「次期総選挙の勝利は大変厳しい……政権担当能力が本当にあんのかとか、あらゆる面で今一歩という感じでおります」
小沢氏は4日の会見で自ら率いる党の「若さ」を強調した。
結党は98年4月。急速な党勢拡大で、所属議員の多くは当選回数が少ない。その未熟ぶりを嘆いたものだが、若手参院議員は「自分の党をあそこまで悪く言うのか」と憤りをあらわにした。
辞意表明の背景には、03年に自由党が合流する形で民主党入りした小沢氏が「文化の違い」を埋めきれず、孤立感を深めた現実もある。
10月下旬、新テロ対策特別措置法案担当の議員に「国連決議があれば、新法は受け入れ可能か」を検討するようひそかに指示が下りた。ボトムアップ型の政策決定が定着した民主党ではあり得ない形だった。
民主党には、小沢氏による新進党解党に伴い誕生した経緯から、もともと反小沢系が多い。重要事項を大衆討議に付す党運営に徹してきたのも独善的とされる「小沢スタイル」へのアンチテーゼという意味があった。
このため、小沢氏は昨年4月の代表就任の際、「私は変わる」と強調。独善的な党運営を控えてきたが、7月の参院選に圧勝したことで、党内に小沢氏に異論を挟まない空気が生まれ、「自分の決断には全党がついて来る」との錯覚を抱いた可能性がある。
だが、多少の政策の違いがあっても「選挙で政権交代」の一点を共有する中、基本原則を覆すことは許されなかった。衆院議員の7割前後は小選挙区制しか経験がなく、敵との連立はそもそも考えられない。小沢氏はそれに気づかず、「イエスマン」と信じた党役員たちの反発を食った。
衆院の勢力はわずか112議席。次期衆院選で倍増させても単独過半数には届かない。それを承知で「政権交代」を掲げた小沢氏が、あっさり原則を捨てて大連立に走ったことに「結局、自分の権力に関心があるだけ」との失望が漏れた。
大連立構想には小沢氏に近い議員さえ「誰もついていかない」と突き放す。党内からは「小沢氏が参院議員を引き連れて離党し、自民党との連立を目指す」との観測も浮上。早くも与野党を通じて参院議員の意向確認などの動きが起きている。【尾中香尚里】
毎日新聞 2007年11月4日 21時20分 (最終更新時間 11月5日 0時55分)