太平洋戦争中に朝鮮半島から広島市の工場へ強制的に連行され被爆した韓国人元徴用工らが「援護措置を受けられなかったのは違法」として国などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷は、国の上告を棄却した。慰謝料などの支払いを国に命じた二審の広島高裁判決が確定した。在外被爆者への国の賠償責任を最高裁が認めたのは初めてである。
焦点となっていたのは「出国すれば法に基づく健康管理手当を打ち切る」とした一九七四年七月に出された旧厚生省局長通達(四○二号通達)である。二〇〇三年に運用を廃止するまで、外国に移り住んだ被爆者は援護の対象外とされ、日本に住む被爆者と大きな不公平が生じていた。
流れが変わったのは〇二年の大阪高裁判決で、「被爆者はどこにいても被爆者」という論理で、在外被爆者の受給権を認めてからだ。しかし四〇二号通達については、国側に違法性の認識や故意、過失はなかったとして、損害賠償請求は認めなかった。今年二月のブラジル在住被爆者訴訟の最高裁判決では、被爆者援護法の解釈が誤っているとして四〇二号通達は違法と認定された。
今回の判決で注目されるのは、旧厚生省の担当者が、通達を出した時点で、違法性に気付くことができたとしている点だ。一九七四年三月、日本国内に不法入国した韓国人被爆者について、被爆者健康手帳を交付し健康管理手当などの支給も認める福岡地裁の判決が出た。その後に出された四〇二号通達は、被爆者が得た権利を失わせ、「注意義務を尽くしていれば、当然(違法と)認識することが可能だった」と指摘している。行政の大きな過失である。
実際に損害が生じた場合に認められる慰謝料支払いについては、九一年の水俣病訴訟の最高裁判決が示した「内心の静穏な感情を害された場合、例外的に精神的損害は認められる」との基準で認定した。涌井紀夫裁判長は「原告は被爆による特異な健康被害に苦しみ、不安を抱えながらの生活を余儀なくされた」と指摘する。被爆者の苦しみを思いやった判決と言えよう。提訴から十二年がたち、上告した原告四十人のうち、生きて判決を迎えられたのは十五人にすぎなかった。
在外被爆者が置かれた状況は厳しい。健康管理手当受給の前提となる被爆者健康手帳の海外での申請・取得にしても、被爆者たちの要望は強いのに、いまだに実現していない。高齢化の進む被爆者のために、一刻も早い援護策の実現が望まれる。
北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議の合意に基づき、寧辺にある核施設三カ所の無能力化を担当する米国チームによる作業が始まった。
北朝鮮の非核化プロセスは、寧辺の核施設の稼働停止・封印などの「初期段階措置」から核放棄に向けた「第二段階」に進んでいる。核施設を使えない状態にする無能力化は、「すべての核計画申告」と並ぶ柱である。今年二月の六カ国協議合意に規定され、十月には三核施設の年内無能力化をうたった合意文書が発表された。作業始動は具体化への第一歩といえよう。
無能力化の対象となっているのは、実験用黒鉛減速炉と核燃料加工施設、放射化学研究所の三施設だ。作業は放射化学研究所から着手される。六カ国協議の米首席代表ヒル国務次官補は、使用済み核燃料を運び入れることができないように「運搬手段の遮断」を行うとしている。
さらに、燃料貯蔵プールの放射能汚染を除去する作業、黒鉛減速炉から燃料棒を取り出すことに加え、すぐに再稼働できないよう使用可能な燃料をなくす措置も取られる。
ヒル氏は、北朝鮮が年末までに「すべての核計画の完全で正確な申告」を行うとした核計画の申告リストも近く提出されるとの見通しを示した。全面的な核放棄に向け、着実な前進が重要だ。
米朝が非核化プロセスを主導する流れが定着するなか、日本が懸念するのは、北朝鮮からの要求がさらに強まるとみられるテロ支援国家指定の年内解除だ。核問題が前進すれば、拉致問題はさらに脇に追いやられる可能性は否定できない。拉致問題の進展は「全員帰国」と明言した福田康夫首相も訪米を控え、毅然(きぜん)とした対応を迫られよう。
(2007年11月6日掲載)