一歩として。
昨日で3日間の「報恩講」が終りました。
一言。疲れました。・・・・・・って、今まで言葉で言ってきた「疲れた」以上に、体の芯から疲れました。報恩講終了後も、初七日法要やら夜までお参りがあり、フラフラでした。
でも、まだやっと住職としてのささやかな「一歩」です。
檀家の皆さんと一緒に準備して、一緒に迎えた三日間の法要でした。報恩講はお寺の「学校祭」のような側面もあり、みんなで準備して、皆さんの力を結集しなければできません。本当に大変な事だなぁ。。これをずっと昔から代々受け継いできたんだなぁと想いました。
最後の「御満座」という法要では、本来の作法マニュアルがあるのをウチのお寺では廃止して、「住職」としての「想い」をオリジナルの「表白文」にして、読みました。(注・寺院名はネットの性格上、面倒なので伏せさせていただきます。)
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表白
私が「住職」となり初めての「報恩講」をお勤めするにあたり、阿弥陀如来のご尊前におきまして、敬って申し上げます。
分からないことばかりの「新米住職」ではありますが、こうして、たくさんの御門徒様、近隣の御法中の皆様のご協力・ご支援を賜り、「平成19年度○○寺・報恩講」をお迎え、お勤めできましたことを、今、味わい噛みしめている所です。
私たちの○○寺は、明治13(1880)年、当時「紋鼈村」であったこの地に東本願寺の「説教場」として本山より承認されたのが始まりであり、翌・明治14(1881)年に岩内の「T寺」の役寺であった「○○寺」の寺籍がこの「紋鼈村・説教場」に移転され創設されたと伝えられています。○○寺がこの地に生まれてから、127年の年月が流れました。この間に、数多くの人々がこのお寺に集い、親鸞聖人の「み教え」に出逢い、聞法に励んできた歴史があることを思いますと感慨深いものがあります。
去る2月17日の「○○寺役員会」において、先代住職である父より「住職退任」の表明があり、私が次期「第6代住職」になる承認がなされ、○○寺の「歴史」を引き継ぐことになりました。それにともない、京都・東本願寺において、5月26日から3日間の「住職修習」を受講し、親鸞聖人ご命日の28日「第6代住職」の任命辞令をいただきました。
その「住職修習」という研修会の講師先生のお言葉を、改めて今思いだします。それは、
「浄土真宗の歴史は、話を他人事として聞かない確かさだ。」
と言う言葉です。「他人事としない」こと。これをキーワードにすると、なるほど、浄土真宗の門徒が大切にしてきた「姿勢」がわかります。 実際に、親鸞聖人も『歎異抄』後序において、こう申しています。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。
阿弥陀仏が、五劫という永い永い間、人間存在の問題をことごとく思い尽くされてお誓いになった本願を、よくよく考えてみれば、それは、ひとえに親鸞一人の為に誓われたものだったのだなぁ、ということです。まさに親鸞聖人の姿勢が「他人事」とせず、「親鸞一人がため」、つまり、自分のこととして教えを学び、生きていく歩みだったのです。
しかし、この「他人事としない」事ほど難しいことはありません。知らず知らずのうちに、「評論家」になってしまう私がいるのです。まさに「この私が生き、この私が死んでいかなくてはならない」という「根本的な真実」を仏法に学んでいかなければならないのです。
今後、私にとって、皆様と共にこのお寺が「他人事としない」お念仏の教えを学び、それぞれの人生を味わい深く豊かに意味ある日々を歩んで行く為の「聞法道場」となるよう、阿弥陀如来のお導きのもと、たとえ小さな一歩でも「住職」としての勤めを続けていく覚悟であります。
そして、皆様との関わりの中で、様々な声が聞ける、声が聞こえるということを大切にして参りたいと思っています。
平成十九年十一月三日
真宗大谷派○○寺第六代住職 釈文秀 敬って申し上げます。 ************************************************************
昨夜、旭川からお参りに来てくれたmnさんと、近所の日帰り温泉に行き、レストランで「打ち上げ」をしました。 うまい酒を味わうというより、眠くてしかたありませんでした。
今日起きました。怠くて怠くて、体が重くてしかたありませんでした。 大きな行事を終えたのに、副住職の頃のような晴れ晴れとした心境にはなれないんだなぁ・・・と思いました。
「報恩講が終ったばかりだから、少しは休みたいなぁ・・・」
正直、それが本音の自分でした。
今日のスケジュールをすべて終えた夕方、帰宅して具合が悪いまま部屋で横になっていると、お寺の電話が鳴りました。僕より若い歳のご夫婦が、急逝した父親の葬儀を頼みに来ました。
枕経に行くために、またジャージから「袈裟」に着替えました。大切な人を亡くしたばかりの「お宅」に行くのは、ものすごく緊張します。
・・・・・・・たとえ小さな一歩でも「住職」としての勤めを続けていく覚悟・・・・・
昨日の報恩講での「オリジナル表白」の内容が空しいものにならないように、僕はまた「一歩」を歩みだすんだ、と思いました。
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