右中野は言った!
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ナンキン-だいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの1937年(昭和12)12月から翌年1月にかけて、南京を占領した日本軍が 中国人に対して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、 極東軍事裁判では二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
ふむ。「安全区内」のはなしではないな。
>南京大虐殺の東京裁判における検察泡主張
期間は南京陥落から6週間。
範囲は南京市内とその周り。
ふむ。またしても「安全区内」のはなしではないな。
やっぱり「安全区内」のはなしではないわけだ。
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これは是非とも詳しく聞いてみたいなぁ・・・・・。
↑の右中野の文面から読み解くと、
期間に関しては、ほぼ・・・ワシと同じだな・・・。
右中野は12月1日も含む、南京陥落(13日)から。
ワシは12月13日から。
ついでに虐殺された人数は20万〜40万!って事だな・・・。ワシの意見は0人。
ハイ、そして一番大事な処!「範囲」。
範囲は南京市内とその周り。
これは「安全区」を含んでいるな?絶対に含んでいる。
そして南京市全土とその周り。
これが右中野の意見。ワシの意見は「安全区内」以外に考えられない。
やっとスタートラインに着いたなぁ(安堵)。
しかしもうタイムリミットはすぎてしまった。ワシはやっぱりヘタレだった。まあ、最初からわかっていた事だったが。
・たった6週間では大虐殺は無理だから、期間を延ばしてみよう
・南京だけでは目撃者もいないし立証が難しいから、上海あたりまで範囲を広げてみよう
・民間人の虐殺の証言の嘘がばれたから、捕虜や便衣兵の処刑を虐殺にしよう
句容街道を東に向ってとある証言には、
南京に戻る難民の群れに出会ったと言う。
>スタートラインに着いたなら ↓これ
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/nanking.html
3.8平方キロを区切って“安全区”を設け、
第三国人からなる国際安全委員会がここを管理していた。
この「安全区」(難民区)に南京市民を全員を収容して保護に当たったのである。
国際委員会は、日本軍が入城した12月13日から翌年の2月9日までの間に・・・
委員会の事務局は寧海路5号にあり、事務所開設は12月1日と記録されている。
非武装問題は委員会のメンバーに注目かもね
・6週間だと犠牲者数が多いので、陥落直後だけのはなしにしてしまおう
・南京特別市全体だと犠牲者数が多いので、安全区だけのはなしにしてしまおう
・捕虜は殺害してない、という嘘がバレたので殺しても合法だと言い張ろう
・民間人殺害の証言は嘘だ、と決めつけた大学教授に400万の賠償が命じられたので・・・どうしよう????
このおっさんは「言う」ことと「引用する」ことの区別もできないらしい。これじゃあ自治委員会と安全区委員会の区別もつかないのは無理もないだろう・・・
いいか、バカワシよ。「言った」のはオレではなく「大辞林第二版」であり「東京裁判における検察泡主張」(誤字はオレのせいじゃない)なのだ。オレはそれを「引用」した。まだまだ人間への道は遠いようだな。
だから俺は謝罪を要求した。南京事件にちゃ〜んと関連したコメントだったのに消した事を謝罪せよ、と。自分は、自分のミスでコメントがのらなかっただけだったのに、「削除された」とゴネてゴネてゴネてゴネてゴネてゴネてゴネまくるという荒技を3箇所で披露しておいて自分は消すのかよ? とも思ったからだ。
また、ワシはいまだに俺をSORAN00さんあつかいしている。なんの根拠もないのに。そう、驚くべきことに、なんの根拠もないのである。これでワシの「意見」というのがどう言うものか、よくわかるだろう。つまりワシにとっては自分が信じたいことが「意見」であり、それを声高に連呼するのはよいことらしい。根拠? それ食えるの? って家庭で育ったんだろうな、きっと。
しかし、「サシ」で議論しようという相手を「ニセモノ」呼ばわりするのは無礼であるだけでなく、自分自身をも貶めることではないか。だから俺は要求した。ニセモノ呼ばわりへの謝罪を。
そして、「南京大虐殺は安全区内のことだと考えてよい」については、「ワシ流の意見」ではなくふつうの意味での意見、つまりちゃ〜んと根拠をともなった意見を言え、と要求したのだがワシにはできなかった。富澤本を読んだふりをしているが、きっと読んでないのだろう。だから富澤本の紹介すらできないのだ。もっとも、恥を知る人間なら恥ずかしくてとても紹介できないようなデタラメがだいぜんていになってる本だから、恥を知らないワシでもためらいがあるのかもしれない。
というのがこれまでのところ。ワシが議論に参加する資格のない人間であることが明らかになっただけで終わってしまったわけだ。
意味も無い『謝罪要求』をする。
議論に負けそうになった時の常套手段。
手ごわい相手には、「資格」が無いと言い出すのもApeman一派の常套手段。
右中野よ、『安全区』のはなしではない
と言うのはどういう意味だ?『含む』のか?
それとも『除外』するのか?
お前の意見が聞きたいね。
ここでのポイントはその一点だけだ。
答えろ。
↑:こちらは最初から言っている。ワシが最初から逃げ回ってる。それが現実。
と言うのはどういう意味だ?『含む』のか?
それとも『除外』するのか?
お前の意見が聞きたいね。
ここでのポイントはその一点だけだ。
答えろ。
↑:これにはスルーか?逃げ回り小僧。
まずはおまえが義務を果たして真人間になれ。
何度も言ったはずだ。
肯定派は、このどれ1つ証明できていないんだけどな
・6週間だったことにしてやるから証明して
・南京城内であったことにしてやるから証明して
・捕虜を危険を顧みず何万人も殺した理由を説明して
・8歳のガキんちょが家族を殺したのは日本兵だと判断した根拠は?
まあ現実をしらなければ心地よい夢に浸っていられる、ってわけだねぇ。
しかし心がけのいい軍人も少なくなかったし、憲兵もよくやっていたが、入城式の前日(十二月十七日)憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという次第であったから、兵の取締りに手が廻らなかったのは当然だった。そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと、「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。
(広田弘毅伝記刊行会、『 広田弘毅 』 より、南京大使館参事官日高信六郎の談話)
甚だしき部隊にありては疲労の為か支那人を連れそれに背嚢は勿論、銃、鉄帽までも背負はせ、又その数多数に上り甚だしきは兵の数程も連れたるを見る。或る人曰く百鬼夜行の有様なりと。恰も日本兵の行軍やら支那土民の行列やら区別付かざる感なきにあらずこの点遺憾に思いたり。その支那人は命ぜらるる侭に多くの荷物を背負い中には相当老人も居たるを見る。既記の如く戦敗国の良民なる民程不幸なる者なしと。その場合我が兵の命が侭に従わず少しでも拒めば立ち所に遣られ万一逃げてその辺をうろつけば直に遣られ、支那人としては進退これ極まり、結局言はるるままに動かざるを得ざるに至る。
(軍法務官、小川関次郎の日記より)
ひどいはなしだねぇ。市民に荷物を運ばせておいて、殺してしまった、ってんだから。
>日高信六郎のは『伝聞』なのか?それとも氏が自分で目撃されたものなのか?そして右中野はこれを『南京大虐殺』と認識しているのか?
>小川関次郎の日記は『南京大虐殺』では無いので却下。
回答を宜しく。
今時の事変中将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く、其の原因につきても種々講究するの要を感じ、命により法務部及び憲兵隊と連絡をとり、調書、司法書類、被告人等につき調査を実施せし結果により得たる所を、左に記述せんと欲す。
(略)
徴発はゆるされたる行為なれども是を次第に意義を換え濫用となりし結果が犯罪構成に立ち至りしものにして実に徴発なる教は極めて兵卒の心を堕せしめたる結果を示せり。軍隊には「員数をつける」という言葉あり。是は一種の窃盗行為なり。平時に於てすら平然と行われつつあり。
されば戦場に於ては更に烈しく徴発品を更に「員数つけ合う」の有様に目新しき物は瞬時に其の行衛を失う。徴発は此の「員数つける」を更に大にし公にせしものの如くに解釈せるの観あり。遂には掠奪となり強奪ともなり而も是等の行為を恥ずるなき迄に至りしものと思わる。
(略)
(ト)変態性性欲者の例は見る機会なかりしも、今事変中に強姦事件甚だ多かりし所より、或は少女を弄びたる例等より推測すれば、年長者の間にはありしものなるべし、今後の研究にゆずる。
(略)
官憲の取締行き届かざりし頃は放火、掠奪、殺人、窃盗、強奪、強姦等凡ゆる重犯行為思うがままに行われつつありしが、取締厳となると共に放火は漸次数を減じたるを見たり。必要上の放火よりは遊戯的放火の少なからざるを見たり。殺人行為も減少せり。姦したる後に是を殺したる例も其の目撃者より聞けり。掠奪、強奪も見られたるも漸次減少しつつあり。
反之奇異なる現象は休戦期間の続くと共に戦友間の傷害が目立ちて多くなり、支那人強姦例は殆ど数を挙げ得ざる程の多数に上り、詐偽、脅迫、強奪、服飾潜用等の如き犯罪をも見るに至れり。犯行は次第に在留邦人にも向けらるるに至れり。
就中傷害犯の多きこと而も是が皆飲酒の上に行わるる事に就ては兵の精神教育の不徹底を疑わざるべからざる所なり。彼等は酒を飲めは戦功を誇り高名話を競う傾あり。是に就きては何等怪しむに足らざるも、其の結果は必す銃剣を抜き相手を威嚇する者甚だ多し。其の終局は傷害を来すものなり。亦徒に衆人を前にして日本刀を抜き虚勢を示し支那人を何人切りし等高言を吐く将校も幾人か目撃せり。在留邦人は飲酒の上剣を抜き威嚇なすは軍人の常の如く考うるに至り、陸軍軍人を猛獣の如くに怖れつつありとの文句さえ読みしことあり。
在留邦人の冷淡を憤慨なす者もあれど、功績赫々たる聖戦参加の将兵が如何に万死に一生を得たりと雖も上海に於て「ダンス」に興し下等なる売笑婦に戯れ或は徒に剣を抜きて人を傷つけ、或は拳銃を発砲して傷害し恐喝し或は無銭飲食なす等、到底内地人の夢想だもせざる痛恨事なり。上海は実に日本軍人の犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次かんとする有様なり。実に日本軍人の堕落と言はざるべからず。
(略)
同じ軍医さんの「戦場に於ける特殊現象と其対策(戦場心理の研究各論)」から。
出征者に対して性欲を長く抑制せしめることは、自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと、兵站は気をきかせ中支にも早速に慰安所を開設した。その主要なる目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐのにあった。
慰安所の急設は確かにその目的の一部は達せられた。然しあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題にならぬ。上海や南京などには慰安所以外にその道はあけてあるから、慰安所の不足した地方へ、あるいは前線へと送り出されるのであったが、それでも地方的には強姦の数は相当にあり、亦前線にも是を多く見る。是は尚、女の供給の不足してることに因るは勿論のことだが、やはり留学生が西洋女に興味を持つと同様で、支那女と言うところに好奇心が沸くと共に、内地では到底許されぬことが、敵の女だから自由になるという考えが非常に働いているために、支那娘を見たら憑かれたようにひきつけられて行く。従って検挙された者こそ不幸なんで、陰にはどれ程あるか解らぬと思う。
憲兵の活躍のなかったころで而も支那兵により荒らされず、殆ど日本兵の通過にまかせた市町村あたりは支那人も逃げずに多く居たから、相当に被害があったという。この部隊長は兵の元気をつくるに却って必要とし、見て見ぬ振りに過ごしたのさえあったほどである。
西洋人の前に日本の軍人は非常に礼節を重んずるから、支那婦人を冒すなんて事は断じてないと、予め吹聴したものだった。然るに事実は是に相違したので、支那良民の日本兵を怖るること甚だしく、若い女は悉く隠されて影もない様になったと言われる。
然るに一方南京の避難民区からは糊口の道を得たるために、昔の夜鷹の如くに若き支那婦人が枕になるもの下敷きになるものだけを携えて、昼夜兵の宿舎にあらわるる様になったので、風儀の乱されたこともあった。こうなると憲兵の方も強姦か和姦かの区別を考えねばならなくなり、若し、其の場所に敷物代用品があったり、支那婦人が日本貨を持っていた事実が認められたら、和姦として取り扱って見る様になり、強姦の数は実際よりは少なくなったという。敵国人という感の働くために、無償にて行い、要求されたときに是を追い払ったりする為に、自治委員会からの告訴に会って恥を掻く例も少なくないのである。
勝利者なるが故に金銀財宝の略奪はいうに及ばず、敵国婦女子の身体まで汚すとは、誠に文明人のなすべき行為とは考えられない。東洋の礼節の国を誇る国民として慚愧に耐えぬ事である。昔和倭は上海に上陸し、南京に至る迄、このような暴挙に出た為に非常な野蛮人として卑しめられ嫌われたというが、今に於いても尚同じことが繰り返るるとは、なんとした恥辱であろう。憲兵の活躍は是を一掃せんとし、皇軍の名誉回復に努力しつつあることは感謝にたえぬ。