『ビッグイシュー日本版』で毎月一回「世界・アジア・日本」という連載コラムを担当している。編集部から下ってくる御題(これまで「国籍の取得方法」「携帯電話の普及率」「育児休暇」「自殺率」とか、まあいろんなテーマがあった)についての三者比較をやるというもの。もちろん、私はそんなに博学ではないし――というか、はっきり言って物書きとしては致命的なくらいに無知無教養だ――にわか勉強で毎回えっちらおっちらと苦労しながら記事にまとめているのだが、逆にいえばこういう機会でもなければ改めて深く知ろうと思うこともなかったようなテーマについて勉強することができるわけであり、毎度毎度「へえ〜、へえ〜」と一人『トリビアの泉』状態にひたりながら結構楽しんで書いている。
で、いま発売中の1月1・15日合併号では「婚外子」について書いているのだが、先日知り合いの菅原和之さんから「ごぶさたしております。ビッグイシュー読みましたよ」と久々にメールをいただいた。
菅原さんは世田谷区を拠点に様々な平和運動や人権活動に取り組まれている方で、私とは4年前、オウム真理教(アーレフ)が転入してきて住民と揉めている千歳烏山のマンションの庭で『A2』の上映会と対話集会をやろうというイベント(詳しくはこちらを参照)で協力をいただいた頃からのお付き合いだ。それにしても、たった1ページの目立たないコラムをよく見つけられたな……と思いながら上記のメールを開いてみると、実は菅原さん自身が目下この「婚外子」の問題でえらい苦労をされているというのだ。
菅原さんは奥さんとの間で籍を入れない、いわゆる「事実婚」の形で共同生活をしている。去年の3月に二人目のお子さんが生まれたのだが、その出生届を世田谷区役所に提出した際、「1人目の時に若干学習したこともあって」、出生届の「父母との続き柄」欄(嫡出子・嫡出でない子・男・女のいずれかに印を付ける欄)に記入せず、また、そうした場合に役所のほうが職権で行う「嫡出でない子」への付箋処理も拒んだのだそうだ。で、その結果どうなったかというと――なんとお子さんの出生届が「不受理」になってしまったんだとか。
それこそ菅原さんや私が以前に関わったオウム問題では、信者や元信者の転入届が自治体から不受理にされたり、麻原彰晃の子供たちの就学を拒否されるなどの問題がたびたび持ち上がったわけだけど、さすがに「出生届の不受理」なんて話はオウム絡みでも無かったし、少なくとも私自身は今回初めて耳にするケースだ。しかも、出生届がないことを理由に住民票の作成まで拒まれたのだそうで、このままだとその子は住民票どころか国籍もない(日本の国籍法は海外で多数派の出生地主義ではなく、あくまで「親が日本人だ」という血統主義)ということになってしまう。
もちろん菅原さんもさっそく家庭裁判所に出生届受理を求める不服申立を行ったり、東京都に対しても住民票を作成するように求める審査請求を出したりしたそうなのだが、昨年末までの状況で言うと、前者は却下(高等裁判所へ即時抗告申立)、後者は棄却という結果になったとのこと。
ちなみに、審査請求を提出に行った際には東京都の担当者から「オウムとかとは違うんですね?」と言われたそうで、「若干懐かしく思ってしまいました」と上記の菅原さんのメールには書かれていた。
思わず笑ってしまったけど、でも、オウムの住民票問題に関わってきた人が、自分の子どもの出生届をめぐってそんなことを問われなければならないというのは理不尽に加えて不憫だ(すみません、菅原さん、笑ってしまって)。私がその立場だったらどうしただろう? 役所の職員の胸グラひっつかんで「オウムだったら認めね―のかコノヤロー!」と喚くか、それとも我が子の顔を思い浮かべて、ここはグッとこらえるか……。
そう、おそらく今の世の中の風潮からすれば、こういう話に対して、
「そんな親のほうの勝手な信念で子供に不憫なことするほうが悪いのよ。とっとと奥さんと普通に入籍しちゃいなさい!」
とかいう声のほうが、やっぱり大きく出てきてしまうんだろうなあ……。菅原さんが人権問題などに熱心に取り組んでいる人だということで「ほらほら、またアカがウザイですう〜」とか喜ぶ西村新人類さん(しかしも実は「アカ」の巣窟のような職場にお勤め)の顔も見えるようだし。
けれども、実のところこの問題は「アカ」に限らず、普通に企業社会でバリバリ仕事をしている人々にとっても今後シリアスな問題として浮上してくる可能性があるからだ。
電話口からお母さんが階段をトントントンと駆け上がって「まさし〜」と呼びに行く環境に(たぶん今も)生きてる西村さんはご存知かどうかは知らんが、最近では一般の企業社会でも事実婚を選択していることを隠しもしない人たちは多い。なにしろ「シングルマザー」なんて言葉が誰しも知っているくらいに流通している世の中なのだ(一方で「私はシングルファザーです」と名乗り出る男があんましいないのはどういうわけなんだか、と思う人も多いんでしょうけど)。
それこそ『ビッグイシュー』にも書いたけど、今や北欧諸国やイギリス・フランスでは生まれてくる子供の5割前後が、前出の日本でいう「嫡出でない子」なのだ。これは別に彼の地で男女関係が乱れているとかいうわけではない。たとえばスウェーデンでは法律婚カップルの約9割が、結婚前に「サムボ」という事実婚状態を経験しているし、サムボの子供たちに対しても法定婚の子供たちに対して差別が生じないような法制度が整えられているのだ。これは「嫡出」か否かが戸籍に明記され、当人のその後の人生も左右されてしまうという日本の現状が単なるバカでしかないことをよく物語っている。
所詮そこにある男女の仲が法的に正しいものであるか否かなんていうのは、法律の側が勝手に決めた都合に過ぎない。むしろ、そんなものに振り回されずに「とにかく子供どんどん産んでくださいね〜。別に籍なんか入れてなくても全然問題ないですよ〜」と大々的に(それが倫理や道徳の面ではどうかといった問題はともかく)告知していったほうが、少子化対策という面では効果を発揮するのではないかとも思うんだが、どうか? 少なくとも「それを認めたら家族が崩壊する!」とか喚いてるオヤジさんたちには「お前のノスタルジーなんかでこの国の将来をつぶすわけにはいかんのだ。とりあえずお前は死ぬまで年金もらえるだけで我慢しろ!」とでも言っておけばよろしい。
――と言いつつ私も、将来もし結婚するとして、相手に「事実婚にしよう」とか言えるかな? とか思ってしまうのでした。いや、考え方としてはそれは正しいと思うのだけど、男の側からそういうのは何か別の思惑があってことみたいに思われそうで……やっぱり私も形骸化しつつある観念の枠組みに、まだまだとらわれているのかな?
まあ、でも菅原さんが目下直面しているケースは確かに問題だ。そこには「お前がそんなことを言い出さなきゃ、誰も疑問をもたずにみんなが楽しく暮らせるんだよ」という本音が見え隠れするけれど、だからと言って、スルーしてしまえば全てが片付くという問題でもあるまいよ。
(「岩本太郎ブログ」と同時掲載)