2005.Oct.
新釧路川

情報工学科 本間 宏利


新釧路川には鳥取橋という橋が架かっている.
僕が小学生の頃,親父の車に乗ってちょうどその橋を渡るとき,親父がこう言った事がある.

「昔はこの川はとてもキレイで泳げたんだぞ.」

そんなことを聞いても僕は「ふーん.こんな汚い川でね...」と言ったと思う.

その頃の僕にとって新釧路川は格好の遊び場だった.
小学校から帰ると同級生や近所の連中が自然に何人も集まり,いつもの場所で遅くまで糸を垂らす.
新釧路川は決してキレイだった訳ではないが,魚は豊富に住んでいた.
ウグイ,カレイ,アカハラ,アメマス,カジカ,フナなどが竹竿でもよく釣れた.
大物になると30センチを越す魚もあり,家で焼いて食べることもできた.
まあ,味は全然うまくはなかったが.

釣りの他にも野球をしたり,虫や蛙を取ったりして遊んだ.
休みの日となると朝から夕方まで飽きもせずに,その遊びは続けられていた.

新釧路川で泳ぐ人はいなかったが,近所の小学校のサッカー小僧が河畔公園で練習をした後は,川の水で顔や手を洗ったり,タオルを濡らす光景もよく見られた.
休日になると水の中に入って模型ボートで遊ぶ家族連れも多くいたことを覚えている.

このように遊び場として新釧路川は多くの楽しみを提供してくれていた訳ではあるが,親父の言った「泳ぐことができた」という言葉をきいても,にわかには信じられなかったし,その言葉に感動を覚えた訳でもなかった.

時は流れて,僕がその頃の親父の歳になり,娘がちょうどその頃の僕の年齢になっている.
先日娘と鳥取橋を渡った時に,「昔は魚がたくさん釣れたんだぞ」とふと言葉にした.
娘には「そんな訳ないじゃん」とあっさり否定されてしまった.

よく見ると新釧路川は大きく変わってしまった.川は当時よりもかなり汚れ,ガキ共の遊び場だったポイントも雑草がはびこり,見る影もなく廃れてしまっていた.
魚釣りや野球をしている子供など誰一人いない.
もはやレジャーとしての川の意味を全く持っていない.

その時,僕はそれ以上は話をしなかった.説明しても当時の僕のように何の感動もしないだろう.
娘にとっては今の環境が,今の新釧路川の状況だけが現実であり全てだと思うからだ.
ただ,川で魚を釣る楽しみや皆で遊ぶことを知らないこの子はかわいそうだなと思ったのと,昔親父が「以前は泳げたんだよなあ」と言った時の気持ちが何となくわかったような気がした.
それと同時に「俺も歳をとったんだな」とちょっと悲しくなった.

自然での遊びを知らない娘は,今,携帯たまごっちなる素敵なおもちゃを楽しんでいる.
こいつも大人になった時,自分の子供に「ママはこんなおもちゃで遊んだのよ」と言って,子供にバカにされる日がくるのだろうかと思うと少し笑える.


 作者紹介 本間 宏利(ほんま ひろとし)

 情報工学科の学生にとって本間先生は「こわい先生」という一面を持っているようです。なかなかキツイ言葉(毒舌?)で学生たちを叱咤激励し、びしっと指導が入るみたいです。でも、それはすべて「本当のこと」。本間先生は学生に対して、いつでも誰に対しても本音で対峙しているのです。

 そんな本間先生も娘さんに見せる父の顔はちょっと違うのかもしれませんね。(想像できませんが)