私は、本は小説とか読まないヒトでして、もっぱら読むのはエッセイかドキュメントのみです。
理由は主に2つありまして、作者が訴えたいメッセージを物語を通じて間接的に読み取るよりも、直接喋り言葉で語ってもらった方がわかりやすい。と、いうのが1つめ。
もう1つは、感動的な話に涙を流している自分の傍らに、「ソレ、作り話ダヨ。」と囁くもう一人の自分がいるからで、まったく、ヒネクレた性格は死ななきゃ直りませんね。
そんな私が唯一例外として読むのが、ファンタジーとか、初めから作り話だとわかってる作品。
同じ理由で、TVもまじめなドキュメントよりも、くっだらないバラエティーの方が好きです。
「本当かしら、ヤラセじゃないの?」と片眉上げるよりも、「あはははは、アリエナ~イ!」と大口開けてた方が、ずっと健康にいい、というもんです。
最近読んだのは、くだらない話ではなくて、畠中恵さんの『おまけのこ』(アマゾンは
コチラ)です。
時は江戸時代、舞台は江戸一番の薬種問屋「長崎屋」、主人公はこの店の若だんなで、まだ好奇心旺盛な少年でありながら利発で優しく、病弱…。でもって、その他の登場人物は、ぜんぶ妖怪というストーリーです。
この物語はしゃばけシリーズとしていくつか本が出ているようです。この本も4つの短編で構成されていて、実はまだ最初の1編しか飛んでないのですが、狐者異(こわい)という妖怪が出てくるお話で、なんだか身につまされる話なので、ちょっと引用させていただきます。
狐者異は狐者異として生まれた初めから、その存在そのものが、他の者からはじき出されていたのだ。
どうしてこんな身の上なのか、狐者異自身、聞かれてみても、しかとは答えられない話であった。ただ、高慢であるといわれ、無分別であるとそしられている。そんな者は他にもいると口にすれば、強情という言葉が、更に降ってくる。
仏すら狐者異を厭い、恐れたまうという。かほどの方にまで嫌われれば、この世に身の置き所もない。
何故に狐者異一人のみ、こうもあさましい身の上なのか。憤り、誰ぞにわけを答えて欲しいと願うが、尋ねる相手すらまた、狐者異は持たなかった。(本文より)
この、狐者異という妖怪が「嫌われてるんなら一人でいたほうがマシ、別に好かれたくありません」と斜に構える事が出来るのなら、まだ救いはあるのですが、人一倍さみしがり屋で愛に飢えているのだから哀れという他ありません。
安住の地を手に入れようと、必死になるあまり、やる事成す事がすべて裏目に出て、狐者異は関わった人を片っぱしから不幸にしてゆきます。狐者異にはもちろん、悪意はなく、わざとやってるんじゃありませんが、酷い目に遭った方にとってそんな事は関係のない話です。たまったもんじゃありません。
もしも本当に狐者異が現れたりしたら、手を差し伸べてあげられるでしょうか。それとも、突っぱねてしまうでしょうか。