「教育」はいつから「福祉」になった?〜『学校のモンスター』
諏訪哲二著(評:柴田雄大)
中公新書ラクレ、760円(税別)
本来、子供が市民として生活していくための知恵や社会性を身につけるはずの学校が、行政サービスの機関となり、消費者のクレームを受ける商店のように、学校が親の不平不満に耳を傾ける。その矛先を直接向けられる教師は肉体的にも精神的にも疲れ果て、やる気も失せる。諏訪氏によると、定年を待たずして退職する教師が年々増えているという。
私は二人の中学生の父親だ。二人とも男の子で、公立中学に通っている。本書に登場するようなモンスターほどではないが、ちょっと理解に苦しむような生徒は、周囲にけっこういる。教師にむかって「あなたの授業は受けたくありません」と言う生徒や、買い食いは禁止されているにもかかわらず、下校途中にわざわざマクドナルドに寄る生徒などだ。
息子たちの話を聞いていると、「なんで、自分が損をするようなことをあえてするのだろう」と思うのだが、諏訪氏はモンスターたちの生態について、かつての全共闘世代のように大人たちや教師に反発しているのではなく、単に社会常識からずれているだけなのだ、と指摘する。
そう言われてみると、確かに「ずれている」だけであって、反抗したり、悪ぶっているわけではないのだと納得する部分もある。
解決策にはならないが、問題意識は明確に
自分を世の中に適合させていくという社会性を身につけることなく大学を卒業していったモンスターたちは、「自分にあった仕事が見つからない」とフリーターになり、しぶしぶ就職した会社もすぐに辞めてしまう。こうした社会事象もすべてモンスターが出現したことによる歴史的な必然と、諏訪氏は分析する。
本書を読むと、信じられないような子供や親の言動を、「まあ、そういうふうに理屈づけることできるだろうな」とは思う。その一方で、今の荒廃した教育をそのように論じたところで、何かの解決策になるのかと言えば、それはノーだろう。
諏訪氏も本書の中で安倍内閣時代の教育改革について言及しているが、その中身については「日本の教育学者の7〜8割が批判的だろう。ゆとり教育批判より多いはずだ」と指摘している。この社会から必然的に発生していると著者が位置づけるモンスターへの対応策には、今回の教育改革は到底、なり得ない。
少しでもましな教育を受けさせようと、小学校の時代から高い月謝を払って塾に通わせ、私立中学に入れたところで、一流大学を出たフリーターが出現する時代だ。学力はついてもそれは大学受験までで、社会に出て通用する力をつける機会がないまま、大人になっていく。
今の教育に絶望し、あきらめてしまうのは簡単だが、せめてひとりの親として、問題意識ぐらいは持っていたい。本書を読んでそう感じた。教育関係者だけでなく、生徒という立場の子を持つ親に読んでもらいたい1冊だ。
(文/柴田雄大、企画・編集/須藤輝&連結社)