・クレジットカードシステム概要
・テクニックと材料に関するFAQ
・機器の保守メンテナンス
・特別寄稿 連載「コップの外の嵐」
 ・第一回 医療制度は国の文化
 ・第二回 歯科は平穏?
 ・第三回 役者が、求められる役柄を演じないとき・・・
 ・第四回 歯科診療報酬が集中的にカットされる理由
 ・第五回 歯科衛生士に問診をさせたら歯科医師は逮捕・勾留される?
 ・第六回 ライプツィヒに移転するくらいなら、仕事を変えるでしょう
 ・第七回 社会の医療と医療の社会の構造変化
 ・第八回 pre-existing condition
 ・第九回 歯科医師は、なぜ増えつづける?
 ・第十回 患者代表は、開業歯科医にとっては憎き敵?
 ・第十一回 歯科衛生士の業務範囲と独立診療
 ・第十二回 医療事故の刑事責任
 ・第十三回 メタボリックシンドロームを巡って
 ・第十四回 歯科の立ち位置
 ・第十五回 国の上からの保健政策はもう機能しない
 ・第十六回 死のキャンペインは,米国の歯科医療保障を改善するか?
 ・第十七回 歯科の内なる利害対立を直視する
 ・第十八回 歯科村を諦めず、コップの内に引きこもらず
 ・第十九回 日本型歯科医療皆保険と米国型営利歯科保険
 ・第二十回 ズルズルと給付範囲を縮小していいのだろうか
・Mail News
 
第21回 医療水準は誰が決める (2007/11/7)
●「医療水準を決めるのは裁判所」
医者の間で、「医療水準を決めるのは裁判所」という皮肉めいた表現を耳にする。福島県立大野病院事件で帝王切開手術中の女性が死亡した事故で医師の刑事責任が問われるなど、診療上の判断の是非が医師のピアレビューではなく、法廷で決められてしまいかねない現実を自嘲気味にこういうのである。これが「医療の萎縮」「医療崩壊」(小松秀樹)の元凶とされる。
このコラムの12回目で、医療過誤について刑事責任を追及している事例のなかに、そもそも論理的に無理があるものが多いという話を書いた。じつは、厚労省が非常に速いテンポで、診療にかかわる死亡の死因究明機関の創設に動き出して、いつの間にか刑事医療過誤事件に深入りしている筆者としては、その動きに対応せざるを得なくなった。
なんで、そんなことに一介の編集者兼ジャーナリストが振り回されるのか、訝しく思われよう。このコラムの投稿に間が空いてしまった弁解になってしまうが、政治の力が弱まるなかで、政策決定のプロセスが大きく変化していることを実感するからだ。現在のわが国では、利害関係を超越した解決策を提言することができれば、大きな問題を改善できる可能性が生まれている。昨年の政策提言をシェイプアップして『医療事故の責任』(毎日コミュニケーションズ刊)という本を10月に出版したが、これにつづいて研究グループを改組して、医療関連死の死因究明機関をきっかけに、この国の医療安全施策全般を見直す政策提言を完成した。だれに依頼された訳でもないただの提言が、どの程度政策を左右できるものか、早ければ来年にも法案が国会に出されるだろうから、今の厚労省試案と私たちの提言を、そのときに改めて論じてみたい。

●政府が求める意見
昔の政治感覚に慣れている方には意外だろうが、現代の政策ではイデオロギー色の濃い防衛や外交、教育などを別にすると、政治力ではなく、論理の力で動く事例が生まれてきている。政治は空白だが、官僚の専横は許されない。有識者の審議会を頻繁に開いて政策を議論し、さらに次々に意見募集(パブリックコメント)を繰り返し、合意形成をしてゆく。中医協だって、すべて公開で、議事録も資料もすべてインターネットからダウンロードできる。開かれた政策決定というのは、たしかに官僚政治のカモフラージュの一面があるが、国民主体にとって合理的な提案が採用されている例があるのも事実だ。
試みに次のサイトを見ていただきたい。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public
政府は、毎日数件のペースで意見募集をしている。なかでも厚労省は、国民生活にかかわりが深いので、10月ひと月を見ても23件の意見募集があった。
そんなもの歯科には関係ないじゃないか、と考える人はコップの中志向なのである。直近を見ると11月1日には、医療法人の附帯業務の拡大案すなわち医療関連の派遣業についての医療法関連通知、10月26日には治験に関する届出、医薬品の臨床試験の実施基準、事業場における労働者の健康保持増進のための指針の改正、24日には医療法施行規則の一部改正省令についての意見募集という具合である。
優れた意見であれば、政策の誤りを修正する程度のことはできる。歯科は厚労省の多くの医療系の審議会・検討会で席を与えられているが、残念ながら、そこでの意見表明がない。冒頭で話題にしたテーマを議論する「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会(前田雅英座長)」にも、歯科医学会を代表する委員が出ているのである。歯科の学者、関連団体は、大局的な視点をもった政策研究をして、各種審議会で意見表明をすべきだ。そういう立場になくても、こうしたいちいちの意見募集に積極的に応えるべきなのだ。残念なことに、その動きはこの分野にはまったくない。

●医療事故死のすべてが警察の捜査対象
「医療崩壊」の話題に戻ろう。医療崩壊は、間違いなく今年の流行語であり、目下進行中の来年度診療報酬改定でも、産科と小児救急を手厚くすることが目玉になっている。医療上の死が頻繁に警察沙汰になるようになったのは、2000年以降のことである。1999年に起きた都立広尾病院事件(指のリウマチ治療の患者に誤って消毒剤を注射して死亡させ、都と病院ぐるみの事実隠蔽が罪に問われた事件)と横浜市立大学病院患者取り違え事件という、医療界の密室性を象徴する二つの事件が契機でとなった。
しかし、医師が問題にするほど、診断ミスなど医療上の判断が刑事訴追の対象になっているわけではない。2003年以降に東京地方検察庁管内で医師が医療事故で起訴された事件は9件である。これを多いと見るか少ないと見るか。2000年以降、大野病院事件までの間、医師の判断ミスが業務上過失致死に問われた裁判は、やや拡大解釈しても全国で異状分娩の2例と杏林大学救命センターの割り箸刺創事件のみである。
では、なぜ医療への刑事介入が世間をこれほど騒がせるのかと言えば、ひとつは厚労省が国公立病院に異状死の警察への届出を強く指導し、これと相前後して都立広尾病院事件の最高裁判決で異状死の24時間以内の届出義務が確認され、それをきっかけに大病院の医療事故死のほとんどすべてが警察の捜査対象になってしまったからである。2003年以降に東京地検へ送致された医療過誤事件の数はじつに111件に上る。私の知人にも、外来で診察した高齢者が翌朝に急死したため、数回にわたって警察署に呼ばれ、殺人犯呼ばわりされて、医者としての誇りをズタズタにされている者がいる。もっとも送致されるが、起訴はされない。起訴便宜主義というもので、さんざんいじめた挙げ句、起訴するか否かは、検事の自由だ。
医者の間では、警察は言わずもがな、事件報道に走るメディアへの非難が盛り上がっている。社会部記者は警察発表を記事にするので、病院は常に悪者になる。医者のメディア批判について、筆者はその反批判を『医学のあゆみ』9月22日号で述べた*。(大意は、大衆向け新聞やテレビ報道を批判する前に、医療内部のジャーナリズムの衰退を問題にせよ、医学専門ジャーナルが薬屋の宣伝論文集でいいと考えているなら大衆ジャーナリズム批判はできない、というもの。)

●警察・検察も困っている
では、医療過誤の刑事責任追及で、警察や検事が間違っているか、と言えばそうではない。大野病院事件の逮捕劇が衝撃的だっただけに(担当検事はすでに左遷されている)、医療関係のジャーナリストは、医療批判とともに検察批判をする傾向に転じているが、大野病院事件は例外として、犯罪性があるとして届け出られた以上、警察としては刑事事件になるかどうか調べざるを得ない。遺族としても、真相を知る方法が他にない。病院が事実関係を隠蔽したり、正直でなかったりすれば遺族の怒りは収まらない。しかし、そうは言っても警察の仕事は原因究明ではない。犯人を挙げるのが仕事である。
こうして大病院の勤務医は、医療事故に関連すると、2000年以降、まずいったん「犯人扱い」されることになった。中小病院の方が安全管理は不十分で、医師の能力にも問題が多く、日常的な過誤は多いのだが、いまのところ警察への届出が厳格に履行されているのは、特定機能病院など大病院に限られる。患者遺族の告訴がない限り、中小病院の事故が捜査対象になることはない。医療事故が大病院に集中する所以である。
事故が刑事事件になると、原因分析はできなくなる。事故原因の調査とは「なぜ」か、を調べるものだが、刑事捜査とは、「だれ」が犯人か、を調べるものだからだ。業務上過失致死では、過失と重大な結果との因果関係を立証しなければならない。そこで検察は、医療行為の時間の流れを遡って過失を立証しようとする。医師はその時々に最善の判断をしているつもりでも、ちょうど負け試合で、フィールドのプレーを振り返れば、必ずディフェンダーの位置取りミスやパスミスが見つかるように、振り返って過失を見つけることは難しくない。そこで法医学者に意見を聞き、警察に協力的な医師に参考意見を求め、被疑者の判断の適否を問う。警察官が仲介しながら匿名のピアレビューをやっているわけだ。法医はあいにく臨床を知らないので取り調べ室で被疑者の講義を聴くという妙な捜査になるが。この種の事件は、数カ月間の犯人扱いの後、結局、不起訴(または起訴猶予)になる。面倒になって罪を認めれば、略式命令で処理される。

●医師と患者との力関係の理不尽な逆転
こうして検事、裁判官が「医療水準を決める」という構図になる。これが現代の急性期医療や産科の医師がかかえる理不尽さである。そしてこの理不尽さの背景には、医師と患者との力関係の逆転が潜んでいる。医療は不確実なものだが、患者は医療に当然の権利であるかのように高い期待をする。「患者は分かってくれない!」医者たちのこの日常実感にこそ、「医療崩壊」のリアリティーがある。
歯科では、医師と患者との力関係の逆転(病気か病気でないか患者が決め、治ったか治っていないかも患者が決めることがある)は、すでにはるか昔に始まっており、それを前提に医療が営まれている。歯科のような慢性疾患あるいは障害の回復医療では、少なくとも処置直後の確実性は高い。これが、慢性の生活の質にかかわる医療の特徴でもある。「医療崩壊」とは、ある意味で、慢性的な病気によって育まれた医療に対する認識あるいは医師に対する国民のマナーが拡大して急性期医療を呑み込んでしまった状況なのだと解釈できる。
翻って、歯科の医療事故の扱いを見ると、実に穏やかである。この5月八重洲の歯科医院で高齢の女性がインプラント治療後に急死し、治療との因果関係が濃厚だったが、それほど大きな事件にはなっていない。因みに、2000年以降、歯科医が医療事故の業務上過失致死で起訴されたのは、ただ1件、福岡の局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックだけである。アナフィラキシーショックによる死亡は、救急蘇生の遅れが業務上過失致死に問われやすいが、歯科の1件は略式命令請求を裁判所が略式不相当とし一審無罪となった。これは歯科医の注意義務違反と死亡との因果関係を裁判所が否定したものである。
歯科医の注意義務は、軽く見なされ、無罪とされた。この背景には市立札幌病院口腔外科医の救急研修が医師法違反に問われるのと同じ論理があるのだろうから、歯科医は喜んでばかりはいられない。日本の刑事事件は有罪率99%だから検察は「無罪になった」では済まされない。検事にとっては大きな汚点になり、判例として永く記憶される。

●「標準医療は保険の点数で決まる」
慢性疾患では逆に「標準医療は保険の点数で決まる 」という別の倒錯がある。本来診療行為のなかの点数評価されている部分を請求する仕組みだったが、患者に対して何をなすべきかという判断に選択の幅と時間の余裕があるので「点数があるから出来る」「保険の制約上出来ない」という倒錯が生じやすい。
本来、ある病気の治療で、標準となる治療が何かを決めるのは、ピアレビュー(peer review)である。どんな疑問にも、大規模臨床試験があって、そのシステマティックレビューがあれば都合がいいが、それは無理だ。
専門家同士の議論で決まるというと、なーんだ内輪で決めてしまうのかという誤解がある。かくいう筆者も、ピアレビューというものの価値を理解していなかった。素人は、どこかに真実があって欲しいと思うが、医療は必ずしも真実の答えをもっていない。ピアレビューというのは、専門家同士の評価にさらされることによって、専門家の「独り善がり」を排除する仕組みである。
治療方針決定に患者が参加する慢性疾患や障害の回復治療では、ピアレビューが軽んじられる傾向がある。「患者が入れ歯を嫌がったのでインプラントを選択」、「患者が望まなかったので保存した」という患者と医療者の1対1の関係が大きな意味をもつからだ。もちろん歯科でも、初期齲蝕や歯髄炎のような病変では、ある条件でもっとも合理的な治療法というものがあるはずだ。あるいは、患者の抱く疑問にどう応えるべきか、独り善がりでない専門家の共通理解があって然るべきだ。
「医療水準を決めるのは裁判所」というのも、「標準医療は保険の点数で決まる」のも、ひとことで言えば、医師・歯科医師のプロフェッショナルオートノミーの衰退を表現している。プロフェッションは、まず自分たち自身を律してこそプロフェッションたり得るのである。
*ご興味のある方は、別刷を秋元(edit-aki@kt.rim.or.jp)までご請求ください。

 


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