赤布も踏み跡もありません。
すべてにおいてルートファインディングとなります。
素晴らしきルートですが、途中沢渡渉あり崩壊地もありで安易な入山は危険です。
くれぐれもご注意ください。


久々のヘッドライト山行でした
投稿日 11月1日(木)15時55分 投稿者 新蒲生人 [softbank220020033221.bbtec.net] 削除


南九州では暫く降水がありません。それでも天空は霞みもせずに毎日毎日が良く晴れ渡っております。
私のノウハウでは一雨来れば…、その翌日がシャッターチャンスさ!だけを一つ覚えにしているのですが、当地でのメディアは晴れマークしか出てこないのが、今秋の状況なのです。
結局のところ待ちきれなくなった自分は、ひときわ大きなお日様マークに誘われて29日月曜日は早朝から出かけてみました。

3:30起床で4:00出発。家内の煎れたコーヒーだけを流し込んでの出発でしたが、蒲生の上空は星一つ見えません。なーんだ、これは、TV局さん話が違うぜ…って感じで焦りすら感じてしまいます。

昨夜のうちに弁当を作らせた手前もあって、真っ暗な夜道をひた走りました。もう何回かの体験でライトを横切る「狸」にも愕かず、とにかく鹿君のエリアまで走破しなければならないのです。

思ったとおりに、霧がたなびくえびの高原に着いたのが5:20でした。全く人気の無い駐車場で山靴に履き替え、気を引きしめます。
ピー、ピーン…鹿君の遠鳴きであす。標高1200Mの冷え切った外気温のせいか、細くたかーい泣き声で、もの悲しそうです。

LEDのヘッドランプを頼りに韓国岳を目指してスタートしました。辺りは真っ暗です。こんな時のステッキは心強いです。もう十数年も前のことですが、神奈川県の丹沢山域で昔の豆球を使ったヘッドランプだけで、塔ヶ岳に登頂したことがありました。あの辺りの野生鹿の多くは樹皮を食しているようで登山道にも出没するのです。一人歩きの人間には恐怖を感じないのか、ライトに寄ってくる二つの目には驚かされたり、怖い思いもした記憶があります。

霧の中での一人歩きで5合目、6合目と過ぎた頃に、ライトが不要になって、一踏ん張りすると一面は霧の中でしたが、1700Mの見慣れた看板が頂上を知らせてくれました。

冷え込む頂上で、「高千穂の峰」が顔を出してくれることのみを念じて、1時間以上も待ったのですが諦めの境地となってしまいます。

周囲が明るくなると山の霧は流れが速く感じます。草紅葉でも秋の表現は可能だろうと頂上周辺で様子を伺いながらのカメラワークです。

そして目指す「高千穂の峰」が見え出したのは、朝の光線が昼の光線に変わりつつある時間帯となりましたが、秋の透明感も感じる大気の中でなんとか作画できました。

韓国岳火口壁の紅葉は多分盛りだったのでしょうか、この項を飾れる写真も撮れた様です。

今秋の韓国岳。紅葉は平年並みか、それ以上か?写真は下のURLで

http://picasaweb.google.com/k.kikoh/LHNwpH


「白銀坂」と焼酎の話
投稿日 10月20日(土)22時13分 投稿者 新蒲生人 [softbank220020033221.bbtec.net] 削除

姶良町脇元に白金酒造と言う焼酎蔵がある。磯街道を重富で直進すると10号線の旧道となるが、昔ながらの石蔵がすぐに目に付き、ここにも焼酎屋があるって感じが楽しい。
昨年の春、まずはお“気に入り”を決めようと家内と共に訪れ、規模の小さな工房のような蔵の見学と「選ばれた水」の謂われナドを聞いた。
芋を蒸かしていた何人かの人達の中から、比較的若い職人さんが先輩に言われたのだろうか、私を外に誘う。そして彼の指差す方向には日豊本線越しに聳え立つ「白銀坂」が仰ぎ見られた。
因みにこの日に買い求めたブランドも「白銀坂」で37度の美味〜い焼酎だった。そんな縁で「白銀坂」の石畳は私のウオーキングコースとしてはお気に入りの一つで、蒲生の城山と共に良く登る。

この春頃からは牟礼ヶ丘まで足を延ばし、吉野辺りの適当なバス停から鹿児島駅へと至りJRで重富に帰ることを覚えたが、ほぼ一日を使える上に、良いトレーニングにもなる。

昨日の事だが、ようやく秋めいた気候となった安心から、夏の間には足の向かなかった「白銀坂」を登った。下部で布引の滝を見て、僅かな間ではあるが胸を突くような急登を強いられて本道に戻る。後は石畳を飽きずに歩くだけだが、風情や歴史を感じながらのコースは、これからも吉野のMさん宅を足で繋ぐ坂道となるだろう。

春に登ったときより芽吹くような植物に恵まれず、雨にも降られて寂しさも感じられたが静かに一人歩きをするには最高の環境だった。

『焼酎の「白銀坂」は季節限定であることから常飲はしておりません。この一年、私の“お気に入り”としてはもっぱら喜界島産の黒糖焼酎で30度の「朝日」を贔屓にしております』

滝と石畳の写真です。下のURLでご覧下さい。
http://picasaweb.google.com/k.kikoh/bQOqUI


平成19年 秋山合宿(尾根隊)に参加して
投稿日 10月15日(月)14時54分 投稿者 新蒲生人 [softbank220020033221.bbtec.net] 削除

昨年65歳の自分が横浜市から鹿児島県に移住して1年半が経ち、永住の積もりで現在の蒲生町に落ち着いてから1年、そして鹿児島山岳会の会員となり、沢山の山仲間と県内外の山を歩くようになって約半年の歳月が流れた。その半年の間に山名すら知らなかった高隈や大隈の山、そして霧島ではガイドブックにも記載のない山々を登り、味わう機会に恵また。一方県外の山岳では、単独で市房山、滋賀県の友人と伯耆大山を登り、会山行では阿蘇外輪山と今回の久住山群に足跡を残せた。もっとも身近な名山である霧島の山中を歩けば、絶えず宮崎県にも足を踏み入れながらの山行となるが…。

私の山行には加齢とともに、そのスタイルに様々な経緯や変化も有ったが、今は会の山行に参加した時など、出来る限り体力や気力に精一杯の努力中である。山容の違いとか、ジェネレーションギャップ中で、いつも自分のパワー不足を感じているし、時にはブレーキとなり恐縮もしている。そんな山行の計画中に、ターゲットとなる山域を自分なりに調査するプロセスで、例えば今回目標となったこの山は「九重山か、久住山かで300年もの長きにわたり争われて来たと言う」今の自分はこの種の話が好きで、その資料に夢中になる。
発端は当時の領地争いで、その最前線は肥後領となる久住山猪鹿浪寺と豊後竹田領(岡藩)の九重山法華院が絡む修験者同士の争いに、天領であった日田の勢力も加わった、三つ巴の争いだったようだ。勿論、争いはいつの時代でも利権のためで、硫黄の採掘や境界線争いから始まっているようだ。  
そして現在では山群の総称を九重山と呼称して、その山群中の盟主としての山名を久住山と呼ぶ事で「阿蘇くじゅう国立公園」の体面を保っているようだ。
九重山群は1700m峰が10座以上、1000m峰にレベルを落とせばナントその数は40座もあると言う。そして山群中の盟主は九州本土でも最高峰となる中岳(1791m)がその誉れを確保しているが、登られる山としての人気者は我々が今日トライする大船山と明日登る予定の久住山のようだ。

◎ 10月06日   牧ノ戸峠 ⇔黒岩山

鹿児島から九重山域までは参加者のマイカーに分乗しての移動となるが、予定通に秋晴れの九州道を北上して益城熊本空港で降り、空港を左手に見ながらR57へと跨ぐ。市内のJUSCOで3日分の食料を調達したが“女性3人寄れば”みたいな感じで賢く!買い物タイムを済ませた我々は、ミルクロードから大観峰方面へとコースを取り、かぶと岩展望所の大草原で絶好のロケーションを添えての昼食とした。

この頃から多少ではあるが、増えつつある雲量と高原のススキを揺らす風量に台風の余波を感じたが、産山村から大分への県境を過ぎると九重山のエリアへと至り、牧ノ戸峠の駐車場へと到着した。ただ、到着前から気にはなっていたが、3連休初日のいちばん陽の高い時間帯に、牧ノ戸峠の駐車場は“当に溢れる如し”で、嫌な予感もしたが“善男善女グループ“の行動には停滞とか、待ちとかが無く、ドライブから登山へとシフトが出来た。これはラッキーでもあった。
今日の山行予定は、時間の都合とウオーム・アップを目的に、九重山域の前衛となるか?黒岩山1502.6の往復登山となっている。車と人の溢れる牧ノ戸峠を出発して約10分、石畳の道を進むと東屋風の休憩舎へ出会い、登路は登山道と化して緩やかに傾斜も感じてくる。
やがて振り向けば迫力の感じる三股山や噴煙上がる硫黄山が望めて、久々に九重へ来た。と嬉しくなる。そんな時、前を歩く女性陣から歓声が沸く“竜胆”の発見である。そしてこの日のリンドウは花弁が大きく、色濃く鮮やかなのだ。そうそう、まつむし草も咲いていた。でも先月の俵山山行から2週間が経ち、色も姿もなぜか褪せていたが、季節の移ろいなのだろうか。
黒岩山は登るにしたがい傾斜も増してススキの斜面となったが、頂上部だろうか大岩が現れて当然のごとく攀じる仲間達。そして望める湧蓋山や九重山群を代表する山々の勇姿。この塊の中では此処より高い所は無さそうだ。そうか、この巨岩が黒岩山の由来かと妙に納得しての帰路となったが、牧ノ戸峠は見る見るうちに近づいて初日の山行を終えた。

◎ 10月07日   長者原  ⇔大船山

九重初日のキャンプ場は日付が変わった頃も満天の星空で、予報を忘れさせる楽しみを抱きつつ再びの眠りに入れたが、5時に起床してみるとまだまだ暗い中で空気は一変していた。そして湿度もだいぶ上がったようで、今日2日目の行動にアラームを感じさせる。

朝の長者原は生憎の曇天で、三股山には濃い目の雲が垂れ込めていたが、一雨の覚悟で広大なススキの原へ突入した。
九州の登山道は色々な場面で九州自然歩道を併走する場合が多いが、ここ大船山へのコースも登山口から雨ヶ池を越えて、坊ガツルまで九州自然歩道を歩くこととなる。スタートして約40分、いきなり樹林帯の葉を雨滴が叩く。やはり台風の影響は避けられないようだ。全員が合羽着用となり、未だ雨水の溜まらない雨ヶ池付近で山ラッキョウの群落に驚きながら先を急ぐ。

濃く重く垂れ込めた雨雲の下に平治岳と大船山が望めた。雨ヶ池越えであろうか、登山道がススキの茂る下り斜面に変り、だらだらと下れば、流れるガスの合間に坊ガツルのキャンプ場が一望できた。ここで幸いな事に雨は小康状態となり、合羽を脱いでの行動となって一同ホットする。
3連休中日の筈だが、牧ノ戸峠や長者原の喧騒では考えられないような静けさの中ではテント数も少ない。台風の余波を意識させられながら、濡れたススキの原を平治岳と大船山の分岐を直進して大船山を目指す登路へと取り付いた。
 樹林帯の急登を繰り返す辛い登りで5合目を過ぎると、コースは岩交じりの悪路となり更に急登となる。本来は坊ガツル方面の展望が開け、楽しめる箇所のようだが時々行き交うガスの間から覗ける程度で期待は出来ない。

 辛い登りを一歩一歩、漸く段原に着いた。以降はガスも濃くなり、益々傾斜の厳しくなる登りを夫々のペースで、慎重に1786.2mの頂上へと喘ぎ登った。
 
◎ 10月08日   赤川登山口⇔九住山

  立派なログ製トイレが設置された駐車場を後にして間もなく左へ扇ヶ鼻に向う登路が分岐するが、そのまま直進して小さな流れを小橋で渡る。橋上で横一列の記念写真を撮って先を進むが何回か林道を横切る。やがて斜面が急になると久住山の尾根に取り付いていた。この辺りで昨夜来の断続した小雨が本降りとなり合羽の着用となる。
 
 本来は主峰久住山なりのロケーションに恵まれて、登行に期待できるのだろうが今日はガスと雨雲に視界を遮られている。傾斜も厳しくなるが樋状の泥んこ道である。更に白く淀んだ霧中を登ると、いつの間にか森林限界を越えて周囲は岩山と化している。傾斜も益々厳しくなり自分の膝小僧が胸を突くような急傾斜となっている。そして大地の表面には雨水も流れ出した。
 喘ぎ喘ぎとなるが、何も見えない山を腕時計の高度計を頼りに、残りの高度を想像しながら辛い登りを重ねたが、やがて霞む大気の中に頂上部が見え隠れすると、三角点へのタッチは間もなくだった。
平成19年10月15日 完
 
 
山行中の写真があります。下のURLでスライドショーをお楽しみ下さい
http://picasaweb.google.com/k.kikoh/msIGhE


秋の外輪山と酒の話
投稿日 10月4日(木)23時50分 投稿者 新蒲生人 [dsl70297.fip.synapse.ne.jp] 削除

…れいざん…(霊山)阿蘇の酒蔵「山村酒造」が醸しだしている銘酒のブランドがある。
九州中央部でも極寒の冬、清涼な夏を求める「酒つくり環境」が自然に得られる、標高550mの阿蘇郡高森町を創業の地と選び、カルデラからの湧水が育んだ酒米を用い、豊富な阿蘇山の伏流水を仕込みに使う酒蔵を7年前に訪れたことが有った。

sinceが1762年と歴史を経ている蔵としては、数ある日本の霊山中の霊山は阿蘇山であるとのポリシーで、当時より「霊山」を銘柄としていたと言う。私が訪れ、一升瓶を買い求めた時も霊山だったと記憶していたが、今回のNET検索では「れいざん」と表記が変わっていた。

阿蘇外輪山南部の俵山峠から俵山を登り、幾つかのピークを越える主稜線を歩き、冠ヶ岳分岐より冠ヶ岳を往復して地蔵峠へ辿るコースと、全く逆に取るグループとに、二つに分かれて交差する交差縦走に参加した。

早朝鹿児島発のアクセスで、ドライバーのSさんが私に曰く。『Kさん、今同乗のSILKさんは酒が好きなんですよ』え!焼酎ですか?『いや!さけですよ、酒は焼酎とは違うでしょ…』・・・自分も酒好きで、かってはハンディ98なる小型ノートに北から南まで味わった銘柄を百数十種も入力して楽しみ、かつ得意になった時期もあったが・・・。

Sさん:『今日は縦走ですヨウ!・・・でも明日は時間があれば白水の湧水見物に案内するのでお二人さん楽しみにネ・・・』
私  :『アア、数年前に訪れていますよ、そうそうSILKさん。あの界隈には美味い酒がありましたよ…でも銘柄が即出てこない。困ったものだ、恥ずかしいことだ。…う〜ん、仏教に関連するような銘柄だったけど・・・』

俵山峠は阿蘇五岳が良く見える。産山村方向からの展望は釈迦の涅槃に例えられるが、こちら南外輪山からは真反対で、当然の事ながら杵島岳が一番左となり根子岳が右端となる。

今日のコースは事前の調べでは、水場が全く無い。良くは解らないがカルデラの阿蘇山域は、山間部より里や街中に湧水が豊富で、水前寺成趣園を代表にして、漱石も『 わくからに 流がるるからに 春の水 』と読んでいるが、山上部では地質が良質のスポンジ質なのか?多くの天水は地表を流れずに伏流となるのだろうか。

秋分の日の山行だったが、この日の阿蘇は霧島の山域よりも気温は高く熱暑の中での縦走となったが幸いにも一日が晴天で、最大限のロケーションにも恵まれて、秋の山野草とススキに魅せられた稜線歩が満喫できた。


岩トレ見学記
投稿日 10月3日(水)12時33分 投稿者 新蒲生人 [p6011-ipad05kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp] 削除

県道2号線はロードマップで見るとJR川内駅(薩摩川内市)と同じくJR錦江駅(加治木町)を結んでいる。そして昨日のロックゲレンデ「千貫岩」はこの県道沿いの祁答院町と蒲生町の堺となり、国道328号線の入来峠と流れを一つにする山なみで薩摩川内市と姶良郡の境界線ともなっている。

鹿児島山岳会はすごい。ビギナー中心の岩登りトレーニングの呼びかけに多数のベテランも駆けつけて20人近くの大人数となり、技を教え、教わり、そして実践してコミュニケーションも高めて、それぞれが有意義な一日を終える。

昭和30年代後半に初めて自分が山に憧れた頃のことで、積雪期を対象とすれば、国内第一級の登攀ルートは数ある北アルプスや谷川岳の岩稜、岩壁に加えて北海道利尻岳の岩稜と鳥海山の火口壁が当たるだろう…と。教えられたか、本で読んだかの記憶が未だに有る。
そして最近知った阿蘇五岳について、…西が観光向きなら、東は根子岳の岩峰を主とした登山家の世界だ。九州でも一等のロッククライミングのゲレンデとして知られている。…と、言う活字に触れた。

一生懸命に練習して、目を瞑りながらロープを結んだり、ルート図を探し出してナゾル。等々、昨夜はずいぶん以前のことを昼間の情景と共に思い出しました。感謝


阿蘇 俵山・冠ヶ岳 交差縦走
投稿日 10月3日(水)12時28分 投稿者 山彦 [p6011-ipad05kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp] 削除

こんばんは、飲兵衛の山彦です。

俵山・冠ヶ岳の縦走は秋の花々が登山道を彩って綺麗でした。
総勢15名の大所帯の山行となりました。
皆さん、朝早くからお疲れさまでした


阿蘇北尾根
投稿日 9月5日(水)21時48分 投稿者 名も無き者 [p4119-ipbfp401kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp] 削除

ひろさんぜひ参加してください。当会員も若い方がだいぶ増えて活気が出てきました。10月からはクライミングを中心に行いますので帰られた時は連絡を!!


久々の阿蘇北尾根
投稿日 9月5日(水)20時30分 投稿者 alzclimberひろさん [ppp1263.hakata08.bbiq.jp] 削除

会報で10月の阿蘇クライミングの予定を知りました。

行きたいな〜と思っています。 福岡より!


削除キー 新着順 1 - 10
最大記録件数 50 更新 終了

■削除は、[削除]欄をチェックして、投稿時に設定した削除キーをすぐ上の欄に入力してボタンを押します.
■削除キーが合致しない記事は削除されません.
■削除キー欄にマスターキー(管理者のみ)を入力すると任意の記事の削除が可能です.

MiniBBS
Arranged by Synapse Internet Service