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after game over

2007-11-08

[]今のもんもんを、正直に書いてみる

 昔のファミコンゲームって大抵コンティニューついてましたよね。上上下下左右左右BA。

 あのですね、えらい騒ぎになっててちょっとびびってます。僕がブログのログを消したのは、ある面ではやっぱり「三日以内に消えろ」といわれたからなんだろうと思う。僕はその人のブログからトラックバックも頂いて、全文を読んで、正直なところ共感する部分があった。全面的とは言わぬし、書いていることはあれなんだけれども、少なくともお遊びではなく全面的に苦しんでいることは伝わってきた。多分僕が標的になったのは、「僕だから」というわけではなく、全的にあの方を苦しめている何かに、僕の文章が触れたからなんだろう、そう感じた。こんなことは、ああいう批判的なトラバを送られた人間として、口が裂けても言ってはいけないんだろうと思う。というのは、ある種の人間はその手の「理解を示す」ような回答にポジショントーク的な偽善を読み取るだろうから、また一層鬱陶しいことになるだろうことは目に見えると思ったのだ。だから、僕は共感したなんてことも言えないし、かといって何かできることなんてもっとない。僕はあの方の過去の文章も知らぬし、どんな人で、どういう経緯でそういう苦しみを得るに至ったのかがわからない。ただ僕にわかっているのは、あの人は多分真剣に「三日以内に消えろ」と言ったのだろうと思ったし、多分目に触れ続ければ少なからずストレスを与え続けることになるだろう。だから、ログを消そうと思ったのだった。勿論他にやりようはあったのかもしれないけれども、僕にはそれがいいように思えた。というのは、僕は何か「善悪」を主張するような文章を書いているわけではなく、個人的な気持ちを綴っただけだったので、全体に対してプラスに寄与する効用よりも、僕の記事を読んでマイナスの感情を刺激された方がいれば、それを考慮すべきではないのか、そんな風に考えたのだ。勿論、誰かが言ってたけれども、どんな文章を書いても、プラスとマイナスの両方の反応を引き起こす。それは僕も承知している。だから、ある程度まで、たとえばブクマ900を集めた記事に対して、お遊びでネガコメをつけるような行為は放っておこうと思った。真剣ではないように、僕には思えるから。だけど、何百とあるコメントの中で、本当に苦しんでいると思えるコメントを見かけたとき、僕はそのコメントの負っている重さに対しては、対応する責任があるんじゃないか、そんな風に考えたのだった。

 勿論そう考えたのは後のこと。実はブクマでコメントをもらったときには、「なんじゃい、今更、このヤロー」と思ったくらいだったし、僕の妻の「その後」のことについて書いたときも、単なる反射的な「反論」の気分だった。僕だって聖人君子じゃないから、嫌なことを言われたら腹が立つ。多くは我慢するが、涼しい顔で流しているわけじゃない。だから、妻の現在の問題を書いたときは、今書いているような「共感」の気持ちなんてこれっぽっちもなかった。だけどその直後、僕の記事に対するその人のブログからのトラックバックを僕が受けていることを知って、その記事を読んで、「ああ、こんなにも苦しんでいるんだ」と感じられたので、方針を変更したという経緯。

 これが消すに至るまでに僕が考えていた経緯の半分くらい。残り半分は、昨日少しだけ書いたけれど、「言語的布置」の問題。何を書いたとしても、リアクションが大きすぎてちょっと困ってたのだった。ポジにもネガにも。勿論それは多くの人に読んでもらえることの証明なのだろうから、基本的にはいいことなんだろうけれど、何度も書いたけれど僕は自分の文章で人と議論したりとか、何か善悪を主張したいなんて全然思っていない。正しいこととか、もっともなことなんてくそっくらえで、身軽に文章を書きたいだけだったのが、いつのまにか巨大な亀みたいになってしまった。そこで、また「読者3名」くらいの状態から、やりなおしたいなあと思った。これが残り半分の理由。


 も一つ。ずっと気になってたけど、文章を書いた本人として言ってはいけないと思ってたので言わなかったこと。「ある個人史の終焉」という文章が気持ち悪いといった人の気持ちが僕にはわかるということ。だって仕方ないよ、あの文章は中学生がよっぴいて書いたラブレターみたいなものだ。熱に浮かされて、ありえない高揚感に掻き立てられるままに書いた文章を、読み返しもせずに一気にアップしてしまったのだ。次の日、「ああ、恥ずかしいこと書いちゃったな、消そうかな」と思ったときには、もうブックマークは軽く300近く行ってて、にっちもさっちもいかなくなるし、「いやー、あれは恥ずかしい文章ですね」なーんていえなくなってしまった。

 また頂いた多くのブックマークコメントに対して、ある種の同調圧力、「赤紙的性質」(よろこばしいね!の大連呼)を感じるというのも、僕には良くわかる。僕の無関心を装った態度に対して、「筆者だけがその手の圧力の存在に気づいていない」と書いていた人がいたんだけれども、気づかぬわけがない。なにせ、僕はそういうのに人一倍敏感な性質だし、だから次の日には一応フォローの文章も入れておいたつもりだった。同調圧力同調圧力、はいめでたいめでたい、といって揶揄していた人がいたが、いろんな人から頂いた「感動した!」という言葉に、一番戸惑っていたのは僕だったのだ。勿論、その人たちの感動に対してケチをつけたいわけじゃない。それも当たり前。嬉しいに決まってる。祝福の言葉が嘘なのだ、なんていう気持ちは全然ない。全部の言葉に対して、物凄くありがとうと、頭を下げて回りたい気持ちでいっぱいなのだ。でも、それでも、僕の自分の器の小ささに対して、賞賛の声があまりにも大きくて、それに怖気づいたのは他ならぬ僕だったということは、一応お伝えしておきたい。もう一度、同じ事を繰り返して書いておく。誤解されたくないから。僕の「怖気づき」は、一人一人のありがたい感謝の声に対するものではなくって、それがシステムとして一気に回収された結果に出てくるものだということ。それは繰り返しちゃんと明記しておきたい。僕は喜んでいる。物凄くありがたい気持ちでいっぱいだし、勇気付けられもした。だけど、同時に怖気づいてしまった。

 というか、怖気づいた気持ちはむしろその後の方が強かったかもしれない。あの記事の前まで、多分僕のブログを定期的に読んでくれてるのは、僕の友人たちと、あと十数人。アンテナからは多分40人くらいで、RSSに至っては10人を切っていたと思う。それがあの記事の掲載された数日後、調べてみたらえらいことになってた。アンテナ数は200を越えてて、さらに焦ったのはRSSで170人とかに跳ね上がってる。それから連日のリファ。はてな外からも凄かった。Yahooやらmixiやらなんやらかんやら、途中からもう見に行くことも出来ないくらいにリファが来た。そういうののラディカルな表示が訪問者数で、その記事の前までPV数、一日よくて150くらいだった僕のブログは、その日を境にして一日数千人に来てもらえるようになった。記事を書かない日も千人を切らないのだ。あの記事前後の訪問者数が一番凄くて、最大の日は一日に5万人の人が読みに来たみたいだった。次の日も3万くらい。それから一週間ほど、コンスタントに1万人程。正直ここまで凄いと、嬉しいとか喜ばしいというよりも、怖いというのが本音なのだ。ある日目覚めたら、えらいことになってた。

 そんなこんなが重なった。で、「ある個人史」が「終焉」したにも関わらず、ブログとしてはまさに「はじまったな」という感じで、僕はこのあたりからブログやめようかなあという気持ちに少しずつなっていったように思う。そういう経緯の後、僕としても看過しえない事態が、昨日頂いたトラックバックだったという話。


 あとも一つ。例の記事に対するブックマーク記事に、僕の「ある個人史の終焉」の全文が掲載された。僕は「読ませない権利」のことはどうでもいいように思う。というか僕はたいてい、一切の「権利」というのは、どうでもいいように思ってる。賢い人が考えればいいことだと。「信号の無い道は事故が少ない」の逆説に似たところが権利にもあるように思えて、杓子定規に定義しちゃうとかえって物事は硬直しがちだから、ケースバイケースで良いんじゃないかと思ってる。そして僕も、自分の文章をそんなに読みたいとおっしゃってくれる人がいるならば、掲載していただいてもいいと思うのだけれども、この文章だけは別。だって、読んで、単に不快だったり、気分悪くなったりするだけでなく、物凄く苦しむ人がいる。その存在を知ってしまった以上、僕はその人の苦しみを無視して、「お好きに読んでね」というわけにもいかないので、後でブックマークコメントは編集させてもらおうと思う。その代わりといってはなんだけれども、ブログの過去ログをこの場所に復帰させておいとくので、自由に読んでもらうようにしておきたい。そっちの方が、まだ「マシ」だと思ったから。


 というわけで、このブログの更新を続けるかどうかは正直わかんないけど、ログは復活させます。ごめんなさい、突発的に消しちゃって。うだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだうだと考えた結果の、これでも一部だけしか賭けませんでした。やばい、もうすぐ仕事が再開だ。ではログはまた夜にでも復活します。


(追記)id:ululunさんへ、全文掲載への配慮ありがとう。あと、「反吐」や「嫌悪感」という感覚はいつも僕についてまわります。