「自決」の負傷者 写真に/山梨学院大の我部教授入手
沖縄戦の慶良間諸島で軍命によって起きた「集団自決(強制集団死)」の負傷者を撮影した写真二枚が七日までに見つかった。座間味島の病院で、子どもたちが首に包帯を巻いた姿で撮影されている。我部政男山梨学院大学教授が米国立公文書館で入手した資料の中にあった。写真を託された沖縄女性史研究家の宮城晴美さんは「国の都合によって、いたいけな子どもたちまでが犠牲を強いられたことを示した写真だ」と話した。(編集委員・謝花直美)
我部教授が二〇〇四年十二月に米公文書館から持ち帰った資料を整理する中で見つけた。記録では撮影日付「一九四五年四月二十一日」、撮影者「E・C・サッカーソン大尉」とあり、「座間味島の病院にいた子どもたち。親が子どもたちののどを切ろうとしたことが分かる」と説明がある。
四五年三月二十六日、米軍は座間味島に上陸、島を制圧する一方で病院を設置、軍人や民間人の治療に当たった。渡嘉敷島からもけが人が運ばれた。当時病院は二カ所あり、集落内に焼け残った建物を接収した病院が重傷者用、ヒナヌカーと呼ばれる浜辺にテント張りで設置されたのは軽傷者用だった。写真にはテントが写っているため軽傷者用の病院とみられる。
宮城さんがこの写真に関し、聞き取り調査したが、病院の場所以外の情報は得られていない。「最も信頼する親から傷つけられなければならなかった子どもたちの悲鳴が聞こえてきそうだ。心身の傷は生涯癒えることはなく、あらためて日本軍、国家に対し、はらわたが煮えくり返る思いを禁じ得ない」と話した。
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