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日本海に沈んだロシア艦、17年ぶりに撮影成功

2007年11月01日

 日露戦争や第2次世界大戦の沈没船などをアジア各国で取材しているロシアのグループが10月中旬の1週間、島根県内に残る日露戦争(1904〜05年)ゆかりの地を回った。同グループは日本海海戦で江津市沖に沈んだ運輸艦「イルティッシュ号」の撮影に17年ぶりに成功。県内各地でロシア人兵士の墓地を守る人たちと出会い、交流を深めた。

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イルティッシュ号の沈没地点で潜水撮影に臨むロシア人。後ろは調査船「イスクラ号」=10月14日、島根県江津市和木町沖で

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海底に沈む船体は魚礁になっているという=10月14日、島根県江津市和木町沖で、イスクラ号提供

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17年ぶりに撮影されたイルティッシュ号。調査したロシア人たちは「船体から生えた植物が十字架に見え、何かを暗示しているようで感動した」と語った=10月14日、島根県江津市和木町沖で、イスクラ号提供

 グループのメンバーは、ロシア・ウラジオストクの極東国立工科大学の職員、沿海地方議員ら5人。04年から日本や中国、韓国などで日露戦争や第2次世界大戦ゆかりの地を取材し、撮影記録をDVD2巻(約90分、約50分)にまとめてきた。

 一行は10月11日、大学の調査船「イスクラ号」で県内入り。江津市和木町沖約2キロの日本海で14日から3日間、水深約50メートル付近で「イルティッシュ号」(全長約180メートル)の撮影に挑み、日本海海戦に参加したロシア水兵を悼むプレートを船体に供えた。ロシア人たちは「骨組みしか残っていなかったが、船を間近に見て、生の歴史に触れた感じがした」と話した。

 1905年5月に同艦が沈没した際、沿岸住民が乗組員約235人を懸命に救助したエピソードは、敵国兵を救った人類愛の象徴として語り継がれている。

 一行は17日、海岸に建てられた慰霊碑や、乗組員が残した品々を展示する市立和木公民館を訪ねた。慰霊碑の清掃を続ける地元住民や公民館の森崎玉子主事らが出迎えた。

 森崎主事は「和木での出来事をロシア側にもわかってもらえたと思う。史実を後世に伝えたいという思いで一致した」と言う。「イスクラ号」のウラジミール・カルタショーブ船長は「血痕の着いた水兵服が胸に迫った。日本人には感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。

 これに先立ち、12、13の両日には隠岐の海士、西ノ島両町を訪れた。このうち海士町では、日露戦争を戦ったステッセル将軍が乃木希典将軍に贈った白馬「寿(ス)号」の墓、西ノ島町では日本海海戦で漂着したロシア人兵士の墓などに参った。カルタショーブ船長は「墓地がきれいに整備され、ゆかりの品々も大事にされていて本当に驚いた。ロシア国内であまり知られていない日露戦争中の史実をロシアの若者も記憶にとどめてほしい」と話していた。

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