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その時々の話題の人物
あるいは、旧華族・皇族や
近現代に活躍した人物を

家系図やリンク等を交えて
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系図でみる近現代 第42回
200704-07「スパイダーマン3」ムービー・フェスティバル

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第39回 親鸞、蓮如、大谷家
第40回 西本願寺・大谷家
第41回 東本願寺・大谷家

第42回 真宗大谷派(東本願寺)から離脱・独立、浄土真宗東本願寺派
      そして、世界一の牛久大仏 (07.6.24記)



東京本願寺・大谷光紹


大谷光紹は、東本願寺(真宗大谷派)24世大谷光暢の長男に生まれ、
現・天皇陛下のいとこにあたる。(第41回系図参照)

昭和41年に、真宗大谷派(東本願寺)の東京別院、浅草の東京本願寺住職となった。

[ちなみに、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の東京別院は、築地本願寺]


次期法主の座を約束された新門の地位に長くあったが、
“お東紛争”を経て、宗派側が象徴門首制を採用した事から、
昭和56(1981)年真宗大谷派を離脱。

その後、宗本一体化により、東本願寺の正式名称が、「真宗本廟」とされた事に反発し、
昭和63(1988)年、東京本願寺を「本山 東本願寺」として、
浄土真宗東本願寺派を結成、東本願寺第25世法主を名乗った。




真宗誠照寺派、真宗木辺派


光紹の妻・貴代子は、真宗十派の一つ、
真宗誠照寺派誠照寺(じょうしょうじ)法主、二條秀淳の長女であり、

その母方祖父は、これまた真宗十派の一つ、
真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ)門主・木辺孝慈である。

木辺孝慈(こうじ)は、西本願寺21世大谷光尊の次男(大谷光瑞の弟)であったが、
木辺家に養子に入り、真宗木辺派を継ぎ、明治29年に男爵。

すなわち、お東さんとお西さんの繋がりをここに見る事ができる。

また、他にも、九條家を通しての繋がり等もある。(第40回系図参照)



精神療法家・近藤章久


若き日の大谷光紹は、昭和25年から29年まで単身アメリカに留学し、宗教哲学を学び、
アメリカで仏教学を教えていた禅の大家鈴木大拙に師事した。
また、生涯の友・ブレーンとなる精神科医の近藤章久とも出会い、親交を深めた。


山口県出身の近藤章久は、岸信介・佐藤栄作兄弟とは遠縁にあたり、
また、身内にも歴史上の有名人とまではいかないまでも、
けっこう有力者がいたようである。


近藤は、若かりし頃、特異な体験をしている。
それは、二つの暗殺現場の目前に居合わせたこと。

ひとつは、浜口雄幸首相の東京駅での現場。
あまりにも近くにいたので、仲間ではないかと疑われたという。
もうひとつは、浜口内閣、第二次若槻内閣の蔵相・井上準之助。


男子の本懐/城山三郎/著」の主役となった二人であるが、
その本の中にも登場し、同じ内閣の大臣で連想される人物といえば、・・・
逓信大臣をつとめた小泉又次郎

そう、小泉純一郎前総理の祖父である。


実は、奇しくも近藤章久の妻は、小泉又次郎の甥の娘にあたる。(第27回追記及び系図参照)
その妻・近藤寿子が、大谷光紹長男・大谷光見の結婚に際して、名前が登場してくる。


なお、小泉前首相の真骨頂、「思い込んだら一直線」というのは、
若き日の小泉純一郎への、近藤のアドバイスが、大いに影響したようである。


浄土真宗東本願寺派第26世法主・大谷光見


平成11年、大谷光紹が亡くなり、
13年に、その長男・大谷光見が法主を継いだ。


週刊新潮2004年4/8号の「結婚」という定番ページに、
『東京本願寺「26世法主」が貫いたニューヨークの愛』という見出しが載った。

大谷光見法主の平成16年3月の結婚を伝える記事であった。

要約すると、

媒酌人は、香淳皇后の甥、
すなわち、光見の祖母・大谷智子裏方の甥でもある、
久邇邦昭(久邇宮朝融嫡男)夫妻。

法主の新婦・裏方となるのは、近藤ひでか。
本名は金英蘭、ソウル出身の韓国人である。

光見は、早大理工学部卒業後、ニューヨーク大の英語学校で
同じ授業を受けていた時に、彼女とは、知り合った。

父親が公務員で教育に厳しい家庭に育ち、子供の頃から日本語、英語を学んだという。
ニューヨークでは、大学でファッション・デザインを学び、
アパレル会社でデザイナーとして働いていたが、光見と出会ったことで入信。
東本願寺のニューヨーク法人を設立する際の協力や、
同法人の門徒総代、理事会秘書、副代表を務めるなど「裏方」さながらの活躍だったという。


関係者によれば、

「結婚に際し、大谷家と長い親交があり小泉純一郎首相とも縁続きの
近藤寿子様という方が日本での母役を買って出られたんです。
実のご両親も勿論、式に出席されました」

近藤寿子は、前述の近藤章久の妻である。


日本も、遅ればせながら、
結婚の国際化が、当たり前の時代になってきている。



牛久大仏と「下妻物語」


浄土真宗東本願寺派の新たな布教の拠点、及び、
市民の憩いの場として建設されたのが、
親鸞聖人ゆかりの地でもある、
茨城県牛久市の牛久大仏・花摘み/ふれあい動物公園

そのシンボルといえば、平成5年に完成した世界一の高さを誇る牛久大仏

関西人には、あまり馴染みがないが、高さが120mあり、
奈良の大仏が約15mであるから、その8倍の高さである。


そして、その牛久大仏が頻繁に登場する映画といえば、
深田恭子のロリータファッションとともに話題になった「下妻物語」(2004年5月公開)。

テンポが良く、画面も終始明るく、ラストシーンは「系図で繋がっていたのか〜」と
一瞬、思わず感動・・、しかし実は、・・・。

というなかなか楽しめる青春映画である。

もっとも、私は「牛久大仏さま」の登場シーンを、今か今かと、心待ちしていましたが。

大仏さまは、タイトルバックより登場、セリフにも登場、そして、壮観は、
ラストの牛久大仏をバックにした深田恭子とレディース(暴走族)の決闘シーン。

セリフの合間に効果的に寺の鐘が鳴り響く・・・・


しかし、バックにそびえる大仏、でかい・・。

評判の程はいざ知らず、一度、生で、
キングギドラ(元祖/身長100m)よりでかい、牛久大仏 拝んでみたい。



こういった話題なども含め、
これからも、仏教界及び、本願寺の動向から目が離せません。







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●浄土真宗東本願寺派・大谷家系図
木辺孝慈
(こうじ)
1881〜1969/真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ/滋賀県野洲市)第20代門主/
旧姓名・大谷尊行/西本願寺21世法主・大谷光尊次男/男爵/
西本願寺筆頭連枝であったが、明治27年木辺淳慈の養子となり、
木辺派を継いで孝慈と改名。28年門主(真宗木辺派管長)となった。29年男爵。
生来の学問好きであり、多くの仏教学者について、仏教教義を学んだ。
大正2年、広島へ巡教、11年には真宗開宗七百年記念伝道に出るなど
地方巡教の旅を続けた。また、荒廃した錦織寺再興のため維持会財団を組織、殿堂を修復した。
著書に「宗祖の自行」「教行信証の大意」「御親教集」などがある。
真宗木辺派 本山錦織寺
木辺宣慈
(せんじ)
1912〜1990/真宗木辺派錦織寺第21代門主、特殊光学研究所所長/本名・木辺成麿/
子供の頃から天文学に興味を持ち、住職修行の傍ら、戦争中、陸軍航空技術研究所の嘱託となり、
日本でも数少ない天体望遠鏡の反射鏡磨きの専門家に。
世界でも五指に入る名人となり、“レンズ和尚”の異名で知られ、特殊光学研究所所長もつとめた。
昭和44年門主を継ぐ。昭和45年、吉川英治文化賞(第4回)受賞。
長男・木辺円慈が第22代を継ぎ、現門主をつとめる。
二条秀淳 真宗誠照寺派誠照寺(じょうしょうじ/福井県鯖江市)第28世法主/
先代・二条秀暁の妻・嫺子は東本願寺24世大谷光暢の叔従母(いとこおば/父母のいとこ)/
現・法主(ほうしゅ)は第30世二条秀瑞
真宗誠照寺派 本山誠照寺


●関連人物
鈴木大拙
(だいせつ)
1870〜1966/仏教哲学者・禅思想家・宗教家、大谷大教授・学習院大教授/本名・貞太郎/
金沢市出身。明治28年東大哲学科選科修了。
鎌倉の臨済宗・円覚寺の今北洪川、のち釈宗演に師事、その推薦で渡米。
在米12年間に独学で仏教思想を研究。
仏典の英訳や英文による「大乗仏教概論」「禅と日本文化」などの刊行で海外に
大乗的な仏教思想、特に禅思想を平明に説いて、その普及に功績を残した。
万国宗教史学会東洋部副会長に就任。帰国後は東京帝大・大谷大などで教鞭をとる一方、
東方仏教徒協会・松ヶ丘文庫の設立など精力的に活躍する。
コスモポリタン的な活動を展開、東洋的叡智こそが、
いきづまった西洋合理主義の世界を克服する道という彼の文明批評は、
世界の思想家たちに影響を与えた。
フロムら新フロイト派たちとの思想的交流も行った。
昭和22年学士院会員、24年文化勲章受章。
ホノルルの東西哲学者会議などに出席して、昭和34年ハワイ大から、
法学博士の名誉学位を贈られた。
著書・関連本
禅と日本文化
禅とは何か
近藤章久 1911〜1999/精神療法家、八雲学園理事長・校長/山口県出身/
東大在学時より、映画館経営、卒業後、旅行会社勤務、学校の開設、貿易業など
様々な経験を経て、精神医学を志し、35歳で慈恵会医科大学に入学。
卒業後、渡米、新フロイト学派の精神分析家カレン・ホーナイに師事し、
また鈴木大拙の知遇を得た。東本願寺新門・大谷光紹とも出会い“生涯の友”となった。
ホーナイの死後、アメリカ精神分析研究所の講師をつとめた。
帰国後、目黒区八雲に精神療法専門のクリニックを開き、
以後1999年に亡くなるまでの40年間、臨床と治療者の育成とに情熱を傾けた。
著書・関連本
セラピストがいかに生きるか―直観と共感
「こころ」の軌跡―禅・森田療法・精神分析・念仏






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●参考文献
東本願寺三十年紛争」田原由紀雄
セラピストがいかに生きるか―直観と共感」近藤章久
小泉政権―非情の歳月」佐野眞一
貴族の死滅する日―東本願寺十年戦争の真相」落合誓子
東本願寺 大谷光紹
週刊新潮2004年4/8号

 
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