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プーチンのロシア:第2部・地方の現実/1(その2止)チェチェン、独立路線放棄の今

 ◇復興、強権の下

 ロシアからの独立を求め、94年から約10年間にわたってロシア軍と独立派勢力との戦場になったチェチェン共和国は今、独立路線を放棄し、プーチン大統領を支持するラムザン・カディロフ大統領(31)のもとで急速に復興が進んでいる。ロシア外務省が主催した外国報道陣向けの取材旅行に参加し、プーチン-カディロフ体制が支配を固めた共和国の現状を見た。【グロズヌイ(ロシア南部)で大木俊治】

 ◇市民にくすぶる不満

 カディロフ大統領は今月1日、黒い革ジャンに黒ズボンの普段着姿で、報道陣が待ち受ける公園に歩いてやってきた。大統領が指定した「会見場」。数人の護衛つきだが、いずれもスーツ姿で銃は構えていない。

 「プーチン大統領のおかげでチェチェンは完全に復興した。今はロシアの中で最も平穏な場所だ」「我が共和国の野党は庶民。私はあらゆる所に出かけて彼らの声を聞き、必要なことはすぐ実行に移す」

 大きな身ぶりを交えながら、チェチェンの正常化をアピールした。

 首都グロズヌイ中心部には新しい公園や道路が整備され、もはや戦火の跡は見えない。高層住宅が次々に建ち、大統領の父であるアフマト・カディロフ元大統領が04年に爆発物で暗殺された競技場も今年、新装された。

 「町はこの2年で大きく変わった。みんなラムザン(カディロフ大統領)の業績だ。工事は24時間休みなく続き、競技場は3カ月で完成した」。タクシー運転手のモブルディさん(48)は話す。建設作業員のアブドラさん(29)も「戦争のことは思い出したくない。ラムザンのおかげで平和になった。建設ラッシュで今の収入は月3万ルーブル(約15万円)くらい。食べていくには十分だ」と言う。

 グロズヌイのフチエフ市長は「戦後、住宅など900棟の建物と70キロ以上の道路が完成した。これだけ急速に復興した例は外国でもないだろう」と話す。市長の説明では、これまでの復興資金は石油や天然ガス収入など地元の財源で、連邦政府からの資金は「入り始めたところだ」という。

 共和国の石油・ガス生産を一手に握るのは、ロシア国営石油企業の子会社にあたる「ロスネフチ・グロズネフチガス」。エスケルハノフ社長によると、今年の石油産出量は約200万トン。同社長は「2~3年前まで、石油施設やパイプラインの破壊事件が1日1000件に上った時期もあったが、今は全くない」と語り、治安回復が復興の大きな支えになっていることを強調した。

 現地の取材を組織した内務省当局は夜、2年前に完成した「カディロフ広場」など市中心部に報道陣を案内した。正常化を訴えたかったようだが、数人の若者のほかは人通りがほとんどなく、銃を持った警官が報道陣を「警護」していた。

 グロズヌイ市内には、建物や壁面などあらゆる場所に、カディロフ大統領父子の肖像画や、プーチン政権与党「統一ロシア」の旗とスローガンが掲げられている。大統領は「下院選(12月2日実施)で統一ロシアの得票率100%を目指す」と公言。市民に聞いても「プーチンとラムザンと統一ロシアを支持する」と答える人がほとんどだ。

 だが市内のネフチャニコフ広場で手持ちぶさたそうにたたずんでいた元工員のヌリクさん(53)は「工場が止まったままで仕事がない。モスクワは戦争被害を補償しようともしない。当局が結果をでっち上げるだけの選挙には行かない」とつぶやいた。タクシー運転手のベカさん(41)は「ラムザンは汚いやり口で稼いだカネを人気取りのために使っている。みんな知っているが言わないだけだ」と声を潜めた。

 ◇プーチン政権、進む地方統制強化 連邦構成体、事実上の任命制首長

 ソ連崩壊後のロシアでは、エリツィン前政権が地方分権を志向していたのに対し、プーチン大統領は連邦政府による地方統制強化を進めてきた。

 大統領は00年5月の就任直後、ロシア全土を七つの連邦管区に分け、各管区に大統領全権代表を任命する大統領令を出した。全権代表は大統領に直属し、管区内にある共和国や州などの連邦構成体を“目付け役”として監督する。エリツィン前政権下で広範な自治権を与えられた地方に対する締め付け強化を狙ったものだ。また、連邦構成体の首長が自動的に上院議員となる制度を廃止。さらに大統領は首長を解任できるようになった。これらの措置で、地方首長はかつての政治力を大きく低下させた。

 04年12月には、連邦構成体の首長について、それまでの住民による直接選挙から、大統領の推薦制に変える法案に署名した。共和国大統領や州知事らの「候補者」を大統領が指名し、地方議会が承認する形を取っているが、指名が拒否された例はなく、事実上の大統領任命制となった。

 大統領は、それ以前にも各地の首長選に親クレムリン派の候補者を送り込んでいた。03年10月に当選したチェチェン共和国の故アフマト・カディロフ元大統領はその一例だ。“任命制”が実際に導入されると、新たに就任した首長は同共和国のラムザン・カディロフ大統領(元大統領の息子)らいずれもプーチン大統領に忠実な人物ばかりが目立つ。反対に、今年8月に解任されたサハリン州のマラホフ知事は、資源開発事業「サハリン1、2」などへの中央政権の支配強化に公然と異議を唱えていた。

 一方、連邦構成体の下にある地方自治体のトップは今も住民の直接選挙で選ばれるが、「権力の垂直化」に組み込まれているのが実情だ。10月に与党「統一ロシア」が開いた市町村長の全国大会で大統領は、来月の下院選での票の掘り起こしを求め、手綱を引き締めた。【モスクワ杉尾直哉】

 ◇チェチェン紛争の経緯

 ソ連末期の91年にチェチェン住民がロシアからの独立を宣言、これを認めないエリツィン政権が94年に軍事介入した(第1次チェチェン紛争)。戦闘は泥沼化し、96年の停戦合意を経て連邦軍は事実上敗退した。だが、一部の強硬派武装勢力が99年、隣のダゲスタンに侵攻、モスクワなどで爆弾テロが続発したため連邦政府は再びチェチェンを攻撃した(第2次紛争)。

 当時首相だったプーチン大統領が強硬な武力作戦を指揮し、第2次紛争は「プーチンの戦争」とも言われる。

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 ◇事件多発、「正常化」に反比例--人権団体「メモリアル」、シャフマン・アクブラトフ氏

 チェチェン、イングーシ両共和国を含むカフカス地域の最近の情勢について、ロシアの人権団体「メモリアル」ナズラン事務所のシャフマン・アクブラトフ氏(46)に聞いた。【ナズランで杉尾直哉】

 チェチェンでは03年ごろから住民殺害や誘拐が減少に向かった。我々はこれらの事件の多くに連邦政府の治安組織やチェチェン当局が関与していたとみているが、「チェチェン正常化」に反比例するようにイングーシで捜査当局によるとみられる一般住民の誘拐事件が増えている。

 イングーシのナズランでは7月中旬、住民誘拐に抗議する住民約500人がデモを開き、警察当局が強制的に解散させる騒ぎがあった。またロシア人らを狙った事件が多発した後、事件を捜査する連邦保安庁(FSB)職員が、無実のイングーシ人の若者を射殺する事件があった。これに怒ったイングーシ警察がFSB職員を一時拘束、治安当局間の対立と混乱に発展した。

 チェチェンに隣接するダゲスタン共和国では今も武装勢力と治安当局との戦闘が続いている。カフカス情勢は依然として不安定だ。

毎日新聞 2007年11月6日 東京朝刊

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