ウォーターゲート事件(72年)で大統領を辞任に追い込んだのはワシントン・ポスト紙の若い記者たちでした。情報源は「ディープ・スロート」と呼ばれ、自らが名乗り出るまで秘匿され続けました。奈良・高1放火殺人事件の調書が単行本に引用された問題で、鑑定医が逮捕されました。取材源の秘匿は報道に携わる者にとって生命線で、結果的にそれを守れなかった著者は批判されるべきです。それでも、報道・出版の自由に公権力が介入するのは反対です。それが恣意(しい)的になった時、何が起きるか。歴史が教えてくれます。(地方部・山内雅史)
毎日新聞 2007年10月16日 大阪朝刊