「今日負けたら全部自分のせいだと思った」。
試合後、荻野は苦笑した。決勝は荻野にとっては苦しい試合だった。
第3セット、東レ・篠田や笠原のフローターサーブにサーブレシーブを崩された。サーブレシーブはサントリーの生命線。センターを使えずサイド攻撃を拾われ、連続失点でリードを広げられた。そして桑田と交替。しかし第4セットはコートに戻り、踏ん張った。
「第4セットは開き直った。ツマ(津曲)がしっかりカバーしてくれた」と感謝した。3年ぶりの優勝を果たし、荻野はこう語った。
「昨年、決勝で負けた悔しさを1年間引きずってきた。個人的にも、初戦の途中に替えられて次の日出られない(先発できない)という悔しい想いをした。1年間、絶対河野監督を胴上げしたいという気持ちでがんばってきた結果が出てよかった」。
昨年の決勝・第1戦、先発した荻野は途中でベンチに下がった。昨年の決勝は3戦2勝方式だったため、たとえ初戦を落としても第2、3戦がある。荻野は胸の内で翌日のリベンジを誓っていた。しかし第2戦は先発を外れた。劣勢の場面で出場し奮闘したが、再びフルセットの末にチームは敗れた。
「もっと信頼されるようにならなあかんな……」と試合後つぶやいた。そして一言。「来年は勝つよ」。
昨年は全日本の主将として11月の世界バレー、12月のアジア大会に出場し、チームに合流したのはプレミアリーグ開幕の約2週間前。しかし河野監督は、開幕からほとんどの試合で荻野を起用した。昨年5月に就任した河野監督は、サントリーに荻野と同期入社し、チームメイトとして長年ともにプレーした仲。荻野には絶対の信頼を置いている。
リベロ・津曲と共にサーブレシーブの要。特にフローターサーブは津曲と2人だけの布陣のため、当然荻野が狙われる。レギュラーラウンドでは、リーグで3番目に多い760本ものサーブを受けた。
今季の開幕とほぼ同時に37歳になった。疲労は当然ある。全日本で負った故障も癒えないままで、「腰も痛いし、ボロボロや」とこぼしながらも、「チームが必要としてくれるならうれしいし、選手である以上、やっぱり使ってくれるのはうれしい」と話した。
セミファイナルでは、さすがの集中力を見せた。津曲とともに正確にサーブレシーブを返し、チームの持ち味であるセンターの速攻や多彩なコンビを十分に機能させた。攻撃面でも、コンビに絡んでリズムを作ったり、技ありのスパイクを決めた。
河野監督は優勝後、こう語った。「2年間優勝から離れていたので、これ以上逃すと、セミファイナルや決勝を戦う心構えなど、優勝の経験値が薄れてしまう。だから今年こそは何としても勝って、次につなげたかった」。
そのために荻野を必要とした。「あの年齢であれだけのプレーができるのは脅威。それは彼が本当に一生懸命練習やトレーニングをし、いまだに入社当時と変わらない努力をしているから。それを見ているので信頼できるし、尊敬に値する選手」と讃えた。
黒鷲旗後の5月、今年の全日本が始動するが、荻野は抱える故障や疲労のため、ワールドリーグ後に合流の予定だ。
“サントリーで再び優勝”という目標は実現した。しかしまだ“日本を再びオリンピックへ”という、大きな仕事が残っている。 |