
数少なくなった石畳の軌道敷=富山市桜橋通り
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富山市中心部を走る富山地方鉄道の市内電車の軌道敷に石畳が使われている区間が、全
路線の一割、約七百メートルにまで減少している。かつてはほぼ全線で使われていた石畳
だが、通過する車の増加で傷みが激しくなり、より管理しやすいコンクリートやアスファ
ルト舗装に代わった。現存する部分も補修時期が来れば切り替えられる見通しで、市民か
らは「昔ながらの風情ある光景が見納めになってしまう」とさみしがる声も上がっている
。
富山地鉄によると、市内電車の軌道敷は、一九一三(大正二)年に開業して以来、中心
市街地を幾つもの路線が張り巡らされていた一九七〇(昭和四十五)年前後までは、ほと
んどの区間で石畳だった。
しかし、高度経済成長期を経て車の交通量が急増し、変化が訪れる。軌道敷部分は原則
、車の走行は認められていないものの、右折などで横断する際に軌道上を頻繁に通る影響
で、削れたり割れたりする石が増えてきた。石を取り換えて敷き詰めるのは手間がかかる
こともあり、コンクリートやアスファルトの舗装に順次、切り替わっていった。
昭和四十―五十年代には、車社会の広がりに伴う利用者の減少などで、路線の廃止も相
次いだ。廃線跡にはアスファルト舗装が施され、路面電車が走っていた形跡は消えていっ
た。南富山駅前―富山駅前―大学前の一路線六・四キロとなった現在、石畳の軌道敷が残
るのは南富山駅前、富山中央郵便局前の両交差点の一部と、富山駅前―丸の内間だけとな
っている。
石畳が現存する三カ所についても「いずれ補修する時期が来るが、石畳を残す可能性は
低いだろう」(富山地鉄技術課)としている。市内電車を長年にわたり見続けてきた総曲
輪通り商盛会の松井健資理事長(58)は「電車と石畳はワンセットで富山の街の情景と
なっていた。このまま消えてしまうのはさみしい」と話している。