今年1月20日に出版した拙著『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』は、1審判決を記して結びとしたが、裁判はいまだ終結していない。そこで、この場を借りて、その後の控訴審の状況を折々に報告している。
原告が3月5日付で教諭への控訴を取り下げ、もう一方の被告である福岡市とだけ控訴審を続行している事実をお知らせした前回に続き、今回は、7月9日に行われた原告の少年の本人尋問の模様を詳しくお伝えしたい。
9歳(小学校4年生)の時、担任である川上教諭からPTSDになるほどの体罰やいじめを受けたと主張する少年も、現在は13歳。熊本県の私立中学に通う2年生である。今回少年は、教諭の不出廷を条件に、主に薬の処方のために月1回程度通院している久留米大学病院での非公開法廷に臨んだ。
教諭(控訴取り下げにより、被告ではなく「補助参加人」となった)の代理人である南谷洋至弁護士は、法廷での少年について、「特に不健康な印象は受けなかった」という。
ところで、非公開法廷の内容を、それも少年の証言を公開してもよいのだろうかと疑問を抱く向きもあろうかと思う。これについては、教諭のもう一人の代理人・上村雅彦弁護士の説明が明快であろう。
「少年の尋問を非公開で行うということと、尋問内容まで非公開(秘密)にするということとは別問題であり、本件で尋問内容を公開することに何ら支障はありません。なぜなら、尋問を非公開にした理由は、原告側が『法廷で尋問を実施すると少年の病状が悪化して証言不能に陥る可能性がある』と主張したからであり、すでに少年の尋問は終了しているからです」
そもそも民事訴訟の口頭弁論は、あくまで公開が原則である。さらに、当事者には当然、立会権がある。ところが今回の本人尋問では、原告側が「少年には証言したいという思いがある」ものの「教諭が参加すると」、あるいは「法廷で実施すると」「病状が悪化して証言不能に陥る可能性がある」と説明したことから、教諭側は原告側に大幅な譲歩をし、その結果、非公開、教諭の立会なし、となったのであった。
証言台で少年は、「前の裁判官の人には僕がうそついてるように思われたから、今回の裁判官には僕はうそついてないということを証明したいと思って、出ました」と決意のほどを語り、代理人である大谷辰雄弁護士の主尋問には次のように答えた。
たとえば体罰については、「耳を引っ張られたり鼻をつかんで振り回したり、ほっぺたをグーでぐりぐりとしたり、アイアンクローという片手で僕の頭を握りしめるというのをされました」
教諭からの“自殺強要”に関しては、「おまえはけがれた血だから自殺しろとか言われて、最後はけがれた血とか言わずに、自殺してこいとか、なんで自殺してこんかったのかとかと言われて、今日はしてこいよとか言われました」。「どこで言われたのか」との問いは、「トイレで、今日は絶対してこいよと言われた」と述べた。
奇妙なほど情景描写が鮮明な、こんな陳述もあった。
「放課後、晴れているときに窓が開いてて、太陽とあの人の顔がかぶって表情が全然見えなかったけど、自殺しろって言われたのも覚えてます」
一連の少年の証言に、具体性があり信用できると感じる方がいるかもしれない。だが、そう捉えるのは早い。
これまで原告側は、教諭が家庭訪問の場で母親に「穢れた血」と言ったのを少年が聞いてしまい、翌日、学校の図書室で辞書を調べてこの言葉の意味を知り、衝撃を受けたと主張してきた。だが少年自身は、「家庭訪問のときは(中略)、けがれた血とか言ってるのは聞こえなかったと思います」というのだ。また、「帰りの会の時、他の児童がいる前で実行された」としてきた体罰についても、「放課後が多かった」と証言した。
自身に有利なはずの主尋問においてさえこうした矛盾が露呈し、これが反対尋問に移ると、上村弁護士が「結局は『証言不能』と何ら変わるところがない」と呆れるほど、「覚えてません」の連発なのである。
以下は南谷弁護士と少年とのやり取りだ。
「家庭訪問の次の日に、これは訴状に書いてあるんですが、(中略)鼻血をつけて帰ってきたということが書いてあるんですけれども、その鼻血というのは、どこで出たんですか?」「覚えてないです」。教諭の体罰やいじめを「お母さんに話したのはいつ?」「全然、覚えてないです」
裂けるほど耳を引っ張られて化膿したという大怪我については、「かすかにちょっとだけ覚えてます」。「両手をグーにしてほっぺたをぐりぐりするのは、これは何に当たるんですか?」「名前があったかというのも、全然覚えてないです」
主尋問で、教諭の「自殺強要」によって自宅マンションの6階に上がり、開放廊下の壁部分によじ登って「そのまま降りて自殺しようか(中略)ずっと考えてた」と語っていたのを受け、「何時頃そこに上がったのか?」「どのくらいの時間そこにいたのか?」と尋ねても、「全然覚えてないです」
その他、事件当時のクラスの帰りの会の状況も、PTSDの症状が出始めていたはずの夏休みのことも、精神科病棟に入院中のことも、PTSDを判定するためのテストを受けたことも、ことごとく「覚えてません」
原告側は控訴審において、少年が転校したインターナショナルスクールに通っていた当時、外国人教師に宛てて書いたとされる英文の日記のごく一部を証拠として提出した。内容は「気分が悪く何回も吐いた」「記憶がよみがえって死ぬほど怖くなった」など、PTSDの症状を訴えたものだ。
ところが、少年自身が書いたはずのこの英文を目の前に示されて、「これはどういうことを書いたか覚えてる?」と問われても、「覚えてないです」。「意味は思い出しましたか?」と重ねて尋ねられて、「ちょっとわかります。何か思い出して書いたと書いてあります」
質問にはっきり答えたために、かえって墓穴を掘ってしまった場面もあった。
少年の主治医である久留米大学病院の前田正治医師は、2003年9月の初診時に少年に自殺願望があることを知って驚き「死なない約束をした」と、かつて法廷で証言していた。ところが、この点を上村弁護士が改めて少年に尋ねると、約束は「最近、1か月前ぐらいにした」と言う。つまり、前田医師が4年前の初診時に交わしたと主張していた約束は、実際は今年の6月初旬にしたものだというのだ。
これには上村弁護士も驚き、「前田先生との間では、自殺するという問題については話し合ってきてなかったということですか」と念を押したぐらいであった。
このように、原告側の切り札というべき本人尋問は、その狙いとは逆に、矛盾ばかりが浮き彫りになるという結末に終わった。
9月12日には、少年のPTSD症状の判定などに関わった久留米大学病院のソーシャルワーカーが原告側証人として出廷したが、反対尋問の途中で時間切れとなり、11月に再度その続きが行われることとなった。
これらについては、次回改めてお伝えしたいと思う。
2007年10月
今年1月20日に出版した拙著『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』は、ある小学校教師が、児童の母親の虚言とメディアの妄信によって、「史上最悪の体罰、いじめ教師」に仕立て上げられていく過程を追ったノンフィクションであった。発売直後から多くの方にお読み頂いたことに感謝しきりである。
『でっちあげ』は、平成18年7月の1審判決で、原告側親子の訴えの多くが認められず、教諭本人への損害賠償請求も退けられたが、原告側がこれを不服として控訴したところで筆を置いた。このため多くの読者から、「その後を知りたい」という声をいただいた。
そこで、今年1月から始まった控訴審の状況をお伝えすることにする。
実は、原告側はなんと、3月5日付で教諭への控訴を取り下げた。ということは、控訴審自体が打ち切りとなり、1審判決で確定かといえばそれは違う。混同してほしくないのだが、これは訴え自体を取り下げたということではない。あくまで教諭への控訴のみを取り下げたのだ。
何ともややこしい話で恐縮なのだが、今回の訴訟の被告は教諭と福岡市の二者である。つまり原告は、教諭に対してだけ控訴を取り下げ、福岡市に対しては控訴審を続行する構えなのである。
1審判決が下った時、児童の両親は「信じられない」と絶句。原告側代理人の大谷辰雄弁護士も、「PTSDが否定されたことは理解できない。いじめの内容や回数でも主張が認められなかった部分が多く、認定は不十分」として、「原告の『でっち上げ』と認定された判決」(控訴理由書にこうある)にはとうてい承服しがたいと、ひき続き控訴審で争う意向を示していたのである。
ところが、いざ裁判が始まってみると、原告側はあっさりと教諭への控訴を取り下げてしまった。私はその理由を問おうと、大谷弁護士に電話を入れたが、「あんた何様だ。あんたに話すことはない」と即座に電話を切られてしまった。
代わって、教諭の代理人である上村雅彦弁護士が説明してくれた。
「原告側は表向き、被害者である児童本人が、教諭が本訴訟に関与していないなら当審において証言したいと決意したからだと理由を説明しています。しかし実の狙いは、原審判決で認定された軽微な体罰やいじめに対する220万円の慰謝料請求だけは維持したい、2審判決でこれも取り消されては困ると考えて、教諭への控訴を取り下げたのでしょう」
要するに、この2審で1審以上の有利な判決を勝ち取れない場合を見越してのことだというのである。
だとすれば、福岡市との間だけ控訴審を継続する理由は何だろうか。
教諭は原告側の主張に対し、事実無根だとして全面的に争っている。ところが福岡市の場合は、すでに教諭に懲戒処分を下している立場なので微妙だ。その処分の際に認定した範囲内の体罰やいじめについては事実関係を争っていない。原告と福岡市の間の争点はPTSDの有無だけである。
そこで、事実関係全てを争っている厄介な教諭を外して、与しやすい福岡市とだけPTSDの有無に絞って争うというのが、原告側の法廷戦術なのであろう。
しかし、これは非常に姑息な手段と言わざるを得ない。
「当初原告は、教諭にあらん限りの非難を加え、公務員個人としての直接的な責任を強く主張し、教員の資格までをも剥奪すべきであるとして提訴したのです。それが一転、無実を争っている教諭の関与を排除しようとした。これは、正義を真っ向から否定するもので到底許されない」
教諭のもう一人の代理人である南谷洋至弁護士は、こう強く批判する。
だが幸いにして、教諭にも道は残されている。南谷、上村両弁護士はただちに「補助参加」という法的措置を裁判所に申請し、許可された。教諭は今後、被告という立場ではなくなるが、裁判では事実上これまでと同様に自身の主張を行なえることになった。
なお、原告側は現在までに、いくつかの証拠を追加提出している。
ひとつは、一時児童が通学していたインターナショナルスクールの外国人教師に宛てたとする短い英文で、その中で児童は「気分が悪く何回も吐いた」「記憶がよみがえって死ぬほど怖くなった」など、PTSDの症状を訴えているという。
他には、児童自らが主治医である久留米大学病院の前田正治医師に向かい、一連のできごとについて証言しているビデオ、同病院の医師、スタッフら3名の陳述書が提出されている。病院総がかりで、何としても児童のPTSDを証明しようということだろう。
今後の裁判日程だが、7月に児童本人の証人尋問が非公開で行われ、その後に、久留米大学病院のスタッフへの証人尋問が行われる予定である。
その様子などは、またこの場を借りてお伝えできればと思っている。
2007年5月