テレビを見ていたら長塚京三が背中で嗚咽しているCMに遭遇した。
先週見たCMではいっしょに住友信託銀行に訪れて資産管理の引き継ぎをしていた彼の父が急逝したらしく、たっぷり資産を残してくれた父の遺言状を見て「父さん、ありがとう」と感謝の涙を流している中年の息子の背中をさらにその子供が見つめているという絵柄であった。
私はつい3日前に、「金満家の祖父のおかげで一族が栄えるという絵柄のCMがやがてテレビ画面に登場するであろう」とゼミのクロダくんに予言したばかりなのであるが、これほど早く私の予言が的中しようとは・・・
みなさんももうお気づきになったであろうが、最近の商品カタログなどの表紙は「三世代もの」が多い。
いかにもリッチそうな祖父母、その七光りで豊かな生活をエンジョイしている息子・娘夫婦、その倍の14光りの恩沢を受けて屈託なく微笑んでいる孫たち・・・の集合写真である。
これが意味することがおわかりであろうか。
そう、あの1500兆円の個人金融資産である。
これからの日本経済の趨勢はこの1500兆円をどうやってマーケットに還流させるかによって決すると申し上げても過言ではあるまい。
財界とメディアと電通はこの1500兆円を握りしめている高齢者たちの財布のひもをどうやって緩めるかに戦略をピンポイントしている。
安倍政権の命取りとなったのは年金不祥事であるが、事件発覚直後の安倍首相の対応はきわめて鈍いものであった。明らかに「こんなことはたいした問題ではない」と高を括っている風があった。
ところが「年金不安をすみやかに解消せよ」という財界からすさまじい圧力がかかってきた。
大あわてで対応策を講じたが、ときすでに遅く、このときに実質的には安倍首相の命運は尽きたのである。
どうして財界が「年金不安をすみやかに解消せよ」とすさまじい圧力をかけたかというと、年金不祥事の報道直後に高級自動車の売れ行きが一気に低下したからである。
自動車のセールスは消費意欲のもっともわかりやすい指標である。
私たちはちょっと金回りがよくなると、とりあえず「車でも買い換えるか」という気分になる。
車のグレードアップには家族内で反対する人間がいないからである(「ゴルフバッグでも買い換えるか」とか「毛皮のコートでも買い換えましょうか」とかいう提言は相当な力業を使わないと家庭内合意に達しない)。
車の買い控えはいずれ不動産の買い控えに直結し、やがて消費財全品目の買い控えを帰結し、それによって日本経済はようやく手に入れた浮揚力をふたたび失う恐れがある。
年金不祥事は「年金制度は信用できない」という雰囲気を醸成した。
それは要するに「老後の蓄えには手を付けない方がいい」ということである。
1500兆円の個人資産にこの瞬間に「ロック」がかかったのである。
年金をめぐるどたばたは原理的にはこの「ロック」を解除しなければ日本の経済活動全体が停滞することにいちはやく気づいた財界と、それに気づかず政策の整合性や省益維持にかまけていた政官界との危機感の温度差から生じたのである。
と思う(別に証拠があるわけではなく、ただの推理だけど)。
でも、そうだと思う。
年金制度、高齢者医療、介護などについてこの半年間いろいろな制度上の問題点の指摘がなされて、「膿を出す」ということが行われている。
それはべつにわが国の行政官たちがとつぜん博愛的になったからではない(彼らはそういう人種ではない)。
高齢者が社会制度に対して安心感を持ってくれないと、彼らの「財布のひもが緩まない」という厳然たる事実がエスタブリッシュメント内部で無言のうちに了解されたからそうしているだけである。
ご老人たちが1500兆円を残りなく吐き出してそれが市場に還流すれば日本経済は今後20年は大盤石である。
そのためには、高齢者の耳元に向かって「日本の社会保障制度は安心です。老後の生活には何の不安もありません。行政がまるっと面倒みようじゃありませんか。ですから、みなさんの預貯金、そんなふうに定期預金にして退蔵する必要なんかないんです。もっと利回りのいい(そりゃ多少のリスクはありますけどね)金融商品に移転されるとか、消費財にお使いになられたらどうですか?」と官民一体となって囁くというシナリオが出来たのである。
年金制度と高齢者医療介護制度の整備が喫緊の政治課題であるのは、そうしないと高齢者が金を使ってくれないからそうしているのである。
安倍から福田へのシフトの意味もこれでご理解いただけるであろう。
福田首相の掲げたスローガンは「改革のスローダウン」である。
いろいろな制度でもまだ使い回しがきくものはそうそう急に廃棄したりせずにですね、使い伸ばすと。急な変化はですね、まあどうなるか、よく先を見てですね、軽々に判断しない、と。
これが誰に対するアピールであるかは容易に想像がつくであろう。
福田内閣はなんと「高齢者オリエンテッド内閣」だったのである。
小泉構造改革で日本社会の階層化は急激に進行し、グローバリゼーションによる競争原理の導入で、大量の野心的起業者が出るはずだった年齢層からはニート、フリーターが大量出現した。
この世代では少数のリッチマンに資産が集中し、過半が貧困層に転落した。
この資産配分は市場にとっては少しも好ましいことではない。
一番物が売れるのは「一億総中流幻想」の時代だからである。
いずれにしても本来消費活動がもっとも活発なはずの25-35歳の「ロストジェネレーション」は「金がないので、消費しない」という理由で政策的関心の対象からはずされてしまった(気の毒である)。
もちろん行政的な支援によって彼らがこの先中産階級として自己形成し、家族を作り、税金年金を納め、消費活動を行うということをご確約いただけるのであれば行政とてこの世代に税金を注ぎ込むことにやぶさかではないであろう。
だが、この世代の方々はご意見ご要望を徴しても、どうも「郊外に一軒家を建てて、庭には犬を飼って、週末には子供たちとワンボックスカーでキャンプに・・・」というようなベタな未来像を語らないのである。
再生産や消費活動に夢をいだくには、絶望が深すぎるのかもしれない。
ともあれ、行政は「絶望が深すぎる人間」の救済には優先的には税金を投じない。
効率が悪いからである。
それよりは、「ちょっとの呼び水」で労働意欲、消費欲望に火が点く層に焦点化する。
かくして、「高齢者が孫子のためにお金を豪快に使うことで、家族全員が幸福になる」という新しいタイプの消費行動の理想型がメディアをつうじてひろく流布されることになったのである。
私はここにきっぱりと予言するが、このタイプの〈物語〉がこれから洪水のようにメディアに溢れることであろう。
老人が節度なく金を使うのは「孫」のためだけである。
リッチな老人と孫のあいだに親密な関係を打ち立てることできた家族とそれができなかった家族のあいだには、これから消費余力に大きな差ができる。
だから「(金のある)おじいさん、おばあさんをたいせつにしましょうね」という算盤づくの「家族幻想」がうるさいほどにふりまかれるのである。
80年代には家族解体が消費市場のビッグバンをもたらした。
21世紀初頭は家族再統合が消費の活性化につながる。
もちろんそれは人口構成が逆ピラミッドであり、高齢者に所得が偏っているという本邦の特殊な事情によるのであるが、おそらくこのような事態が出現したのは人類史上前代未聞のことであろう。
まことに不思議な時代に私たちは立ち会っているのである。
コメント (12)
おもしろく拝読しました。
たしかにわたしたちの親世代は一気に不安モードに突入したような気がします。
うちは子供がいませんので、親世代から孫にお金を使ってもらうことはありません。
わたし自身にも甥とか姪とかいませんので、進んで使ってやりたいと思う相手はいなくて、もっぱら自分自身のために使いますし自分でやりたいこともあります。そのためには自分で稼がねばならず……養われているわけではないので。
まあ、納得してますからいいのですけど。
しかしこうして書くと、なんだかすごく利己的な人間ができあがっていますね。これも三世代に渡る教育の成果なのかな?(笑)
投稿者: ぱぐ
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2007年11月09日 12:49
日時: 2007年11月09日 12:49
今回のテーマは、解りやすく(我が家は四世代同居)もやもやしていることが少し晴れてきました。
ここで内田先生に質問させていただきたいのですが、どうして老人が節度なく金を使うのは「孫」のためだけなのですか?
祖父(私には義父)は正にこの通りで、本当に助かっています。私には二人の息子(小4・小2)がおりますが、彼らが欲するものを私は購入したことがありません。(私:養子です)義父母が、特に彼らにとっては祖父がこれでもか!と買い与えています。
妻(その義父の実子)の子供の頃とはずいぶん違うようです。消費だけではなく、孫もためならどんなことも了承するんです。先日義父は私に「何で子供の言うことを聞かないんだ(プンンプンと怒りながら)二人が俺の部屋に来てどんなことを話しているのか言ってやろうか」と。
それを聞いた私は以前妻から聞いたことをすぐに思い出し思わず眉間に皺を寄せてしまった。20年前の話になりますが妻は高卒後、東京に行きたかったそうです。しかし義父は「絶対駄目。俺の目の届かない処へは行かせない」と話したそうです。(俺の目の届く範囲は関西・北陸方面のこと)
翻って祖父になった今、物わかりが良すぎる人物に変身。彼にとっては「真子(まご)」だからでしょうか?
投稿者: きこり
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2007年11月09日 12:56
日時: 2007年11月09日 12:56
おっしゃる通りです。
現にボクの父(71歳)は土地を買い替えて1億円の差益を得て、
孫の為にせっせと三階建ての芸能人並みの豪邸を建てています。
危うくニート層から逃れたボク40歳はマンション購入でして
電通さんの作った物語にすっかりノリノリで、色々と物色して
居るのですが、利回りの良さげな高級物件意外は、マンション
ブームも下火になってきました。とある住宅街の高級物件を目に
して、ボクのパートナーは「高級老人ホームみたい」とのたまい
ました。
ボクもおじいちゃん(ボクの父)の3億円の土地の相続を見越して
消費しています(マンションのみ)。おばあちゃん(ボクの母)は
再開発で生まれ変わった街に行きたがりますし。。。
相続税を減らすってのはどうでしょうか?(欲深い希望!)
投稿者: LINUS
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2007年11月09日 13:10
日時: 2007年11月09日 13:10
(こちらのエントリーとは関係ありませんが…)
きのうの毎日夕刊「メディア・リテラシー」を拝読しました。
ご指摘の通り、フジテレビの株価は2000年に293万円まで上昇しました。
もっとも、その1年前には50万円ほどでしたし、高値から2年足らずで再び50万円前後に戻ってしまいました。
「この事実を社会構造上の大きな変化の徴候として指摘し分析すること」も可能でしょう。
ただし一般には、もっぱら金融現象とみなされ、2000年初めにかけての世界的な株価急騰(フジテレビに限らない)は、「ITバブル」「ネットバブル」と呼ばれています。
すなわち、コンピューター2000年問題による混乱を警戒した各国中央銀行が潤沢な資金を供給し、折から勃興期を迎えたネット関連企業への過剰な成長期待と相俟って、株価のバブルが膨張、そして破裂したという解釈です。
ちなみに、日本における象徴的なIT関連企業のソフトバンクの株価は、2000年の高値から1年足らずで20分の1になりました。
また、アメリカの代表的な株価指数のひとつ、ナスダック総合指数も、同期間に半値になっています。
さらに加えれば、フジテレビは1株を2株に分割していますので、株価は実質的には10分の1ではなく5分の1以下になたというべきでしょう。
ところで、「『テレビの消滅』の可能性とその様態について」ですが、ライブドアによるニッポン放送株買い集め騒動以来、各所で論じられたというのが私の理解です。
その際のキーワードは「テレビとネットの融合」。
この概念がどれだけ妥当か判断しかねますが、ヤフーでこのキーワードを検索すると3060件ほどヒットしました。
メディア・リテラシーとは、「『メディアには決して情報として登場してこないもの』を感知する能力」である以前に、テレビから受動的に得ることのできる情報以上のものを感知する能力、といったほうが良いのではないでしょうか。
投稿者: マスコミの端くれ
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2007年11月09日 15:04
日時: 2007年11月09日 15:04
わお、すごい。面白すぎます。
ところで、内田先生とは違う経路ですが、私も「これからは家的な価値が重要になる」ということを考えていました。
戦後復興を経て昭和三十年頃から、日本中があらゆるものに対して「新しいことはよいことだ」の方向に走り始め、いまも走り続けています。それで、新しいものの上に新しいものを積み重ねていった結果、はて土台にあった原理はなんだっけな、ということになっているのが今だと思うんです。
今はまだ、かすかに土台の気配のようなものが残っていますが、団塊世代が本当に現役から退いてしまった後に残された私たちには、おそらく、自分たちが拠って立つ基準がちょっと前の自分たちの影にしかない、ということになります。
これはちょっと危うい、そうだ、これからは家的な価値を復活させて、長老の知恵の恩恵に預からなければならないぞ、と感じていたところです。
ので、内田先生、これからも益々のご活躍を切にお祈りいたします。
投稿者: naoyukik
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2007年11月09日 17:57
日時: 2007年11月09日 17:57
消費のみによって経済が活性化するという考え方は、かなり疑わしいのではないでしょうか。高齢者の消費ですから、ただの蕩尽に堕してしまう可能性を無視するわけにはいきません。
そして、行政が「絶望が深すぎる人間は救わない」ような費用対効果の最大化のみを追求するようになり、それが社会的にも認められるようになってしまったら、かなり終末的な事態が予見されますね。
投稿者: atra
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2007年11月09日 22:22
日時: 2007年11月09日 22:22
連投失礼します。
蕩尽は言い過ぎたかもしれません。
しかし、日本の産業の生産力や技術に貢献するように
現在退蔵されている資産が振り向けられないと、
日本経済は、たとえしばらくは持ったとしても、
20年ほど過ぎたら今度こそ完全に凋落の道を辿るでしょう。
そして、そういった形の資産の舵取りは、
日本の国力に惹かれる部分の少ない現状では、
相当慎重にやらないと、上手く行かないと思われるのです。
投稿者: atra
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2007年11月09日 22:34
日時: 2007年11月09日 22:34
こんばんわ
僕はまさにロストジェネレーションぎりぎりです。
だから存分に両親、祖母からの支援を賜り、のん気に生活しています。
しかも僕は仕事としてケアマネージャーしてるので、お年寄りの財布が開かないことは即、死活問題になります。
ホントにお年よりは大事にしましょう。少なくとも僕はそうします。
別にかっこつけてる訳でも、善人ぶってる訳でもありません。
単に「お年よりは見てるだけでおもろい」からです。
僕の祖母とのん気にベンチに腰を下ろして、日向ぼっこをするのが何よりラクで楽しい。
それだけで、僕の生活は安泰です。多分。
投稿者: 戸川リュウジ
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2007年11月10日 00:06
日時: 2007年11月10日 00:06
おじいさんおばあさんをたいせつに
とてもよいタイトルですね!
政府や大企業がさらに利益を上げるためのターゲットは、仰る通り、消費する以上の余剰資産を有する高齢者であることは確かですよね。でも、だからお年寄りが大切なわけではなく、もともと大切な存在であったお年寄りが、(加えて余剰資産も持っている)存在として大切である、ということなんでしょう。よいことですね。
たくさんの貯金を持っても老後に不安を抱える日本の状況は、「お年寄りは大切に」というスローガンのもと政治を改革すれば意外に解決される気がします。
「格差社会」という言葉に象徴される、お金という限られた尺度でしか考えられない(あるいは単一の尺度でとらえられるような発達したメディア・リテラシーを万人が得られようになった)現在の状況は、メディア・リテラシー発達した今だからはやる言葉であって、たとえば安土桃山時代とかヨーロッパ中世とかメディア・リテラシー概念そのものがない時代ではありえない発想ですよね。
現代は、「多くの知識・情報が得られて多くのことを選択できる時代」という現状の肯定感がまず大切なんだと思います。
投稿者: ivanisevic_on_the_shore
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2007年11月10日 00:47
日時: 2007年11月10日 00:47
この記事を読んで「現状の肯定感がまず大切」って考える方がいらっしゃることに驚き、しかし、すこし冷静になって、そう考える方は少なくないのかもしれないと思い直しました。
とはいうものの、こんな形で持つものと持たざるものの乖離は広がるんだろうなぁと思います。
ここで内田センセイが書いてることって、
「おじいさんおばあさんをたいせつに(ただし、彼と彼女がお金持ちの場合)」ってことですよね。
投稿者: tu-ta
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2007年11月10日 05:36
日時: 2007年11月10日 05:36
孫世代にあたるであろう主婦です。
私もここでの肯定され方に違和感を感じます。
確かに結婚して社会の現実を知ってからは、祖父母や親の凄さを感じることは多いです。
が、ヨシ甘えておこう!とは思いません。私たち夫婦は身分相応の暮らしをしています。頑張って働いてお金持ちになろうね、と言い合うことはありますが。
情けない孫ばかりではないんですよ。
親におんぶじゃないと生活できない、そんな家庭に意味があるんでしょうか?
投稿者: ころもこ
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2007年11月10日 13:59
日時: 2007年11月10日 13:59
こんばんは。初めて投稿させていただきます。
先日、郵便局(○△銀行と改名したそうです)に行きましたら、窓口に50代男性とその母親らしき人物が来ていました。手には紙袋…小さな郵便局ですので会話も筒抜けです。「このお金、全部預けたいのですが…」と切り出した男性に郵便局員が「すみません。預け入れは1000万円までということになっています」と謝っていました。
どうやらあの紙袋の中身は全部現金(?)のようです。しぶしぶ紙袋からひと包みの現金を渡して帰宅したようですが、こんなにたくさんの現金を無造作に持ち歩く人がいらっしゃるのですねぇ。いやぁ、驚きました! 金満ニッポンですよ。あのおばあちゃんは大事にされるのだろう、と思いました。お金に縁のないおばあちゃんはどうなのでしょうね。自分の行く末が心配です(泣)。
そうそう『村上春樹にご用心』は、おもしろかったです。冬ソナファンの私としては、「韓流ドラマの中で冬ソナは別格」という内田先生のお墨付きをいただいて、本当に嬉しかったです。父親不在のチュンサンと春樹作品の登場人物、この共通項に注目されたのは素晴らしいですね。春樹氏は父親の確執があったらしいですね。内田先生のこの本は、春樹作品の解説本としては、画期的でした。また、お願いしますね。
投稿者: 風の歌
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2007年11月10日 18:43
日時: 2007年11月10日 18:43