婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2007年11月09日
少子化と長命化
 今日は午後からタフな手術が3件入っていて、大変な一日となるのが最初から分かりきっている日だった。
 最大の不安事項は月曜日から続いている虫垂炎と思われる右腹痛である。何かあったら困るので3件の手術のうち1件は後日に回した。更に抗生剤の種類も昨日から更に強力なものに変える。

 僕にとってもオペ患者さんにとっても幸運な事に深夜業務は無く、デパスの力も借りて朝までぐっすり眠れた。
 腹痛にも抗生剤を嫌気生菌に効果が高いダラシンカプセルに変えたのが著効したらしく、反兆痛は今朝には無くなっていた。
 そういえば今夏罹ったマイコプラズマも、薬をジスロマックに変えた途端に熱が下がったのを思い出す。

 各種副作用や医療事故が話題になる事は多いし、薬に頼って生きるのもどんなものかとは思う。しかしいずれにせよ医薬品の力は偉大だ。
 ガン手術を受けた事の有る僕なんて、碌な医療の無い50年ほど前にこの世に生を受けていたら、多分今頃の年にはとっくに死んでいたに違いない。
 今日の仕事は予想通りタフなものだった。外来は比較的すいてくれて助かったが、午後の手術にはやや手こずる。手術を一件減らしておいて良かったと思った。

 話はがらりと変わり、今日の手術は若い方とお年寄りの手術だった。手術日を後日に変更したのは壮年の方の手術である。 
 さて、だいたい人間と言うのは0歳から20歳くらいまでは他人に面倒を見てもらい生きている。20歳から60歳くらいまでは今度は他人の面倒を見ながら生きていく。70歳も過ぎれば今度はまた誰かから自分の面倒を見てもらい生活する。
 人間の世界は個人差はあれ、だいたいそんな風に出来ているのだろう。
 だから世の中を上手く回すには、適切な人口ピラミッドが社会に出来ている必要があるとなる。
 
 そこで僕は不安な事が有る。少子化の原因には晩婚化とか女性の社会進出とかいろいろな事が言われているが、本当の少子化の原因はマスとしてのお年寄りの長命化にあるのではないか。
 お年寄りの長命化により、どうしても社会はその力をお年寄りの世話に振り向けざる終えなくなる。その結果元気な世代の出産や育児に回せる力が減り、少子化が進む。
 そして人数少ない子供達が大人になった頃には、更に20歳から60歳くらいまでの世代の負担は増えている事となる。これはこのまま長命化が進めば進むほどお先真っ暗となるシナリオなのだ。

 もしこれが不都合な真実であったら、これを解決するには子供を増やすために、お年寄りの人数を減らさないといけなくなる。
 具体的には有る程度の年齢以上になると医療や介護サービスが受けれなくなる社会を作らないといけなくなるのかもしれない。

 これは考えれば考えるほど恐ろしい話だ。僕がこのままお年寄りになった頃には、70歳とか80歳以上の方は手術を受けれない、薬を貰えない、更には介護を受けれない。そういう時代が来ているかもしれない。
 貴重な人的資源やエネルギー資源の世代間振り分けをどうするか、それを真剣に考えなければいけなくなる時代はきっともうすぐそこなのだ。
2007年11月08日
最期の食事は
 腹痛は続いていたが、痛み自体は収まる傾向にある。収まるに連れて痛みの箇所は右下腹部のマックバーネーと言われている所に収束してきた。これはどうやら軽い虫垂炎になっていると考えた方が良さそうだ。

 痛みは激烈なものとならないし、抗生剤も飲んでいるから、多分虫垂破裂から腹膜炎という最悪のシナリオにはならないと思う。
 さて昨夜は病院フットサル同好会リーグオクサニョーラ最終節の試合日だった。ここは日韓ワールドカップを虫垂炎になりながら戦った小野伸二の故事?に習い、腹痛にもめげず試合に出たりする。
 試合の最中は痛みを忘れていたが、もちろんプレーには精細を欠いた(だからと言って誰もどうという訳ではありませんが)。
 更についでにその後クアアルプでそれなりにワークアウトさせる。さすがに無理したか家に帰った時には顔色悪く、プリンとヨーグルトだけ食べてすぐさま布団に入った。

 その後幸運にも夜中の仕事は無しで済んだ。とはいえ朝病院に着いた時には、既に産婦人科の待合室は満席状態だ。
 覚悟を決めてダッシュで仕事を始めるが、だんだんと全身倦怠感が増してくる。
 午後からも緊急処置、検査、午後診察、分娩と目白押し業務で忙しい。やはり虫垂炎が効いているのだろう、午後に入ると仕事のペースはガタンと落ちて、微熱も出てきた。
 こんな暮らしをしているといずれ倒れて死ぬんじゃないかと思いながらも、今日も追われるようにして、ふらふらに仕事を続けた。

 さてさてそんなこんなで、僕はここの所腹痛のためまともな食事をあまり食べてない。
 昼の弁当こそ7割がた食べているが、朝晩はヨーグルトとかプリンばかりだ。とはいえ最近のコンビニで売っているプリンは結構おいしかったりして、中には目から鱗の味わいプリンもあった。
 それはともかくこの腹痛のおかげで体重が落ち、この数日で少し痩せた気がする。
 今日も外来患者さんから「仕事が忙しくてこんなに痩せてしまったのね」と労われたが、嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。まあただでさえ僕は山スキーヤーとして太り気味である。スキーシーズンに入る前に体重をちょっと落としておきたいという思惑もあったりする。
 
 さてさて話は変わり、世の中食事が人生の最大の楽しみだという人は多い。これは多分身体の各所が言う事を聞かなくなるお年寄りになると、ますますその傾向は高まるだろう。
 しかしこれがガン末期になると、食事が口に通らなくなる事が良くある。
 ガン末期になぜ食事を取れなくなるのか諸説あるが、この状態を医療用語で癌性悪腋質と言ったりする。今や国民の半分近くがガンで死ぬ時代だ。誰もがいつかこの悪腋質となると考えておいても悪くは無いだろう。

 そこでガン末期の人の栄養補給に、医療機関では缶に入った高カロリー代用食を処方する事がある。これはとろりとした液体できちんと保険適応も有る栄養バランス考えられた食事だ。多分世間で一番供されているのがエンシュアリキッドと言う商品(薬品?)名だろう。
 しかしこれには致命的な欠点がある。それはこの缶入り代用食は非常に不味いのだ。なんでこんなに不味いのと、びっくりする位の代物だ。

 それは筆舌に尽くしがたい味?なので、僕は今まで一度もガン末期の人にエンシュアを処方して飲ませた事は無い(周囲から要求された場合は除く)。
 しかし周囲の家族や看護師、介護師はそう考えないらしい。何とかしてこの不味いエンシュアを飲ませようと、心底善意から日々努力されているコメディカル及び家族の方は結構多い。

 僕はあまり食に拘らない方だと、自分で思っている。
 だがその僕でも最期の食事にこのエンシュアを飲まされるのは絶対に御免だ。こんなものを飲むくらいなら何も食べないでいる方がましだとすら思う。
 別にエンシュアリキッドを敵対視するつもりは無いが、ガン末期に食欲がなくなるのは多分とっても生理的な事だと僕は思うのだ。 
2007年11月07日
C型肝炎ウィルスは何処から来たの
 昨日よりの腹痛は相変わらず今日も持続している。夜中の仕事で起こされる事は無かったからその点では助かったが、何だか痛みの部位は右下腹部に限局してきたようだ。軽い反跳痛もある。こういうパターンは医者なら誰でも虫垂炎か憩室炎を疑うだろう。

 しかし僕はそう簡単に仕事を休んで手術を受けれる立場ではない。
 とにかくは内服の抗生剤を飲み、食事もプリンやヨーグルト、ゼリーで全て済ませた。ただ痛みが治まるのを仕事しながら待つしかない。薬が効いているのか、今の所痛みは少し小康状態と言ったところだ。
 今日は書類業務と検診業務で固めた水曜日だ。少しでも楽するように心がけて過ごしたい。しかし検診希望者の人数は多いし、分娩も続くので、結局それほど楽できずに今も仕事は続いている。

 さてさて話は変わり、ここの所薬害肝炎訴訟の話題が毎日ニュースで流れている。消えた年金問題から薬害肝炎まで話題の中心で働き続ける舛添厚生大臣には全くご苦労な事だ。常人ではとても出来ない仕事量を日々こなしているのだろう。
 さてそれはともかく話題の薬フィブリノーゲンは、主に分娩時の出血多量で使われた薬である。
 ただでさえ今話題の産科医絡みの薬だ。僕も産科医なりたての頃は、DIC予防の数少ない薬の一つとして、輸血とほとんどセットでフィブリノーゲンが使われていたのを覚えている。

 この薬を使われる様な重症出血の方は、医療が存在しない時代なら、その殆どの方が出血多量で死亡していただろう。当時この手の薬を使った多くの産科医の一人として感想を述べると、まず目の前で流れ続けている血を止める事が第一で、その十数年後の慢性肝炎について考慮する余裕はその時に全く無かったというのが本音だ。
 ずさんな輸血血液管理をしていた緑十字とそれを放置したとされる厚生省を擁護する気は全くないが、フィブリノーゲンで肝炎や肝ガンになった方の中には、フィブリノーゲンや輸血のお陰で命を救われた方も多いはずだ。

 さてC型肝炎の多くは血液製剤や輸血でかかった人が大部分とされている。昔はC型肝炎の事を輸血後肝炎と呼んでいた時代も有る。
 しかし考えてみれば輸血と言うのは供血者がいてこそ成り立つ。つまりは元々輸血が盛んに行われる様になる前の時代から、肝炎ウィルスは世間に蔓延していたと考えるのが普通だと僕は思う。
 実際に僕は手術前や分娩前のルチーン検査で、C型肝炎感染者を発見する事がたまにあるが、その殆どの方は輸血も血液製剤も過去に使われた事が無い方たちだった。つまり僕の印象では、もともとは出産時の経産道母子感染がC型肝炎の主要感染路だったのじゃなかろうか。 

 さてつまりここで僕が何を言いたいかと言うと、肝炎ウィルス感染症というのは風土病みたいなもので、日本人全体の国民病だという事だ。この点薬害エイズとは全く性格が違う。
 だから、本当に肝炎問題を何とかするのなら、肝炎ウィルス患者全体を対象に広げるべきだと思う。薬害患者さんのみに限定した策ではなにか不公平な気がするのだ。

 そうなると大変なお金がかかるのは間違いない。舛添厚生大臣はその金額を1000億円から2000億円と試算したようだ。ただもしインターフェロンを全員に無料投与するとかするとなると、実際にはその何倍もお金がかかるだろう。
 これを言うと誤解を招くかもしれないが、あえて書いてしまえば、大事なのは感染者の治療より、感染の予防の方なのだ。
 それに成功すれば数世代後にC型肝炎は撲滅できる可能性が有る。ただこれはある意味非情な政策が必要となるので、強力なリーダーが現れないと上手く行かないとなる。しかし一つの国民病を撲滅するという大目的の上で行われる政策ならば、応援したくもなる。
 最近小牧の名古屋空港で1機120億円のF16戦闘機が墜落したが、そんな性能不良の戦闘機を何機もそろえるのならば、よほどC型肝炎撲滅にお金を使った方が良いと僕は思うのだが、どうだろうか。
2007年11月06日
内臓脳というのも有るらしい
 昨日は都合が付けば、市内近郊にある日帰り温泉で贅沢し、コリコリの背中マッサージを受けようかなどと目論んでいたが、そんな世の中上手く行きはしない。帰宅は何だかんだでしっかり遅くなった。
 温泉マッサージなんて贅沢をするのは、多分10年早いのだろうと反省し、代わりに家族各位をなだめすかして、交代交代に背中をマッサージしてもらった。
 子供達にはもしお父さんの肩が動かなくなると、明日から君達の飯は無くなるのだぞと脅しをかけて、合わせて一時間近く念入りに揉んでもらう。おかげで肩こりも寝る前には大分楽になってきた。

 ところがその代わりに今度は夜中から原因不明の腹痛がしてきた。これは多分ちと悪いものを食べたかららしい。実は少し思い当たる節も有る。腹痛は今朝までもずっと持続していた。
 幸い夜中の分娩で呼ばれる事は無かったが、例によって早朝にはしっかり分娩が入っている。
 目覚まし時計代わりの分娩室電話で今日も一日が始まった。腹の調子は悪いので、朝食はウィダーゼリーで代用し出動する。

 さて今日は一日外来の火曜日だ。先週ほどは混まずに済んだが、腹が痛いとどうも元気が出ない。昼ごろからは微熱まで出てきた。僕は若い頃から消化器系には比較的自信がある。誰もが下痢で倒れるインドヒマラヤ登山をした時も、隊員の中で僕だけはなぜか消化器系トラブルが殆ど無しで済んだものだ。

 軽い食中毒くらいだったら問題ないが、熱まで出てきたとなると、病原性大腸菌O157とかが心配だ。しかし下痢はないから、今度はそうなると虫垂炎かもしれないとも思ったりする。
 僕がここで緊急開腹手術を受ける事となると、多くの人たちが困る。帝王切開の予定が入っている人たちは、週数があるので簡単にはキャンセルできない。その場合は硬膜外の麻酔でも入れてもらいながら執刀しようかと、マジで考えたりする。

 そんなこんなで昼飯はほとんど抜きにして、ヨーグルトとプリンのみにした。絶食が効いたのか今では腹痛は少し収まったが、微熱は続いている。僕は今まで何度も盲腸炎の手術に入ったことがあるが、盲腸は馬鹿にならない病気だ。ほっておけばもちろん死ぬ。
 この日曜日から頭痛、腰痛、肩こり、腹痛と不定愁訴のてんこ盛り状態だ。これも自分の因果が報いているのかもしれない。とにかく直ぐに良くなる事を期待して、今は様子を見るとしよう。

 さて少し話は変わって、最近内臓脳という概念が世間に出来ているらしい。内臓の周囲には大変な自律神経システムが出来ている。人間の身体の中では頭だけではなく、内臓も物を考えているんじゃないかと言うわけだ。
 これは確かに思い当たる事がある。心臓や内臓の動きを始めとして、骨盤内のインナーマッスルや、身体の背部に有る各種深部筋は全て自律神経の働きでコントロールされている。もともと頭が判断して動くものではないのだ。
 その自律神経の中枢が内臓周囲の神経系にあると考える科学者がいても可笑しくはないだろう。更に発展させると内臓から深部筋は身体の中の別の生き物と言えるのかもしれない。

 そう思うとこの日曜日からの続けざまの各種不定愁訴は、自分の身体の中のもう一つの自分が、いい加減に身体を休ませろと言うサインを出しているのかもしれない。まあこんな日記を書いていられる間は、そう簡単に倒れたりしないだろうと思いつつ、今でも痛いお腹をなでていたりする。 
2007年11月05日
頭痛肩こり腰の痛み何とかして
 県医師会で緊張?したのか、フットサルで張り切りすぎたのか、それとも何か他の理由か、昨日日曜の午後はずっと頭痛に悩まされ続けた。
 僕は若いうちから頭痛もちだ。また母方の祖父はクモ膜下出血で倒れ、長い事自宅で寝たきり生活を続けていた。その思い出から何となくこういう時は自分も脳血管障害を持っているのではないかと気になったりする。
 気になるのならば、一度脳外科を受診してCTかMRI検査でも受ければ良いと思ったりもするが、聞いた話ではそこで未破裂脳動脈瘤が見つかったとしても、結果には変わらないという話もある。検査を受けるにもこれはちと悩ましい。

 また昨日夕方からは、右肩から背中にかけて、更に何時にもましてかちこちに凝っている事にも気づいた。
 僕はもともと酷い肩こり持ちでもあるが、昨日からはそれが手の痺れにまで至っている。多分頭痛も右側が中心だから、頭痛も所謂肩こりからきた緊張性頭痛の可能性が高いだろう。
 何処かで肩こりマッサージでも受けたらさぞ気持ちよいだろうと思う。最近はアロマテラピーも流行らしく宣伝を見ては心が動く。しかしかかる時間と馬鹿にならない値段を思うと、どちらも二の足を踏んでいる。
 そういえば以前肩こりに効くリラックスCDというのを買って聞いていた事があるが、それは全く効果は無かった。ただ配偶者から馬鹿にされただけだ。
 
 さてさて今朝も朝は分娩室からの呼び出し電話で始まった。いそいそと出動し縫合を済まし、さっさと月曜予約診察に励む。緊急の処置や急患さん対応、その他月初めならでは書類業務で何だかんだと忙しい。
 肩が痛いと姿勢が悪くなるし、仕事にも今ひとつ集中できなかったりする。姿勢についてはそれなりに何時も気にはしているのだが、どうも僕の場合どんな姿勢をしても身体の後ろ側の何処かが痛くなる。

 肩こりを気にして背筋を伸ばすと、今度は腰痛が酷くなる。
 腰痛は多分生来の右尿管屈曲が影響しているのだろう。これは以前泌尿器系の疾患を患っていた時に、泌尿器科の医者に何度も指摘された事だ。その時は尿管結石から右水腎症まで併発していた。

 そんなこんなで今日は身体のあちこちに湿布を貼って仕事をしていた。
 書きたくは無いが、この痛みの真の原因は仕事のストレスであるのは内心間違いない思っている。しかしこのストレスは今はどうしようも出来ないので、もう他の対処法を考えるしかない。
 仕事をしばらく休めば良いと思っても、誰も代わって仕事してくれる人はいないのだ。
 
 それでは誰か優しい看護婦さんが肩を揉んでくれないかとちょっと期待していたするが、昔ならともかく、今それを要求するとセクハラやパワハラだと訴えられそうで遠慮している。
 とにもかくにも一番無難な方法として、今夜運良く分娩も無ければ、試しに近場の日がえり温泉でマッサージでも受けてみようかと思っていたりする。
 他の事を書くつもりが、ついつい痛い背中が気になって、つまらない愚痴を長々と書いてしまった。わざわざここまで読んでくれた人には本当にどうもすみませんでした。
2007年11月04日
おとうさんもサッカー、子供たちもサッカーとか
 秋晴れの日曜日となった。代わりの医者がいてくれれば当然何処かで秋山登山を楽しみたいところだ。しかし代務医がいなければ何処にもいけないというのは、産婦人科医の宿命である。せっかくの秋晴れもちと恨めしく思う。そこで今週は代わりにスポーツの秋のサッカーイベントを楽しませてもらう事とした。

 さて今日も、経過中の方の心拍が下がるから早く分娩室に来て欲しいと言うスクランブル出動要請から朝は始まった。
 朝には同時刻に少年サッカー大会の積み込みもあったのだが、それは気持ちよくキャンセルさせていただき分娩室出動とする。こういう親さんの仕事にまで不義理を働かざる終えないのも、多分産科医の宿命なのだ。

 さてさて、今日は東小サッカー少年団にいる次男、三男にはブンケイカップ新人戦というサッカー大会がある。5年生以下の新チームには将来を占う大事な戦いらしい。

 また僕には午後から動く県医という県医師会による保険医集団指導が高山グリーンホテルで行われる予定がある。
 動く県医というのは動く権威にでもかけているのだろうか。
 とにもかくにも保険医の資格有る主だった地域の医者は全員参加が原則らしい。
 とはいえその内容は実はかなり画一的で、僕なんて一度も最初から最後までその集団指導に参加した事はない。第一集まりの最中に病院から緊急呼び出しが入るのなんて事も良くある。

 というわけで今日も集団指導には途中から参加し、途中で退出させてもらう事となるだろう。学会や会議の最中に目立たないように出ていく技?も僕はそれなりに既に身に着けていたりする。これも一種の医師会への不義理なのかもしれないが・・・。

 さてさてそれはそれで週末のサッカーの顛末だが、子供たちのチームは無事ブンケイカップの予選突破を楽勝で決めていた。来週決勝トーナメントとなるらしいが、これから先の活躍を期待したりする。
 僕も土曜日に病院フットサルチームの大会があり、紅葉美しい芝のグラウンドで楽しくフットサルを、くたくたになるまで楽しませていただいた。
 体育館内でのフットサルと異なり、芝の上だと膝を痛める可能性も少ないので、昨日は今まででは一番まともなプレーが出来た気がする。
 特にちょうど長男がグラウンドまで試合を覗きに来た時に、得点を続けざまに決めれたのが嬉しかった。これでまたもうしばらく親の権威が保てると言うものだ。

 まあそんなこんなで今週は遠出できない週末でもあったが、学会、スポーツ、仕事、その他諸々で、それなりに活躍?し有意義に過ごす事ができて良かった良かったなのでした。

三男もやっと東小Aチームに昇格したようだ


次男もサッカー


子供に負けず、僕もサッカー(フットサルですが)

2007年11月03日
ドラゴンズ落合の事も書いたり
 昨夜は電話連絡のみできちんと眠れた。朝は救急外来からの急患さん診察依頼で起こされて、出動を要したが睡眠時間自体は削られなかったのでそれほどの問題は無い。病棟も落ち着いてくれているし、今の所分娩も無さそうだ。今週は代務の先生のござらん週末だが、こういう時に秋晴れの素晴らしい週末となった、
 遠出は出来ないが、ちょうど子供のサッカー大会や病院フットサル同好会のノーベンバーカップ(詳細は省略)がある。
 今週末はサッカーを見たり、自分でも楽しんだりして遠出無しでスポーツの秋を楽しむ事としよう。

 さてそのサッカーの顛末を書く前に、ここはどうしてもドラゴンズ日本一の話題を書かない訳にはいかない。他に書きたいネタは山ほどあっても、どうしてもここに中日優勝の話題を書かないと、どこか忘れ物をした気分になるのだ。
 僕は学生時代、古い中日球場で球拾いと球場整理のアルバイトをしていた程(それがどのくらいなのかは?)の中日ファンである。82年に中日がリーグ優勝を決めた時にも、球場のバックネット裏から、他のバイトの人たちと一緒に試合を観ていた。確かその年は矢沢が活躍してリーグ優勝を決めたはずだ。

 その後矢沢の後の4番打者として、鳴り物入りでロッテから移籍してきたのが、今をときめく落合である。落合はその時既にパリーグで2度の三冠王に輝き、今で言えば松井とイチローを足して2で割ったみたいなスーパースターだった。
 移籍してきた時には既に最盛期は過ぎた印象がややあったが、それでも独特のスタイルで渋い活躍を続け、88年のリーグ優勝に大きな貢献をした。
 僕はその翌年から1年以上にわたり日本を離れて、あちこち海外を放浪?したが、中日のリーグ優勝にどこか励まされた気分になっていたのを何となく覚えている。

 さてさてそんなことで、落合は中日から見たら外様の印象があり、矢沢はどこか努力肌で生え抜きの印象がある中日4番バッターだった。
 僕は長い事落合より先に矢沢が中日監督となるだろうと思っていたが、なぜだかそうはならなかった。落合は自己流の天才肌だから監督には少し向いていないだろうと僕は思っていたのだ。
 
 しかし僕はその考えを、先の日本シリーズ最終戦でパーフェクトピッチングの山井を交代した時に、少し変えなければならないと感じた。 あの瞬間に落合はその他大勢の監督から中日の歴史に残る名監督となった。
 やはり落合は根性が違うのだ。多分他の多くの監督なら山井を交代しなかったんじゃないか。もしもその後岩瀬が打たれたりしていたら、落合はそれはもう相当ファンに責められたに違いない。

 それでも交代できるのが天才の天才たる所以で、それも多分半端じゃないから矢沢を押しのけて監督となり、これだけの結果を残したのだろう。
 さてさてそんなこんなで、オレ竜を貫くのもまた相当にすごい事なのだなあという、中日優勝の感想と喜びを、僕なりに日記に書いて残しておくのだ。
2007年11月02日
早い結婚の奨め(その1)
 昨夜は仕事が珍しくスムーズに終わり、比較的早く帰宅できた。夜間の分娩も無い。
 おかげで愛車をガソリンスタンドで洗車清掃し、ブレーキの壊れかけたマウンテンバイクと、液晶の調子の悪い自宅パソコンを修理に出せた。

 久しぶりにMTBを自転車屋さんにみてもらうと、リムからホイールからブレーキからワイヤまで片っ端から交換しないといけないくらい、あちこち傷んでいると言う。
 その他に電気屋さんでは自宅パソコンも液晶パネルから丸ごと交換した方が良いと言われた。

 今時PCなんて新たに購入した方が安い気もするが、ハードディスクに入った各種記録の移植が面倒だ。移植に失敗し消えたら困る記録もある。
 仕方が無いので皆修理に回した。何だかんだと修理代だけで10万円近い出費となる。
 
 その後は久しぶりにクアアルプのフィットネスルームで汗を流せた。
 PCやMTBや車は故障個所を修理に出せば、また使う事が出来る。しかし身体のパーツはそうはいかない。まだまだ長く使用したいので、常々身体のメンテナンスにも気を使っておかなければならない。

 さてさて話はがらりと変わり、この数年夫婦で全く性交渉できないという事を主訴とし、外来を受診される方が増えている。
 もちろん性交ができなければ不妊症カップルとなる。
 性交できなくても体外受精や人工授精で妊娠できている方々は少なくないから、どうもこれは、男の側で射精はできても性交できないというケースが増えている様だ(これは男だけの責任では無いでしょうが)。

 この辺の事は男と女の世界で、他人の与り知らぬ領域があるから、個別に下手な推測はできない。
 しかし今の日本ではかなりの由々しき数のカップルが性交できないでいままでいると判断して、まず間違いないと僕は睨んでいる。
 原因はいろいろと推測されるが、その最大の原因因子は男も女も高齢で結婚される方が増えているからだろう。

 男は個人差は大きいが年齢と共に勃起能力は落ちる。一方女性の方は年齢と共に身体が硬くなり、皮膚の保湿力が減り、その結果処女膜と膣管は強靭となる(出産を経験していると別)。これは多くの一般?の方が想像するより変化は早く激しい。
 膣管や処女膜が年齢によりどんどん硬く強靭となるという事は、多分産婦人科医のみが知るアンダーグラウンドな事実なのだ。
 
 こんな事はこの日記に書いても仕方がないかもしれないし、ここで問題提起する事でもないかもしれない。
 だがこれはこの少子化の時代、実は世間に知られざる大きな問題になってる可能性が高い。端的に言えば高齢男子と高齢女子の初性交渉は予想よりかなり難しいのだ。
 というわけで他にも理由は色々あるが、とにもかくにも世の独身男女は少しでも早く結婚しておいた方が良いと、まず一つここに書いておこう。
 今の日本の結婚年齢の遅さは、男も女もあきらかに、種の保存を考えると生理的危険水域に入っているのだ。
2007年11月01日
県民性とガン検診
 昨夜は帰宅後就寝前に2件の分娩があり、それぞれで出動を要した。共に安産で睡眠時間が削られる事は無かったが、夜にクアアルプのフィットネスルームで運動しようという思惑は脆くも崩れ去った。
 今日の外来はどういう訳か久しぶりにそれほど混まなかった。昼前には余裕で外来を終了できる。午後に手術も無いし、このまま分娩も無ければ、今日はちょっと早目に帰宅して、各種たまった家事雑用をこなす事ができるかもしれない。

 話は変わり、僕は毎日かなりの人数の方に子宮ガン検診を行っている。集団検診等で最初のスクリーニングチェックを行う事もあるが、要再診もしくは要精検の結果が出て2次検査に回ってきた人の精査を行う事も多い。
 更には手術や抗がん剤治療、術後管理からターミナルまで診ているから、婦人科ガンなら最初から最後まで何でもやりますという雰囲気だ。

 さて一般の集団子宮ガン検診というのは市町村の健康診断の一環として行われる事が多い。多少の助成も市町村から出るし、その後の予後追跡調査もそれなりに市町村により行われてている。
 面白い?のはどの程度で再検に回るかで、飛騨の北と南では違いがある。これは多分その場でたまたま担当する医師の考えによるものでもあるだろう。

 さてさて飛騨地域というのは岐阜県にあるが、地理的には富山の方が岐阜よりずっと近い。だから今や神岡から白川村近辺は完全な富山県側の診療エリアと考えた方が正しいだろう。
 従って僕のところには、富山県によるガン検診で引っかかった人と、飛騨地区内のガン検診で引っかかった人の両方の方たちが、更なる追加診察を求めて受診される状況となっている。

 その傾向として、富山県側は軽い疾患や病変で要再検に周る。その後の市町村による予後調査も岐阜県側より遥かに厳格だ。一方飛騨地区内のガン検診は、ちと緩めの印象だ。
 これは県民性だろうか。確かに印象として岐阜県人は大らかでいい加減という印象がある。一方日本海側の各県の県民性はどこかストイックで真面目な気はする。
 またおそらく医師の人数や医療にかける経済的余裕も、岐阜県より富山県の方が恵まれているんじゃないか。多分想像するにこの辺の事は長野県では、また更に異なっているだろう。

 婦人科業界と言うのは、とても狭い世界なので、たまたま特別な診療をする(これが悪いと言っているのではないです。念のため)婦人科医が一人現れると、それだけで随分と地域の婦人科医療は様変わりする。
 色々なファクターがあって一概には言えないし、これは良い悪いの問題でもない。
 ただあまり大した事のない病変で、ただでさえ混んでいる僕の所に、遠くから診察を受けに来られる人が多く出てきたりすると、これもどんなものかなあと、内心思う時もあったりする。
2007年10月31日
弁護士は増え、産科医は減る
 深夜の間に分娩が2件あり、今日も分娩室からの縫合依頼電話で一日が始まった。というわけで今日も朝一でまず分娩室に出動した。
 僕は深夜の安産にはもう一切立ち会わない事にしている。分娩時の会陰裂傷の縫合は翌朝にまとめて縫合する。
 その作戦のお陰で、とにもかくにも深夜はきちんと眠れる事が増えた。深夜の仕事を少しでも減らす事は、たとえその分分娩の危険が高まろうとも、僕みたいな24時間業務を続けるためには不可欠な事なのだ。
 
 さて今月は特に分娩が多かった。今日の昼間に更に一件。後これから深夜にかけてもう一人産まれるだろうから、10月の分娩件数はこれで45件を超える。
 これは僕が高山に来て以来最大の数字だ(多分)。もちろん久美愛厚生病院の歴史始まって以来、最も多い分娩数だと思う。
 世間では少子化、少子化と騒がれて、毎年分娩数は減る一方とされている。
 しかし分娩可能施設と産科医の減少は、分娩件数の減少よりずっと早いから、施設一件あたりの分娩数と産科医一人当たりの負担はどんどん増える一方となっている。

 普通、病院勤務医が取り扱う分娩件数は、常識的に月10件程度とされている。
 24時間いつ緊急に呼び出されるかわからない産科の仕事は、あまり多くの分娩を扱うと、医者が寝不足となり通常の社会生活を送る事が出来なくなるからだ。

 特に今月前半は最初の2週間で約30件の分娩が固まってあった。
 その他に各種通常業務もこなさないといけないし、ガンや良性腫瘍の手術もある。こうなるともう毎日が嵐の中を進む舟のようだった。後半に入りすこし分娩ラッシュも緩和してくれたが、それでも通常の産科病院の数倍の分娩数がある事には変わらない。自分でも良くこれだけの仕事量がこなせたものだと感心する。

 さてさて何でこんな慢性的過剰労働状態に地方の産科業界はなってしまったのだろうか。これはもちろん行政の失敗もあるだろう。地方の医師不足の最大の原因は、新臨床研修医制度にあるという事は今やだれもが指摘している。
 しかし僕は地方の産科医不足の最大の責任は、司法にもあると思う。
 あちこちで高額な民事訴訟が起きていたり、福島の産科医が刑事事件に問われていたりするのは、過去の司法の判断が大きく影響している事は明らかなのだ。

 この前テレビを見ていたら、司法試験の合格者を大幅に増やすという政府の案に、ほとんどの司法関係者が激しく反対しているというニュースが流れてきた。
 理由は司法試験合格者が増えると、既に弁護士や検察官になっている人たちの既得権益が減るという事にあるらしい(もちろんそれだけである訳は無いですが)。僕はこのニュースを聞いて徐々にそこはかとない怒りがふつふつと湧いてきた。

 産科業界では、誰一人産科医が世に中に増える事を反対する人なんていない。多くの産科医はもう促成栽培でも何でもいいから、とにかく世の中に産科医が一人でも増えてくれと考えている。

 自分達の権益を守るために合格者を減らそうと考えている司法業界は、やはり同じ資格の世界として絶対に恵まれていると思う。量を減らして質を保つという考えは、恵まれた業界だから成り立つ。
 産科業界は、質はともかく量を確保しないと、もうどうにもならなくなるほど追い詰められている。これは裁く立場と裁かれる立場で考えると、あまりに不条理だ

 確かに世の中にとんでもない司法関係者が増えると、産科業界の人間は益々困ることとなるだろう。
 しかし恵まれた業界の過去の判断や判決により、絶滅寸前にまで追い込まれた業界の人間としては、先のニュースに不快感を抱くのは多分当然の事だと僕は思う。
2007年10月30日
青木功と卵巣年齢
 今日は一日中外来の火曜日。午前中に50人、午後に30人の外来患者さんが来院する。
 その外に病棟入院中の患者さんの回診と診察もあるから合わせて約100人の患者さんの診察をする事となる。これは産婦人科医が一人で見る患者さんの人数としてはおそらく数倍の人数である。
 これは瞬間風速ではなくて、午前と午後に外来がある火曜日にはもう何年間もこの状態が続いている。

 しかも一生懸命外来患者さんを減らす努力をして、簡単な膣洗浄とか検診のみの方の受診を出来る限り減らしても、この人数となってしまう。これを自慢する気はとてもおきないが、中々ここは特別な産婦人科なのだ。
 さすがにこれだけ多くの方々の様々な訴えを聞き続けると、夕方には僕自身も少しいらいらしてくるのが分かる。とはいえ寝不足は無いからまだ幸せだと思って、まだもう少し残りの仕事を続けよう。

 さて今はスポーツの秋たけなわで、毎日あちこちから様々なスポーツのニュースが流れてくる。世界で日本人が活躍するニュースを聞くのはもちろん嬉しいが、それとは別にやはり今週特に僕が感動したスポーツニュースは、青木功の日本シニアオープンエイジシュート優勝のニュースであった。

 僕はゴルフはやらないが、エイジシュートというのは大変な記録であるのは分かる。それをシニアオープンの最終日18番ホールで一打差優勝を決めたバーディーパットで成し遂げたのだから恐れ入る。誰も見ていない草ゴルフ大会でエイジシュートを決めるのとはわけが違う。65歳と言う年齢でこれ以上の舞台はそうは無いだろう。

 ゴルフやテニスはサッカーに次いで、ワールドスポーツの代表格であるが、水泳や陸上を除けば、この手のワールドスポーツで日本男子が世界一となる事は残念ながらまずない。
 長い歴史のあるゴルフでも、所謂4大クラシックで、日本男子が優勝した事は過去一度も無い(女子には樋口久子がいますが)。 
 その中で唯一青木功は、1980年の全米オープンでジャックニクラウスと緊張のプレーオフを戦い、惜しいところで優勝を逃し2位となった事がある。この時の緊迫した映像は僕は今でも良く覚えている。
 ああいう緊張した場面を戦い抜いてきた傑出した男だからこそ、最終18番でロングバーディーを決める事ができるのだろう。

 さてさて最近はアンチエイジングの時代と言われ、世間ではスーパーな中高年が溢れている。山の世界でも三浦雄一郎の70才エベレスト登頂を始め、昔なら信じれない様な高年者登山の記録がたくさん生まれた。
 中高年の仲間入りしつつある僕も大いに勇気づけられる所だが、もちろんそういう方たちはもともとスーパーな素質を持っていたのであって、僕のような一般人が真似できるものではない。
 聞いた話では、三浦雄一郎は特別な長寿遺伝子と血液タイプを持っているという。

 普通は年齢と共に身体はどんどん衰えていくものだ。それは普段の外来業務でも僕は日々実感している。
 僕の外来には不妊症や不育症の方も多く受診するが、見た目は若くても卵巣の老化は冷酷に進んでいるのが分かる。
 受精卵の質と言うのは、35歳を区切りとしててき面に悪くなる。これは産科医の間に良く知られている事実だ。だから不妊症による妊娠成功率も35歳を境にガタンと落ちる。
 特に僕のところは体外受精を行ってないので、35歳を超えた不妊症の方が妊娠し、元気な子を得る確立は実はとても少ない。

 しかし多くの不妊の方は、それでも僅かな希望を託し僕の所に受診を繰り返される。それは体外受精を行っている施設は実質飛騨地方に一つも無い(牛は別)という事も関係しているだろう。
 アンチエイジングの時代と言いながら本当は加齢というのはどうしようもなく冷酷なものだと思う。
 元東大解剖学教授の養老孟司は出産は人間に残された最後の自然だと話したらしいが、老化と言うのは実はとても自然なものだ。青木功や三浦雄一郎や50歳で出産して週刊誌に載る方たちは、ちと異常だと思った方が本当はきっと正しいのだ。
2007年10月29日
ちょっとは人と違う事を
 この週末病院はとっても落ちついていたらしく、分娩は一件も無かった。
 せっかく代務の先生に来ていただいていたのに、週末に多くの分娩をこなしていただけなかったのは残念な気もする。まあ分娩の有る無しは思惑通りにコントロールできないのは当然だ。
 とにもかくにも夜中はここの所しっかり眠れているので調子は良い。おかげで午後の手術もスムーズだったし。昨日の登山の疲労も今ではほとんど無くなった。

 さて昨日の登山は新穂高から西穂高岳往復という、ロープウェーを使えばとってもお手軽行程となる登山だった(独標までなら)。
 実際西穂高登山者は殆どの人はロープウェーを使っている。ロープウェーがあれば初心者でも独標までなら容易に往復できるし、穂高の稜線歩きは十分楽しめるのだろう。
 しかしもちろん僕にはそれではワークアウトできないし、登山の楽しみは半減する。ちょっとでも不安定で不確実な要素が無いと登山の価値は激減するものだ。

 昨日僕が利用した鍋平からの登山道は、ロープウェーがある事でほとんど利用者はいない道だった。
 迷いやすい部分もあるし、崩れた個所も有る。廃道寸前と言っても言い過ぎではない状況である。実際僕が通っている時も人の気配無く、誰一人とも会わなかった。

 しかし道は素敵な森から沢筋を行き、短くても結構楽しめる。
 今年の2月に冷や冷やもので滑降した小鍋谷を正面に望み、景色も良くてこの時期紅葉も美しかった。
 しかもおかげで時間的にもロープウェーからの登山者と異なる時間帯に登山でき、秋山登山ハイシーズンのこの時期でも、静かな登山を終始楽しむ事が出来た。
 
 更に新穂高温泉に降りると、ロープウェーの待ち時間が70分と看板にでていた。
 これでは僕はロープウェー利用者より早く下山できたに違いない。間違いなくロープウェー利用より歩いて上り下りした方が正解だと思った。

 昨日は秋山ハイシーズンの好天日曜日という事もあり、西穂登山者は硬軟合わせて100人以上いただろう(雪がついていたため、その多くの方は独標までで引き返したでしょうが)。
 僕は早起きしてちと目先を変えた道を使っただけで、当たり前の西穂登山を静かな充実山行に変える事が出来た。
 へそ曲がりと思われるかもしれないが、何事も少しは他人と異なる方法を取ってそれを楽しく思うのは、きっと僕の性格でもあるに違いない。

朝早く出たので、多くの登山者と異なる時間帯に西穂を往復できた


静かな森の小道を行く


昨日のロープウェーは大混雑だった様だ
2007年10月28日
槍穂の新雪と紅葉
 いろいろとお騒がせな台風も過ぎ去って、今日は珍しく代務の先生に来ていただいている日曜日と好天が一致した。
 子供のサッカー大会には不義理を働かせていただき、これからのスキーシーズンに備え少しでも体力作りの登山をしておきたい。
 そこで今日は新穂高温泉鍋平園地から、ほとんど使われていない古い登山道を辿り西穂高岳まで往復してきた。
 標高差1600mの登山とルートファインディング、及び新雪に覆われた岩稜を楽しめて大満足だ。

 また新穂高周辺は今が紅葉の盛りで、槍穂の新雪とのコントラストがそれは美しかった。人それぞれ好みは有るわけだが、今日はもしかしたら一年の内で最もこの地域の山が美しく映える日だったかもしれない。
 先週僕はこの日記に今年の紅葉は美しくないなんて事を書いてしまったが、とんでもない間違いだった。その言葉は撤回しなければならない。

 今年の紅葉は大分遅れたわけだが、その分これからより美しく色づくのだろうか。今日は予想を超えて、何時に無くカラフルでバラエティにとんだ登山を楽しめた気がする。

今日の行程です(青線はMTBを使用)


穂高連峰の新雪


カラフルな登山だった
2007年10月26日
占いと帝王切開
 昨夜は珍しく出動無し、電話連絡も無し(多分)の夜だった。
 ここの所お気に入りの黒ビールを飲みながら先週借りていたDVDを見て、夜にはできるだけ日々の業務のリフレッシュを図る。
 今日は午後に手術が3件あり、忙しくなる事が分かっている。ややタフな手術もあるし、できるだけ体調を整えておきたい。
 その点夜中に起こされる事無く、静かに朝を迎える事が出来たのは、僕にとってもオペ患さんにとっても、両方に幸運なことだった。

 案の定午後の連続3件開腹手術は、指や目や背中に負担をかけるが、想定範囲内の大変さだったから今の所問題は無い。それよりも明日から代務の先生がいてくれる週末を過ごせると思うと、その喜びの方が大きい。

 さて今日の手術のうち最初の2件は帝王切開だった。帝王切開は産科医にとって代表的なルチーンワークだ。
 僕はその帝王切開を大抵分娩予定日の2〜3週間前に行う様にしている。
 理由は突然の陣痛発来や前期破水で緊急帝王切開を要する事態になることを出来るだけ避けるためで、どこの産科病院も似たようなものだろう。
 なお分娩予定日の3週間くらい前に娩出されたとしても、児の未熟性が問題になる事はまず無い。
 
 さてさて話は変わり、今も昔も人は皆?占いが好きである。
 僕のインターネットプロバイダの@niftyも、占いページは殊の外充実していている。一度占い専門ページを開くとその数の多さに唖然とするくらいだ。
 また朝起きてテレビをつけたら次から次へと今日の運勢占いがテレビで流れてくる。
 朝の目覚ましテレビでは、そんなにいらんと言うのにほとんど15分毎?に占星術占いが放送される。別に見たくなくても何となく見てしまうのが占いなのだろう。
 なお僕のてんびん座の今日の運勢は、@niftyのスタートページでも、目覚ましテレビの占星術でも、ほとんど最悪だった。別にだからどうと言う訳ではないが、もちろん嬉しく思ったりはしない。

 ところで考えると、今日本全体の平均帝王切開率は大体20%弱である。つまり5人に1人弱くらいは分娩予定日の2〜3週間くらい前に手術で生まれている事となる。
 もし2〜3週間生まれるのがずれると、占星術の星座が変わる人は多分世の中何百万人といるだろう。
 すなわち産科医が手術日を決める事は、産まれる子の星座を変えて、その子の運命を大きく変えるという事になるが、どうなのだろうか。

 なお久美愛病院産科での手術日は、ほとんど助手を務めてくれる代務の先生が来てくれる日で決まる。いままで誰一人星座で決めた人はいない。 もちろん占いで手術日を決めるなんて事は無い。
 話はまた変わり、多くの?風水占いによると僕は今不動産を買うのに不適な時期になるらしい。配偶者に至ると大殺界らしく、家を建てるなんてとんでもない時期に当たっていると言う。

 だが僕はそれでも大きな買い物をする事にした。理由は子供たちの部屋が足りなくなったからで、それは風水で不動産を買うのに適した時期まで待つわけにはいかない。
 占いや風水を無視して仕事したり、土地を買ったりする事が、どういう結果を招くかは良く分からない。多分関係ないだろうが、全く気にならないと言えば嘘になるだろうか。
 ただ感想としては、占いや風水とかこの手の事には気を使わないで済む人生を、歩んでいきたいものだとは思っている。
2007年10月25日
土地を買う説明と、手術を受ける説明
 まあまあの時刻に帰宅できたので、昨夜は月2回行われている病院フットサルのチーム練習に参加できた。
 今年の夏から練習に参加し始めて、そろそろと足前も上達してきて欲しいものだが、一向に最初の時から上達する兆しがない。
 学校のサッカーと異なり、いわゆる普通の同好会活動だから勝敗にはあまり拘らない。できるだけ気持ちよく華麗な技を決めシュートするというのが目的だ。
 しかし、気持ちと実際の脚の動きはなかなか連動しない。下手に足技を求めると転んだりする。転んで怪我すると今度は回復まで時間がかかる。この年になって経験した事の無いスポーツを新たに始めるのは、なかなか厳しいものだと思う。

 さて練習が終わってから、更に完全なワークアウトを求めてクアアルプのフィットネスルームで追加の汗も流した。
 後は施設内の温泉に入って、帰るだけという段階になって、今度は病院からの分娩呼び出し電話が入りだす。
 さっぱりのんびりしてから分娩室に向かうと返事したら、しばらくして、出血多いからとっとこ分娩室まで来て欲しいと言う追加連絡が入った。

 というわけで運動後のんびりするという儚い希望は消え去り、分娩室にやっぱりスクランブル出動となった。止血処置は容易で問題なかったが、運動後の温泉のさっぱり感はやや損なわれた。
 
 更に深夜にもう一件別の分娩がある。そのため今朝も分娩室からの電話で朝は始まった。今日の外来もしっかり混むし、心の疲れが少しずつ蓄積していく様な日が続いている。
 来年春にも分娩制限期間を設定している、これから雪が来てスキーが出来る時期となると、少しはリフレッシュできる様になるだろうか。今はそれが心の支えみたいなものだ。

 さてさて話はがらりと変わり、昨日僕は土地を買った。近いうちに家も建てるつもりだ。
 高い買い物だが必要と自分で判断したのだから仕方無い。その過程で不動産業界の方からいろいろな説明やオファーを受けた。また後から少し話が違うぞみたいな事も少しあった(あくまでも少しです。念のため)。

 不動産業界では当たり前な事でも、素人の僕には良く分からない事がたくさんある。
 しかしそれって考えてみたら、医療も似ている。僕はほとんど毎日、患者さんに手術の説明をしている。
 普通僕の外来では一人一人にかける時間は約3分だが、手術説明の時だけは5分くらいかけている。
 これはやはり手術説明はそれだけ重要だと考えているからだ。(一人の人に2分余分に時間をかけたら、別の人の診察を3分から1分に減らさないといけなくなるからね。)
 しかしそれでも、ほとんどの患者さんは、僕の説明を半分も理解していないんじゃなかろうかと思ったりする。というのは説明を理解するだけの基礎知識が僕と患者さんではあまりに異なるからだ。

 それと似たような事を、今回の不動産関係の説明で僕は逆の立場から感じた。何事も素人に短時間で重要な事を説明するのは実際は不可能に近い。 
 だがやはり印象として、医療業界の方が不動産業界より良心的だと思う。医師が説明に時間をかけれないのは、あまりに忙しいからだ。しかもそれでもその中でそれなりに一生懸命、要点をかいつまんで説明しようとしている。
 また医療は基本的に全て後払いで、手付金も無いという違いも有る。

 生命に関わる説明と土地やお金に関わる説明、この二つは質があまりにも異なるのだろう。なんとも言えないが、多分基本的なスタンスが異なるから、比較して考える方がおかしかっただろうか。
2007年10月24日
不動産の世界は
 昨夜は夕食後就寝前に分娩あり出動を要したが、睡眠時間を削られる事は無かった。この数日間は深夜業務無く済んでいるので身体の調子は悪くない。柿が赤くなる季節は医者が青くなるという諺通りに、この季節は流行性疾患も少なく、世間に病気が比較的減る時期なのだろう。

 さて今日はとある理由で(正直言えば病院近くに宅地を買うので)それなりのお金を動かす必要があり、業務の途中の昼間の時間に銀行に出向く必要があった。
 そのために僕の仕事が比較的空いている水曜の午後に都合をつけていただき、建築関係の方、複数の銀行マンの方や司法書士さんの方も銀行奥の部屋に集まっていただく。僕は忙しいので昼間の手続きは一辺に済ましたいという思惑もあった。もちろん約束の時刻は守らないと顰蹙ものだ。
 
 とはいえ例によって約束の午後3時にちょうど狙い済ましたように分娩が入る。分娩はやや注意を要し、簡単には手を離す訳にも行かない。若い助産師さんは「先生行かないで」とささやく様に訴えている。
 そんなこんなで約束の時刻に大分遅れて、主役である僕は銀行に到着した。他の方々はやや呆れ気味に仕方なく僕を待っている。

 司法書士さんは役所が閉まるまでに仕事を終えないといけないらしく、慌しく各種手続きを済まし、何が何だか分からないうちに手続きは終わった。
 大きな現金(あくまでも僕にとっては)が目の前を右から左に動くのを見たが、もちろん実感は無い。ただ各種手数料が妙に高いもんだなあと思ったのが今日の印象だ。
 現金で物を買うなんて簡単な事だと思うが、大きなお金が動く不動産の世界は、そう簡単では無いらしい。
 不動産を生業としている方には常識でも僕には理解できない。この辺の感想はまた後で日記に書いちゃおうと思う。

 さてさて以前この日記に僕はこの国の土地って妙に高いと書いた。その印象は今でも続いている。
 土地を買う事で誰が大きな得したり損したりという事は、堅気の世界で思ったよりは無さそうではある。しかしそれでも不動産の世界は僕の価値観とずれた世界である事は確かな様だ。

 僕は今から20年前に、約1年数ヶ月かけてアジアとアフリカを回り、様々な山々を登り過ごした事が有る。
 その時の旅で、僕は贅沢もしなかったが、それほどケチな旅もしなかった。
 要するに現地の相場でどんどんお金を使ってそれなりの旅をしていたのだ。多分現地の方々から見たら、僕の旅行は大金持ちの大名旅行みたいだっただろう。

 しかしそれでも僕はその時トータルで200万円くらいしか使わなかったと思う(いろいろ運も良かったのですが)。
 これはアジアアフリカを長期旅行した人なら多分分かるだろう。要するにそれで十分普通(JALパックとは異なりますが)の自由旅行が長期間出来たのだ(こっちの方がアンフェアなのかもしれませんが)。 

 今回大して広くも無い土地を買うのに、その時の?倍のお金が動いた。
 こんな事にぶつぶつ言うのなら、そんな土地を買わなければそれで良いのだが、仕事、子供たちの部屋、学区、その他諸々の思惑を考慮するとそうもいかない面もある。
 こんな事で恐ろしやなんて思ってる僕は、やっぱりとっても小市民なんだろう。仕方が無いのか人間が小さいのか、とにもかくにも今日は何だかちと複雑な思いを抱いた日でもあった。
2007年10月23日
紅葉の出来と生き物の世界
 昨夜は明け方の分娩の呼び出し電話が一回あったのみで(多分)、きちんと眠れた。明け方の分娩も結果的に安産で、医師の出動を要さずにすむ。
 お陰で僕はちゃんと朝食を食べれたし、定刻通りに外来業務を始めれた。

 分娩第3期と言われているやや要注意な時間帯に、医師の診察が一切無いというのも、ある意味危険な話ではある。
 しかし助産師さんに任せれる仕事は助産師さんに任せるというのは、僕の所の原則でもある。
 医師と助産師はその資格も職能も全く異なる。助産師さんに分娩業務を全て任せるのは、全ての産科病院にお勧めできる事で無い事は確かだ。

 しかしで全ての分娩で僕が出動する事にしていたら、僕の睡眠時間が削られる。
 そうなると僕の業務量はおのずと制限されるし、もちろん昼間の通常業務の質も落ちる。その結果地域の妊婦さんは困るし、危険も増える事となるだろう。
 出動しないで済む時は、とにかく出動しない。これは僕なりのリスクコントロールでもあるのだ。

 さて今日は一日中外来の火曜日。通常の産科病院の倍以上の患者さんが次々と来院される。外来の合間には緊急の処置も要したし楽な一日ではない。
 しかし今の所経過中の方はいない。このまま夜間業務無しで、夜にきちんと眠れればとりあえず言う事は無い。

 さてさて話は変わり、昨日の日記に書いた広葉樹林を紅葉させないで枯らす虫といのは、僕の調べたところによるとカシノナガキクイムシと言われているものらしい。主にミズナラの樹が夏枯れの被害に遭っているという。
 僕は専門ではないし、この辺の事に着いていい加減な事を書くと信用が落ちるから、これ以上の言及はやめとくが今年の紅葉の雰囲気から、ちと気になる情報ではある。

 この手の目に見えない生物の世界の出来事は、人智を超えた不思議が有る。
 広い目で見ると全ての生物は何らかの他の生物に寄生して生きている。遺伝子やウィルスのレベルでは、他の生物の中に入り込んで一体となる事もある。全く何の被害も無く、知らない内に寄生して、その存在すら知られない内に増えている生物も、世の中にはたくさんあるのだ。

 そういえば膣炎の診断で、先日検査に出した膣内細菌の中から、聞いた事も無い珍しい菌が出たという連絡を、外部検査室から先ほど突然の電話で受けた。
 産科医なら誰もが知っている事だが、膣内というのはそれはそれは豊富な種類の色々な菌が生息している。種類だけなら腸内より菌の種類はもしかしたら多いんじゃないか(口の中よりはきっと少ないですが)。
 そしてその多くは何の被害も出さず、臨床的には意味も無い菌ばかりだ。

 だから珍しい菌が出たからと言って、細菌学基礎研究にあまり興味のない僕は、「はあ、そうですか」と、わざわざ遠くから連絡してくれた検査室の方に答えるしかなかった。だからどうする事も臨床上には(多分)無いのだ。
 そんな事を思うと、カシノナガキクイムシとかその他訳分からん様々な生物の事を気にしすぎるもの、ちと考えすぎなのだろうか。
 生物の事ひとつ考えても、僕には分からない事があまりに多すぎるとしか言いようが無い。
2007年10月22日
紅葉しないで枯れる年
 昨日の赤谷山登山は秋から冬に急速に移りつつある季節を感じさせる登山だった。
 とはいえ山麓の紅葉は連年と比べ、期待するほど色付き濃いとは思えない。どちらかというと紅葉しないで枯れているだけの樹林が多いという印象だった。
 
 今朝は今年一番の冷え込みだったという。通勤時の道路気温計は4度を指し、聴いた話では明け方はもう少しで氷点下になるくらい寒かったらしい。
 家でも今朝はあまりに寒くて、今まで我慢していたガス暖房を今日からついに使い出していた。病院も先週から暖房が使わるようになった。
 つい最近までクーラーや扇風機を使っていたのに、何だか今年は妙に秋らしい秋が短く、いきなり冬になりそうな気がしたりする。

 そういえば今年は紅葉が全国的に2週間近く遅れているという。例年ならこの時期高山と郡上八幡を結ぶせせらぎ街道の紅葉の美しさが話題になるのだが、そんな話も今年は全く聞かない。
 夏の暑い年は紅葉が美しいと言うが、今年の場合どうもそれは当たらない気がする。それどころか多くの広葉樹林が紅葉しないまま枯れて散ってしまうのじゃないか。美しい紅葉の季節無しで冬を迎える可能性もある。

 これはどういう訳なのかかちと心配だったりする。西日本の広葉樹林が悉く何とかという虫(また調べておきます)に荒らされているというニュースを2年ほど前に聞いた事があるが、そのためなのだろうか。
 山に雪が積もるのは山スキーヤーとして嬉しい便りだが、このまま紅葉無しで冬を迎えるのも何だかとっても寂しい気がする。
 
 さてさて昨日馬場島から湯神子温泉経由で帰宅してからは、救急外来からの呼び出しが一件あったのみで夜中にはしっかり眠れた。入院患者さんの人数は多いが、この土日にはたまたま分娩は一件も無い。
 やっと10月の分娩ラッシュも本格的に一息ついてくれた様だ。お陰で登山の疲労も今ではほとんど残ってない。
 
 今日も予約診察に急患さん多く、手術もあるから楽な一日では無い。とはいえこのくらいの忙しさなら慣れているからどうって事は無い。今日は早めに帰宅できたら、押入れの中から冬物を出したり、暖房器具を出したりしないといけないだろう。

これから更に色づいてくれるのかなあ
2007年10月21日
新雪の剣を見に
 ブリザードの様に吹き荒れていた分娩ラッシュの嵐も週末に入ってパタリと落ち着いてくれた。代務の先生はござらん週末だが、日曜日の晴れマークをは有効に利用したい。
 やっぱりここは、強い味方の開業医先生に留守番をお願いして、今日こそはどこかの山でワークアウトしてこよう。
 天が味方してくれれば、日帰りで小槍の上でアルペン踊りでも踊ろうかという企画もあった。

 ところが金曜から土曜にかけて列島を横断した二つ玉低気圧は、北アルプスの山頂付近を一気に雪景色に変えたようだ。
 槍ヶ岳ライブカメラを見ると、日曜にちょっと晴れたとしても、快適岩登りするにはちと程遠いコンディションの様に思える。アイゼンで小槍の岩登りをする根性は、さすがにとても出てこない。もちろん一人でアルペン踊りをするほど寂しい行為は他に無い。
 と言うわけで今日はいろいろ迷った挙句、馬場島からブナグラ谷経由で赤谷山を往復してきた。

 当初はできれば赤谷山から更に北方稜線も少し探りたいと思っていたが、やはり根性不足でそこまでは足を伸ばせなかった。
 しかし新雪の剣岳の大展望を目の当たりにする事が出来たので、言う事は無い。僅かの晴れ間に時間に赤谷山頂上に立てて幸運だった。
 この時期の3000m級の登山は秋と冬が次々と入れ替わるのでなかなか難しい。しかし考え方によれば秋の紅葉と冬の新雪を同時に楽しめるとも言える。
 とにもかくにもやはり外に出て動いていた方が、家で何となく過ごすよりは100倍ましだと改めて思った。

今日は赤谷山頂上から新雪の剣が見れた


秋と冬が混在するブナグラ谷
2007年10月19日
継続が大事なんですよ・・・
 昨日は珍しくほとんど定時に帰宅できた。夕食後ドラゴンズの勝利を確信した所で、レンタルビデオ屋さんに行き、久しぶりのDVDを借りてくる。
 ところが例によって、スイッチを入れ映画が始まったところで、分娩室から呼び出し電話が入った。
 その後分娩は9時過ぎ、10時過ぎと落ち着き無く続き、極めつけは深夜2時前にも出動を要する分娩が入った。そんなこんなでもちろんDVDを見る余裕は無くなり、睡眠時間もしっかり削られる。
 というわけで今日も何時もの寝不足外来となった。

 更に今朝も外来開始前に別の分娩が入り、もう一件外来終了後にも別の分娩があった。
 それぞれ比較的安産で手術も無かったから身体は大丈夫だが、10月の分娩ラッシュは長いトンネルの様に今でも続いている。経過中の方がいなくなった静かな時間は、結局昨日の午後の数時間だけだったようだ。
 
 今は看護学校の学生さんが何人も産科を見学に来ていて、今日の午後の分娩はスタッフ多くとても賑やかなものだった。あまり広くない分娩室がますます狭く感じる。
 しかし昼間以外の深夜から朝にかけての分娩は、スタッフは僕と助産師さんだけで寂しいくらいだ。学生さんには幾ら昼間の安産の分娩を見学したって、それは産科業務の一部しか見ていないと思ったりする。

 産科業務の真のキモは深夜の難産にあるのだよと教えてあげたいが、だから深夜に見学に一度分娩を見に来いと言ってもそれもあまり意味無いかもしれない。
 というのは本当に産科で価値有る大変な事は、こういう昼も夜も無い暮らしを何年間も継続して行う事にあるからだ。一番大事なのはその場限りの感動や思い出ではなく、静かな継続にあるのだと僕は思う。

 さてさてそんなこんなで僕も一人産科医のこういう暮らしを続けて10年近く経った。しかも取り扱い分娩数やその他業務の量も人並みはずれている。
 この数年、何でこんなにたくさん仕事が出来るの?とかその手の質問を各所で受ける事が増えてきた。通常なら身体を壊すんじゃないかと言うわけだ。

 しかし僕はどういう訳か、身体は割と今でも平気である。普段マイペースを貫いている事もあるし、親が比較的強い身体に僕を産んでくれたお陰ももちろんあるだろう。
 それよりも辛いのは精神的な事だ。寝不足業務が続くとまず身体より先に心がやられる。それは十分注意しないといけない。その点僕には山があって本当に良かったと思う。

 しかし僕もそろそろ本気で海外の山が恋しくなってきた。長期の海外遠征には日帰り山スキーとは異なるタイプの体力が必要だ。その体力が年とともに衰えてきているのを感じるのだ。そこにはあきらかに年齢に対する焦りがある。
 海外の山に行くのは生活を変化させないといけない。継続ばかりで変化を求めなくては、自然に時と共に心身は衰えていく一方なのだ。その現実が最近妙にリアリティーを持ち出して迫ってきている気はしているのだ。
2007年10月18日
パスワードにも注意
 昨夜は帰宅こそ遅めだったが、特に深夜の分娩も無くしっかり眠れた。夜にはクアアルプのフィットネスルームで久しぶりに一汗かく事もできる。
 今日は珍しく経過中の妊婦さんも入院していなかった。分娩経過中の方がいなくなったのは10月に入って初めての事ではないか。嵐のような分娩ラッシュもここに来てやっと一休みしてくれた様だ。

 午後には手術も無いから、今日は午後に久しぶりに空いた時間が作れそうだ。山からはちらほらと初雪の便りが届きだした。スキーシーズンはまだ大分先だろうが、今季の山スキーの事もちょっと気になりだしている。
 今までに無い滑りを求めて、新しいファットスキーの板なんぞ欲しいと思っているが、何でも今年はユーロ高の影響でスキー装備が軒並み値上がりしているらしい。

 今年は僕は土地を買ったり家を建てたりと、とんでもない(僕にとっては)大きな買い物をする予定が今出来つつある。ここで更に贅沢な買い物をすると、家では非国民?みたいな扱いを受けかねない。
 はっきり言って自分の心の中では、新築の家も新品のスキー板もどちらも同じくらい?大事なのだが、やはりこの調子では今年は板を新調するのは諦めなければならない気がしてきた。これはちと悲しかったりする。
 せめてその代わりに新しいザックとか、素敵なソフトシェル系ジャケットとか欲しいと狙っているが、いずれにせよ新しい山装備を買う時には、今年はあまり目立たない様にした方が良さそうだ。

 さてさて話はまたまた変わり、そんなこんなの大きな買い物をするにあたって、今僕にはなんだかんだと直接銀行に行かなければならない用事が出てきている。
 しかしこれがなかなか容易で無い。銀行業界の再編は激しいが、若い頃に作った銀行口座は全て名古屋にある都市銀行だ。なお飛騨地区には都市銀行が一つも無い。しかも当たり前だが銀行は平日昼間にしか空いていない。
 何といっても僕には平日昼間に休みなんて無い。僕はこの10年間有給休暇を一日も使えないでいる今時珍しい人間だ。
 銀行に行くためだけにわざわざ仕事を休み、岐阜や名古屋に行くなんていう事は、立場上実質不可能なのだ。
 
 その点今はインターネットで振込みや振り替えが出来るようになったので、昔よりちと便利になってきている。 
 しかし今度は昔のキャッシュカードやネット上のパスワードをほとんど忘れてしまっているという問題が出てきた。もちろんパスワードを忘れたら、せっかくの便利なネット上口座もこ利用できない。
 先日これかなこれかなと次々と適当なパスワードを試していたら、数回連続誤った時点で自動ロックされて、2度とその口座は使えなくなってしまった(もちろん店頭に赴くまではですが)。

 各種詐欺事件をきっかけにして、今銀行のセキュリティーはかなり厳しい(これが当然なのかな)。大金を動かそうとすると必ず身分証明を求められるし、店頭でも本人じゃないと断られる様になっている。
 ATMの振り込み金額の制限も有るし、これも安全第一で大切な事なのかもしれないが、僕のような特別忙しい人間にはなかなか面倒な世の中だなあと内心思っていたりする。  
2007年10月17日
寝不足でも教育します
 昨夜も各種業務で随分と疲れて帰宅した。とはいえ病院にはまだ分娩経過中の方が2名残っている。うち1名は緊急手術になる可能性も高かった。
 できれば少しでも仕事を早めに済ませ、夜には運動不足対策のフィットネスバイクを漕ぎに行こうと思っていたが、この状況ではあきらめざるおえない。案の定午後9時過ぎにまず最初の分娩で呼び出された。

 更に続いて要注意の方の分娩も、日付が変わった辺りで再度の呼び出しコールが入る。
 まだ分娩は拝臨(説明は省略)になったばかりであったが、遅くなる前に安心して寝たいから速やかに出動を決めた。
 分娩は既に微弱状態であり、促進とクリステレルで、深夜2時前には何とか分娩にこぎつける。
 クリステレルをかけてくれたスリムな助産師さんは、ただでさえ少ない皮下脂肪を更に200kcal分は燃焼させたに違いない。

 睡眠時間は削られたが、今日は助産師外来の水曜日だ。寝坊して出勤したろうと考える。
 しかしその思惑はまたも別の分娩により引き裂かれ、朝から分娩室よりの電話で今日も起こされた。というわけで今日も何となく眠たい一日が分娩室から始まるのでした。

 今月に入り分娩ラッシュが続いている。既に30人近く生まれているだろう。分娩予約の人数を見れば最初からこの事態は分かっていた事だが、総じて難産の割合が多く想定外の辛さも有る。
 臨床業務が増えるととそれに応じて、保険書類や入院サマリー各種証明書類など書類業務も増える。仕事は相乗的に増えるため楽出来ない毎日が続く。

 さて今日机に置かれた書類の束の中に、看護学校からの一通の封筒も混ざっていた。
 中味を見ると今日から今年度の僕の担当の看護学校講義が始まると言う連絡だ。ありゃりゃ、これで午後の仕事が増えたと思う。そんなこんなで書類の束と共に看護学校の講義で昼寝の夢は浅く砕かれた。

 さてそうは書いても、僕はこの手の講義は嫌いで無い。眠いのは嫌だが、まだ高校卒業したばかりの若者相手の講義はちょうど良い気晴らしになるくらいだ。特に僕の講義は産婦人科関係の解剖生理なので、特に若い男女の食いつきは良い気がする。

 わざと少し興味を引く話を入れて受けを狙うのは悪くない気持ちだ。しかしだんだん年の差が離れてきたせいか、名古屋の看護学校で教えていた頃と比べ、受けを取る回数は減ってきた気がする。
 そういえば看護教諭の話では、看護士を目指し看護学校に入学する学生の数は全国的に減少傾向著明だと言う。確かにクラスの学生の人数は毎年減る一方だ。

 少子化が進んだせいか、田舎に住んでいるせいか、確かに以前より世の中に若者が減り、お年寄りが増えてきた気はする。これでは活気有る社会が作れる訳は無いだろう。
 将来ある若者への教育にかける世の中の力は、どんどん老人への介護に回さざる終えなくなっているのを感じる。申し訳ないが老人には若者のような未来は無い。これは考えれば考えるほど深刻な由々しき問題だ。

 せめて数少ない若者相手の教育の場で、早く結婚して早くたくさんの子供を産むようにと、若い看護学生に指導しよう。そうしないと今度は自分の老後が冗談じゃなくとっても大変な事になりそうだと感じるからだ。
2007年10月16日
武士道とかボクシングとか
 幸運にも深夜の分娩は無く朝まで眠れた。今日は朝から何件も分娩が続いたが、みな安産ばかりで助かった。
 外来は混んで諸々雑用も多く何時もの様に忙しい。経過中の方もまだ何人も残っているが、今日はきちんと眠れるだろうかやや心配だ。

 さて話は変わり今朝のテレビのワイドショーでは、ボクシング反則問題で、亀田家への制裁に関する話題がトップに扱われていた。
 僕はボクシングを最近まず見ない。もちろん問題の世界タイトル戦も見ていない。テレビによる情報では亀田家はスポーツを馬鹿にするような反則行為を繰り返していたらしい。
 プロレスと異なりボクシングはスポーツであるからルールを守らなければならないのは当然だ。スポーツマンシップに反した態度は恥ずべきものだと僕は思う。

 さて先の土曜日、学会のための列車の中で僕は、5000円札の顔でもある新渡戸稲造の武士道という本を読んだ。
 明治後期に日本を海外に紹介した古典的名著だ。
 武士道自体はごく一部を除き残念ながらとうに滅んだと考えた方が良さそうだが、そこには今でも世界に誇る日本古来の道徳概念が含まれている。

 その本の中で日本の美徳道徳としてまず一番先に挙げられていたのが義に関する事であった。
 義と言う概念はもう今の日本では実質滅んでいるが、スポーツの世界ではいちおうスポーツマンシップとして残っている。
 サッカーでも何でも日本のスポーツマンは総じてフェアプレーを重視すると僕は信じているが、それは古くからの武士道の名残と言って多分差し支えないだろう。
 
 さて制裁の内容をテレビで聞いて、僕はもうひとつ、ボクシング界のスーパースターモハメドアリを思い出した。
 アリはベトナム戦争の徴兵を宗教的理由から拒否しヘビー級世界タイトルを剥奪され、その上なんと4年間もボクシング界から追放されていた。世界チャンピオン絶頂期の4年間と言えばもちろんトップアスリートにとって致命的なほど長い。

 しかし彼はその後キンシャサの戦いで奇跡のカムバックを果たし、その後も防衛を続け、今ではボクシング界のみならずスポーツ界全体の伝説上の人物となっている。
 彼は亀田家に勝るとも劣らずのビックマウスだ。しかしその生き様はまさしく義の男いわゆる侍だと僕は思っている。アリは自己犠牲を経て義に生きて、その上でスーパースターに昇り詰めたのだ。

 さて一方亀田の戦いの中では、今時珍しいくらいの家族愛とハングリースピリットは買えるかも知れないが、残念ながらそこに義は無い(だいたい武士道は義のために家族を犠牲にする方と美徳としていた)。
 目を狙って1年間のボクシング停止で不満たらたらの亀田と、信念により徴兵拒否して4年間ボクシング停止されたアリと、それは月とすっぽんの差がある。
 亀田家をカッコ良いと考えていた日本人が多いと言う事は、すなわち武士道が日本から滅んでいるという事だろう。

 さてさて僕の外来にも色々な人が受診する。中には亀田一家みたいにメンチ切って受診される方もいる。僕はだれにも変わらず平常心で公平な対応をする様心がけているが、中には様々な理由でかなり怖いなこの人と思う方もいる。
 しかしそういう人たちが義を持っている侍かというと、とんでもなくて多分そんな事は絶対無いだろうと内心思いながら仕事はしている。
2007年10月15日
心臓は怖いね
 代務の先生のお陰でこの3日間は夜中に起こされる事無くぐっすりと眠れた。
 おかげでこの土日は山にこそいけなかったものの、勉強や読書や家族サービスでそれなりに楽しく過ごせたと思う。
 運動不足が気にならない訳ではないが、まあそれなりに気分転換できる週末で良かった。

 とはいえこれからまた、夜昼無く電話で呼ばれ続ける暮らしが半月近く続くかと思うとちと気分は暗い。
 今日は予約診察と手術の月曜日。各種急患さんの受診もあるが、今の所予想の範囲内で収まっている。
 ちと風邪気味で喉は痛いが、寝不足は無いし、今の所身体は大丈夫だ。

 さて話は変わり、昨年公開のヒット邦画にデスノートというのがあった。ノートに名前を書かれた人間が次々と心臓発作で死ぬと言う奇想天外なストーリーだったが、心臓が止まれば人は必ず死ぬと言う当たり前の事が僕には妙に印象に残った。
 だからと言うわけではもちろん無いが、今年はどういう訳か循環器系の突発的疾患で例年に無く怖い思いをしている。

 産科と言うのは基本的に妊娠のできる比較的若い女性を対象としてる科だ。そのため循環器系の合併症で悩む事は比較的少ない分野と言える。
 しかし産後ならではの特別な状況が関係しているのか、それとも何らかの生まれつきの素因が関係しているのか、妊婦さんの心臓の動きが突然おかしくなる例が今年は幾つか遭った。
 産褥心筋症とか蛸壺型心筋症とか言われ、それらは一般的?な心筋梗塞とか不整脈とかそういうものとも全く作用機序によるものだ。
 中にはミゼラブルな経過を辿った方もおられたので、油断せずに勉強していつかきちんと学会報告しなければならないとも思っている。
 
 心臓とは物理的にいつも動いてるだけに、なんと恐ろしい臓器だと思う。他の身体は全く元気なのに、心臓だけが上手く動かない事で若くして亡くなるのは悲劇以外の何物でもない。

 僕は比較的心臓には自信が有るほうで、年の割りに血圧も低いし、心電図でなにか異常が出た事もない。
 しかし仕事柄生活は不規則だし、時に山で激しい運動に興ずる事もある。
 何となく身体の中にもう一つ別な生き物がいるみたいで、突然の時限爆弾のような心臓発作を怖く感じたりする。しかしどうすれば心臓と長く仲良く付き合って行けるのか、それも良く分からない。
 あまりこの手の事は気にせず、なるようにしかなりませんという気持ちで気楽に生きるのが、案外心臓と長く付き合うコツなのだろうか。  
2007年10月14日
土曜日は学会とか、日曜日は子供達の戦いとか
 まあまあの好天の週末となった。代務の先生も来ていただいているし、有意義な休日を過ごしたい。
 とはいえ金曜日の激務で例によって土曜日から山に出動する根性は出なかった。ここは認定医シール集めも兼ね、土曜日は岐阜大の腫瘍勉強会に出席する事にする。

 ついでに三英傑祭りでにぎわう名古屋まで足を伸ばし、登山用品店、東急ハンズ、本屋、電気屋さん等を見て周った。
 景気の良い街で品揃え豊富な商品を見て回るだけでかなり楽しい。ちと贅沢させていただき往復には列車を使い、車中の読書も楽しむ事が出きた。

 今日日曜日はどうするか。大いに悩んだが、今はスポーツの秋たけなわだ。
 子供達にはそれぞれに重要?な戦いがあるらしい。その他用事もあり、ここは冬に山に行かせて貰うためにも、子供達の応援で家族と共に今日一日を過ごす事とした。

 さて長男の東山中学サッカー部は中体連の秋の大会で今日は強豪との一戦だと言う。今日の戦いで負けると下位リーグに落ちるらしく、まさしく負けられない一戦らしい。
 そこは土俵際の粘りを見せて、強敵相手に厳しい試合を何とかスコアレスの引き分けに持ち込む事に成功していた。

 次男の東小サッカー少年団は県大会に向けて強化のため?、高山地区の草サッカー大会で、こちらは苦戦を強いられていた。大会では3位だったが、これで11月の県大会で上手く戦えるかと不安を残したりする。
 一方三男は飛騨地区の陸上記録会で、こちらは今や指定席?となった学年1位を手堅くゲットしていた。

 レベルはそれぞれで知れているかもしれないが、スポーツの世界で子供達がそれなりに活躍する姿を見るのは楽しい。最近は子供の影響で自分もサッカーをかじったり、陸上短距離に挑戦してみたいと密かに思っていたりする。

 自分の趣味の登山や勉強も楽しいが、子供の戦いを見るという楽しみも、自分が親になるまで分からなかった上等な楽しみごとである気はする。

集ちゃん今日もぶっちぎり


長男は強敵相手にドロー


次男は苦戦を強いられていた様だが・・・

2007年10月12日
1+1>>2という事
 昨日も経過中の方は残っていたが、夜の内に陣痛は遠のいてくれた。珍しく電話連絡も無しできちんと夜から朝まで眠れる。
 起こされる可能性を忘れるために、睡眠薬の助けも借り、久しぶりに熟睡感が得られた。きちんと眠れて朝の光と共に起きると、それだけでとっても幸運な気がする。それって多分とっても謙虚な幸福感だろう。
 
 さて今日は午後にややタフな手術が3件組んである。外来も混むに決まってるし、これで寝不足でなくて本当に良かったと思う。僕がきちんと眠れるという事は、手術を受ける患者さんにとっても、とても幸運な事だ。
 そんなこんなで大変だが、寝不足ではなく手術に入り、何とか先ほど無事手術室を出ることが出来た。

 疲れてはいるが、今日の午後からは代務の先生が来てくれている。 足早に回診を済ませ、少しでも早く仕事モードから開放されたい。今や僕のまともな週末は月2回しかない。それだけの休みで仕事を変わらず続けている僕はやはりとっても謙虚なのだろう。

 話は変わり最近中濃、岐阜、郡上地域で公的病院の産科医集約化が決まったという情報が流れてきた。
 具体的には東海中央病院の産科医を中濃厚生病院に、白鳥病院の産科医を郡上総合病院に、羽島市民病院の産科医を松波総合病院に異動させ集約化させるらしい。
 集約化といえば聞こえは良いが、要するに実質一人しかいない常勤医を、常勤医が2〜3人いる近くの病院に移すと言う事だ。

 もちろんこれらの病院は全て岐阜大の関連病院である。
 大学主導のコントロールで当事者の産科医も納得行く人事異動なのだろう(多分)、きっとそれなりに時代のニーズに沿い上手くいくんじゃないか。
 何でも聞いた話では、産科廃止統合される側の病院でも、婦人科は存続させるつもりらしい。
 多分そうしないと廃止される側の病院が納得しないのだと思う。その辺のところは結果的にどうなるか、これから気になるところだ。

 さて公的病院産科医集約化の原則に、とにかく一人常勤医体制を無くす事が第一に挙げられてる。
 そりゃもっともな判断だと僕も思う。産科は深夜にいたる異常に拘束時間が長い業務だ。1+1>>2の法則?が成り立つのは当然だ。
 はっきり言って僕が一人でこんなに長くこれだけのたくさんの分娩や手術を扱い続けれる方が異常でかつ傑出?しているのだ。

 さてそれでは飛騨地区の産科病院集約化はこれからどうなるのだろうか、それは多分僕がそのキーマンなのだろう。僕がプッツンして仕事を辞めれば、それは自動的に分娩業務は高山日赤病院に集約される。しかしそれでけのキャパは今の日赤病院には無いとなる。
 弱気な事を書くと、自分はどうも成り行きに任せてばかりな所が有るようだ。背中を押してくれる人も思い当たらない。
 結果的にこういう状況で仕事し続ける羽目になったのも、元はといえば僕の身から出たものである様な気はしているから仕方が無いとなってしまう。
2007年10月11日
やっぱり年には勝てませんか
 昨日は割りとスムーズに仕事が済んだ。
 いつ呼ばれるか分からないやや要注意の方も陣痛室に残っていたが、その事をいちいち気にしていたら僕はずっと病院にいなければならなくなる。
 ここは気持ちよく早めに帰宅し、夕刻から始まるフットサル同好会の練習兼公式試合?に出かけ気持ちよい汗をかいた。

 更に練習終了後、どうせならしっかりワークアウトしたろうと、市民サービスデイのクアアルプにも出かけ、更に追加の汗をかく。
 何時もの様にフィットネスバイクを漕いでいたら、さすがにフットサルの影響が出て、最後の方では右ふくらはぎがつり出した。
 僕はもともとほとんど足がつらない人間だ(一度も足をつった事が無いわけではないですが)。これも老化現象の現われかと少し悲しく思う。

 さてそれはともかく、しっかり汗をかいて気持ちよく夜に眠れれば言う事は無いはずだった。しかしそうは問屋はもちろん卸さない。
 深夜2時半に分娩室からの早く来いコールでまた起こされる。
 辛いなあと思いながらも深夜のそのそと起き出して、ややふらふらしながら一仕事に励んだ。
 3時半過ぎに帰宅して、いつもならその後2度寝に成功するものだが、今度は分娩室の処置中に心拍数が上がってしまったのか、上手く2度目の睡眠に入れない。その後浅い眠りとなり、何となく夢を見ている内に朝が来てしまった。

 しかも朝からまた別の分娩で分娩室より呼び出し電話が入る。
 朝の仕事を済ませてからの外来もしっかりと混んだ。何時もながらの秒単位寝不足外来で、半分寝ながら次々と仕事をこなす。午後からは少し楽になり、あいた時間に昼寝をするが、それでも次々入る電話連絡で小刻み睡眠しか取れなかった。
 10月はやや常軌を逸した分娩予約が入っているから、仕方無いのかもしれないが、さすがにこれでは身体と心が持たないんじゃないかと心配になったりする。

 そういえば今日は僕の4?回目の誕生日でもある。例年この時期僕のバースデー会を病棟主催で開いてくれていたのだが、今年はその企画はキャンセルになったらしい。
 今月は分娩多く何時も僕が眠そうにしてるからかもしれないが、単に自分が昔の様に?もてなくなっただけのような気もする。そりゃこの年で誕生会を開いてもらう方がちとおかしいだろう。
 昨年は優しい看護士さんが手作りケーキまで作ってくれていたが、今年はそれも無く、これも年のせいかと少しひがんでいたりする。

 今日は何人かの看護師さん助産師さんから、「ハッピーバースデー先生」と言われた。それは良いとして、その後必ずニヤニヤしながら「何歳になったの」とも聞かれた。そんなこんなで少し憮然としたりしながら、今日も薄ら眠たい一日を過ごすしかない僕なのでした。
2007年10月10日
産科と小児科
 昨日はなんだかんだと忙しい一日で、帰宅も遅くなった。更に就寝前の時刻にやや要注意の分娩が一件入る。ただ睡眠時間自体は削られなかったので、寝不足感は無い。
 今日は外来を助産師さんに任せている水曜日だ、ちと寝坊して病院に行こうと思っていたが、その思惑は朝の分娩により砕かれ、例によっての分娩室電話で起こされる事となる。健康のためにも朝食はきちんと食べてから出動した。その後も急患さん対応、ドック、集団検診、また更に別の分娩と業務は途切れる無く続く。
 とはいえ手術も無く、今のところはスムーズに事が進み仕事は速く終わりそうだ。

 ここのところ徐々に寒くなってきて、通勤途中の今朝の気温計は8度を指していた。やっと季節が本格的に変わってきたのを感じる。ただ今朝の冷え込みはいわゆる普通の放射冷却だったらしい。昼間からは陽光降り注ぐ秋晴れとなった。
 毎年秋の高山祭りの日はほとんど晴れるのだが(一方春の高山祭りの時はいつも雨が降る)、今年もそのジンクスは当たり、快晴の祭り日となったようだ。

 話は変わり、昨日は夕方に病棟看護士さん相手の勉強会があり、僕と小児科若手ドクターが約30分くらいづつその講師を頼まれていた。
 同じ職場の看護士さん助産師さん相手の話なので、あまりアカデミックな話をしても仕方が無い。僕の話も小児科先生の話も即戦力となる話題がメインで、教科書的な勉強にはならなくても、実戦で役立つ話が出来たから良かったと思う。
 
 さて大抵日本全国どこの総合病院でも、産科と小児科に間には微妙な役割分担と、多少の利害衝突があるものだ。
 これは産科側が一方的に仕事を小児科医に垂れ流す立場である事とも関係している。
 多分小児科医としては、患児の面倒を見てもらいたいのなら、もっと良い状態で新生児を渡せと言いたい時もあるだろう。
 一方産科医としては、こちらは夜昼無くさんざん働いているのだし、ある程度の割合で状態の悪い赤ん坊が生まれるのはもう仕方が無いとしか言いようが無いとなる。
 仕事の相手が、産科医は主に母親相手であり、小児科医は主に新生児相手である事とも関係しているだろう。

 この点久美愛厚生病院は小さな病院で各科間の風通しが比較的良いせいか、ほとんどこの辺の事が問題となる事は無い。久美愛には産科医は一人しかいないが、小児科医は(今は)2〜3人いる。その点僕は助けられている。とにかくは有難い事だ。

 さてさてこの辺の事では、飛騨地方には地域独特の問題点がある。それは飛騨地方にある二つの総合病院の産科と小児科の人的設備的キャパシティーの問題だ。
 具体的に言うと高山日赤病院の小児科、産科のキャパと、久美愛厚生病院の小児科、産科のキャパは、医師及び看護士のマンパワー、施設、装備、様々な点で、多少のDiscrepancyが存在すると言う事だ。

 この辺の問題については微妙な問題を含むので、これ以上の解説は避けるが、この問題を憂う人は実は産科小児科関係者以外にもたくさんいる。 
 それなら地域で一つの周産期センターを作れば事は一番簡単に解決すると誰もが考えるのだが、建設のためには破壊も必要となる。
 今の周産期医療はこの破壊の過程で、壊滅的打撃を受け破壊のみで建設できなくなる可能性が高い。様々な思惑も絡み、事は言うほど容易くはないのだ。 
 
  これ以前の日記は削除しました。