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 『小さき者の熱狂 ダブリン 1999』

宇都宮徹壱「デジタル・ロンドンツアー AtoZ」へ
http://www.biglobe.ne.jp/dokodemo/tokusyu/london/london3221.html




●●第34回 エメラルドの島にて知られざるアイリッシュ・フットボール
         〜其の6 いつか、ボーダーラインが……〜


■移民たちの物語

 エメラルドの島が、さながらヴェルヴェットに縫い込まれた宝石のように見える。私が一週間を過ごしたアイルランドは、朝日に照らされてまばゆいばかりの光を放っていた。

 アイルランドの旅は終わった。私を乗せたエア・リンガス機は、アイリッシュ海を越えて、1時間ばかりのフライトでロンドンに到着することになっている。そこからブリティッシュ・エアウェイズに乗り換えて、ブダペストへ。さらに、陸路でバルカンに向かう。

 だんだん小さくなってゆくエメラルドの島をぼんやりと眺めながら、私はこの島に暮らす人々と、この島から飛び出していった人々のことを想った。

 アイルランドは、南北合せて北海道ほどの面積に、わずか520万人の人々が暮らしている。しかし世界に目を向ければ、7千万とも8千万とも言われるアイルランド系の移民が存在する。アイリッシュは、ユダヤ人や中国人やインド人と同じく、世界中に散っていった民族なのである。アメリカへ。カナダへ。そしてオーストラリアへ。ある者は客船の薄暗い船底に身を潜め、ある者は「棺桶船」と呼ばれる小船に乗って大西洋の荒波に挑んだ(溺死者も多かったらしい)。彼らを新天地へ駆り立てたのは、しかし、冒険心や功名心などではなく、英国の過酷な支配と繰り返し到来する大飢饉であった。

 今でこそ経済的に豊かになったアイルランドだが、フットボールの世界では依然、人材の流出が続いている。彼らが目指すのは、己が先祖を搾取し、差別し続けたイングランドだ。かの地では、祖国では望むべくもない高いレヴェルのリーグと、ステイタスと、報酬が待っている。しかも待遇はイングランド人と同等だ(イングランドでは、アイルランド人は外国人選手の制約を受けない)。だから有望なフットボーラーたちは、ハード、ソフト、いずれも旧態依然とした祖国の現状に背を向けて、さっさとアイリッシュ海を越えてしまうのである。

 わずか14歳でウォルバーハンプトンにスカウトされた天才少年ロビー・キーンも、あるインタヴューに対し、「アイルランドを軽んじるつもりはないけれど…」と前置きした上で、こう答えている。「やっぱり、イングランドとアイルランドのレヴェルの差は大きいですよ。アイルランドのクラブは、イングランドの3部か4部くらいのレヴェルでしょう」


■ゲーリック・フットボールの存在意義

 空港で買った新聞を広げてみる。トップ記事はもちろん、昨夜の「アイルランド対ユーゴスラヴィア」である。アイルランドの紙面をフットボールが飾るのはとても珍しいことで、主に代表の試合に限られるそうだ。この傾向は、どこかの国とよく似ている。

 では、この国のナンバーワン・スポーツは何かというと、それはフットボールでもラグビーでもなく、「ハーリング」や「ゲーリック・フットボール」といった、他の国では滅多にお目にかかれない、アイルランド独自のスポーツである。ハーリングについては「ホッケーのルーツ」という情報しか持たない私だが、ゲーリック・フットボールなら何度かTVで観たことがある。それは何とも奇妙奇天烈な競技であった。

 世界には7つのフットボールが存在する。ラグビー。アソシエーション(いわゆるサッカー)。ゲーリック。オーストラリアン(いわゆるオージー・ボール)。アメリカン。カナディアン。そしてリーグ・ラグビー。このうちゲーリック・フットボールは、オージー・ボールのルーツといわれる、アイルランド独自のフットボールである。

 ゲーリック・フットボールがユニークなのは、まずボールが丸いこと、そしてゴールマウスとGKが存在することである。他のフットボール競技と比べて、最もアソシエーションに近いと言えるだろう。選手は1チーム15人。30分ハーフ制で、審判はアメフトと同じ7人である。選手は全員がGKのようにグローブを着用し、バスケットボールのようにドリブルする。パスは主にパントキック。シュートも(私が見た限りでは)パントキックを用いるようだ。ゴールマウスがこれまたユニークで、バーの上にポールが2本立っている。ネットを揺らせば3点。ポールの間にボールを通すと1点になる。

 このゲーリック・フットボールが特徴的なのは、プロが存在しない純粋なアマチュア競技であることだ。それでも国内では最も人気を博しており、南北アイルランド全32州代表によるトーナメント戦は、毎年アイルランド全土を熱狂の渦に巻き込むそうである。

 もともとゲーリック・フットボールは、「イングランド的な」フットボールの流入を嫌ったアイルランド人が、ラグビーとハーリングを混合して生み出した「アイルランド人のための」スポーツであった。おりしもフットボールが世界中に拡大した19世紀後半、アイルランドはまだ植民地状態であったが、独自の言語や文化を重要視するナショナリズムの気運が高まっていた。アイルランドが世界に誇る詩人、ウイリアム・バトラー・イェイツが活躍したのも、この時代である。

 一方スポーツ界でも、ゲール体育協会が設立され、ハーリングやゲーリック・フットボールの普及が奨励された。こうしたスポーツを通して、若者がアイルランド人としての自覚を高めることが、独立への早道であると考えられたのである。言語、思想、文学、音楽、スポーツなどの独自の文化を確立し、英国の模倣を廃した「脱英国化」を図る。それこそが、当時のアイルランド人にとって急務であった。


■リーグ統合の夢

 かくして「英国的な」フットボールは、アイルランドでは人気を博することなく、しばらくは冷遇されることとなる。英国連邦に残留することとなる北アイルランドでは、1880年に協会が設立され、91年からリーグが発足。一方のアイルランドも1921年に協会が誕生し、翌年にはリーグが行われるようになるが、両者とも国際大会に登場するのは、もっとあとの話である。

 アイリッシュ・フットボールの発展を阻んできたものは、まず19世紀以来の反英ナショナリズムであり、次いで南北の分断であった。特に後者に関しては、たかだか520万人の人口に対して、いまだに協会、ナショナルチーム、リーグが2つ存在していることが、極めて非効率かつナンセンスである、と私は考えている。

 もしアイルランドの協会が統合され、統一の代表チーム、統一のリーグが誕生すれば、アイルランドのフットボールは飛躍的に発展するはずである。ダブリンとベルファストの名門クラブ同士による対戦は、きっと盛り上がるだろう。リーグが盛り上がれば観客も増加し、スタジアムのハード面も整備され、ひいては有望な選手の流出にも歯止めがかかるはずだ。

 ご存知の通り、ラグビーの世界での「アイルランド代表」は、南北統一チームとして国際大会に参加している。ゲーリック・フットボールやハーリングの全国大会も、南北の垣根を越えて行われている。これらのスポーツでできたことが、何故フットボールでは実現しないのであろうか。

 もっとも、アイルランドにおける南北対立の構図は、ここ10年の間にかなり緩和しているようである。EU統合によって、誰でも気軽にボーダーラインを越えられるようになった。加えて、カソリックとプロテスタントの人口比率と経済状況も、劇的に変化している。マイノリティーであった北アイルランドのカソリックは、その後着実に人口を増やし(人工中絶を禁ずる教義が影響しているのだろう)、今や多数派となりつつある。また、かつては「貧乏な国」というイメージが強かったアイルランドも、近年の好景気で先進国の仲間入りを果たそうとしている。97年の時点ですでにアルスターの生活水準に達し、近い将来、英国すら追い抜くだろうといわれている。そうなるとアルスターはもはや、英国連邦に固執する理由が全くなくなってしまうことになる。

 私が夢想する「アイルランド統一リーグ」は、案外近い将来に実現するのかも知れない。


■ボーダーラインとフットボール

 ロンドン。ヒースロー空港。
 バーカウンターで最後のギネスをあおって、私はアイルランドの未練を断ち切った。
 ダブリンでの牧歌的なダービーマッチ。デリーで出会った元GKのおじさん。ベルファストで見た憎しみの痕跡。そしてランスダウン・ロードでのほろ苦い一夜。全てが大切な、得難い想い出となった。

 私は、様々な国のフットボールを観てみたいと願う一方で、いつの日か再びかの地を訪ねてみたい、という想いでいっぱいだった。ただし再訪は、エメラルドに島に横たわるボーダーラインが、本当の意味で消滅したとき、としたい。

 写真家である私がフットボールに魅了されて止まないのは、民族や宗教や階級といった、価値観が異なる者同士が、ひとつのルールに則って激しく闘う姿が美しいからである。その美しさの発露をフィルムに収めることが、私の唯一にして最大の至福なのである。

 レンジャーズとセルティックによるオールドファームや、レアルとバルサによるクラシコは(映像でしか観たことがないが)、その強烈なコントラストゆえに、何にも増して美しい。だが現在こうした美しい光景は、哀しいかな地上から急速に失われつつある。その傾向は、私がこれから向かうバルカンでは特に顕著だ。

 クロアチアはセルビアと袂を分かち、ボスニアのリーグはいまだに民族ごとに分断され、コソヴォのチームがセルビアのチームとゲームをすることは、事実上不可能となった。EUが統合される一方で、次々と新しいボーダーラインが生まれ、フットボールがますますつまらないものに堕してゆく、世紀末の風景。もはやディナモ・ザグレブとレッドスターの試合が観られないのだから、せめてセント・パトリックスとリンフィールドのゲームが毎年行われるようになってほしい…。

 そんなことを夢想するのは、やはり私だけだろうか。

 やがて、私が搭乗する便のアナウンスが流れた。
 いよいよ「バルカン・ラウンド」の開始である。5ヶ月前、空爆のためにどうしても辿り着くことができなかった、バルカン。友人たちは元気だろうか? ベオグラードの思い出の場所は無事だろうか? そしてユーゴ代表は、ダブリンでの敗戦を挽回できるだろうか?

 私の新たなる旅は、ここから始まる。





第6夜「移民たちへの贈り物」


オコンネルの像

 ダブリンの中心街に「アイルランド独立の父」といわれる、ダニエル・オコンネルの像がある。オコンネルは1775年に小作農の息子として生まれ、カソリック教徒でありながら弁護士の資格を初めて取得。その後政界に入り、カソリックの地位改善に努めた人物である。

 さて、このオコンネルは“O'Connel”と表記するのだが、アイルランドでは“O'”とか“Mac”がつく名前が実に多い。それぞれ「の子孫」「の子供」という意味で、アングロ系の“son”やセルビア系の“vic”と同様である。アイルランド人のおよそ4分の1は、ファミリーネームに“O'”や“Mac”がついているといわれている。アメリカやオーストラリアなどで、「オブライエン」とか「マッカートニー」といった名前と出会ったら、十中八九、アイルランド系である。

 今宵は、アイルランド系移民のお話をしたい。
 アイルランド初の女性大統領、メアリー・ロビンソンは、かつてアイルランドの民を「エグザイル」と形容したといわれる。ここでいう「エグザイル」とは、「積極的自己追放」と訳される。すなわち、祖国を離れるという運命を背負いながらも、世界の人々に思いがけない力を与えるのが、アイルランド人である、というのが彼女の主張であった。実際、アイルランド系移民の子孫には、新天地で苦労を重ねながら、芸術、スポーツ、芸能、政治の分野で大成した人々が少なくない。歴代米国大統領にも、J・F・ケネディやロナルド・レーガンの名前を見出すことができる。

 そのレーガン元大統領だが、先祖は「オレーガン」という、いかにもアイリッシュなファミリーネームだった。何故「オレーガン」が「レーガン」になったかといえば、かつて新大陸においてアイリッシュは徹底的に差別されていたからである。

 もともと英国では、アイルランドの政治犯を数万人規模でアメリカ大陸に島流しにしていた。現地で奴隷のような扱いを受けるアイルランド人も、決して少なくなかったという。加えて、建国直後のアメリカは、カソリックの大国であるスペインやフランスと領土を巡る戦争を続けていた経緯があり、同じ宗派であるアイルランド系移民は、まさに招かざる客だったのである。

 実際、当時のアメリカにおけるアイルランド系移民の立場は、極めて低いものであった。彼らは、黒人や先住民族に次ぐ低い地位に甘んじ、学歴や雇用機会も極めて限られていた。記録によると、およそ250万人のアイリッシュが大西洋を渡り、ニューヨークをはじめとする東部のスラムに棲みついたとされる。

 時は流れて1994年、ワールドカップ米国大会。ニューヨークで開催された「イタリア対アイルランド」のゲームでは、アイルランド系移民の子孫たちが「心の祖国」からやってきた代表チームを歓迎し、その勝利に大いに酔いしれた(1−0でアイルランドの勝利)。アイルランド代表の勝利は、今にして思えば、辛酸を舐めてきた同胞への最高の贈り物だったのである。




 宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
 
UTSUNOMIYA,tete,Tetsuichi

 1966年3月1日 福岡生まれ。
 小学校5年からフットボールに興じるも、大学時代にレギュラーポジションを得るまで、ベンチ暮らしが続く。92年、東京芸術大学大学院美術研究科修了。その後、映像制作会社に勤務。94年から「ダイヤモンドサッカー」(テレビ東京)、「BSワールドサッカー」(NHK)などの番組制作を担当。
 97年、何の見通しもないままに「写真家宣言」を敢行。運命に導かれるような格好で、一路バルカン半島に向かう。98年、旧ユーゴスラヴィア諸国の現状とフットボールとの関わりを描いた『幻のサッカー王国/スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』(勁草書房)を発表。以後、フットボールの視点から、民族問題、宗教問題を切り取ることをテーマとして、活動を開始する。同年フランスで開催されたワールドカップでは、「サポーターの視座」から取材。『サポーター新世紀 ナショナリズムと帰属意識』として勁草書房から発売中。