秋田といえば、やはり秋田美人。「秋田のおなご 何して綺麗(きれい)だと 聞くだけ野暮(やぼ)だんす 小野小町の生まれ在所 お前はん知らねのげ−」と秋田音頭にまで歌われる。古くは小野小町の出生伝説、現代では女優の加藤夏希さんや演歌歌手の藤あや子さん…、道行く女性もきれいでおしゃれだ。県立博物館(秋田市)で秋田の美人像を追う企画展「秋田美・人」が開かれている。「聞くだけ野暮」かもしれないが、秋田美人に興味をそそられ、足を踏み入れた。(宮原啓彰)
思わず、顔がほころんでしまった。壁には花柳界から、農作業や力仕事に精を出す秋田女性まで、さまざまな秋田美人の写真が展示され、秋田おばこ(18歳前後の秋田女性)をモデルにした竹久夢二らの絵画なども所狭しと並んでいた。
見とれているうちに気付いた。彼女らの大半がノーメイクの野良着姿にもかかわらず、どこか気品漂う美しさを持っているのだ。
「秋田には、10人中2、3番目の美人が多い。都会で見かけるような1番の美人はいない。1番になるには素材美に加え、洗練された人工美も必要だからです」
秋田美人研究の第一人者で「秋田美人の謎」(中公文庫)などの著作がある同館の新野直吉名誉館長は、秋田美人の秘密は「素材美」にあると教えてくれた。
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そもそも、なぜ「秋田美人」なのか。その昔、関ケ原の戦いで西軍に肩入れしたとして秋田に転封された水戸の佐竹氏が、領内の美人をすべて引き連れた上、秋田の美しくない女性を水戸に送りつけた−、というのはまったくの作り話らしい。
「秋田美人」の呼称は明治の終わり、秋田を訪れた文人たちが夜の街、川反(かわばた)の花柳界の女性を表現したのが始まりという。
最たる特徴は「肌の白さときめ細かさ」だ。
これを裏付ける調査結果がある。秋田県湯沢市の開業医、杉本元祐氏=故人=が、昭和41年に4000人の女子学生を対象に肌の白色度を調査したところ、日本人の平均が約23%なのに対し、秋田女性は約30%。特に美人が多いとされる県南地域はさらに割合が多かったという。ちなみに白色人種で約40%というから、かなりの色白だ。
また、大手化粧品会社の平成12〜15年の調査でも、秋田県はメラニンによる肌の色ムラの少なさで全国1位に輝いた。
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なぜ、美肌になるのか。新野名誉館長は「秋田の年間日照時間は全国最少。紫外線が少ないため色白の美肌が生まれたとの説や、県南地域の川に流れ込む玉川温泉の酸性の水が関連している説などもある。いずれにせよ地理的、風土的要因が関係しているのでは」とみている。
そういう新野名誉館長自身は秋田美人誕生について一つの仮説を立てている。白系ロシア人など環日本海の異国人との長い交流が秋田美人を生んだとする壮大な仮説だ。
その根拠として、秋田県民が、白色人種に多いB型の血液型の割合が日本で最多であること、腎臓に関与するウイルスの型も白色人種特有の型を持つ割合が突出して多いことなどを挙げた。
さらに、7〜10世紀、現在の中国東北部からロシア沿海州にあった渤海の民が、現在の秋田県にあたる出羽国に来航し、交流を重ねていたという史実を指摘する。
ただ「混血により色白になったという話は、歴史学的には承認できない」というのも新野名誉館長の弁。「秋田の風土と歴史的刺激が、長い時間をかけ秋田美人を生んだのでは」と結ぶ。
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ところで、現代の秋田美人に危機が訪れているという話も耳にした。
県内のあるミスコンテスト関係者は「年々、美人が少なくなっている」とこぼす。「秋田美人の集まる場所?仙台か東京さ行った方がいいべ」とは、酔客を川反へ運ぶタクシー運転手。
実は長引く不況と、女性たちの都会へのあこがれも手伝い、若い女性が県外に流出し秋田女性の絶対数が不足しているのだ。
「秋田の地理と風土、そして歴史のたまもの」として生まれた「秋田美人」。今度はその地理的、社会的制約ゆえに、消えていくのだろうか。
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