世界経済の現状

今井亮一

2002/04/08

GNPの国際比較

経済成長を論ずるにあたり、まず最低限の前提として、世界各国の面積、人口、人口密度、一人当たりGNPに配慮しなければならない。(10ページ)

我が国は、一人当たりGNPで見て、世界でもっとも豊かな国の一つ(39,679ドル)である。スイスがわずかに我が国を上回るのみである。アジアでは、シンガポール(28,030ドル)が日本に次ぐ。しかし、単純な比較は禁物である。シンガポールは都市国家であり、比較するならば、ほぼ同じ規模の日本の大都市と比較すべきである。

世界でもっとも豊かな国というと、誰でもアメリカを想起するであろうが、その一人当たりGNPは26,971ドルであり、日本の2/3程度である。

中国は日本の25倍の国土と、10倍の人口を有しているが、一人当たりのGNPでは、日本の数十分の一(610ドル)にすぎない。

それでは、平均的日本人は平均的アメリカ人よりも豊かであり、平均的中国人は平均的日本人の65分の1の所得しか得ていないので、極貧生活を送っていると言えるであろうか。

610ドルとはせいぜい7万円であり、これで日本国内で一年間生活することは不可能である。中国人が何とかこの金額で一年間生活できているのだから、市場為替レートは、何かおかしいという気がしてしまう。

一人当たりGNPを国際比較するためには、適切な為替レートを用いて、同じ通貨に換算しなければならないことは言うまでもない。しかし、この適切な為替レートというものが曲者である。現在の市場為替レートは、長期的に各国の経常収支が発散しないような水準の周辺で推移している。例えば、現在の円/ドル・レート(105円/ドル)は、長期的に日本の経常収支黒字およびアメリカの経常収支赤字が長期的に発散しないような水準と言えるが、消費者物価を基準とした購買力平価と比較すると、相当、円が割高な水準にあると思われる。

購買力平価とは、平たく言えば、日本の平均的家計の年間消費支出額(円)を、同じ生活をアメリカですると仮定した場合に必要な金額(ドル)で割ったものである。例えば、日本での700万円の生活が、アメリカでは5万ドルで実現できるとすると、購買力平価は700÷5=140円/ドルである。

購買力平価を用いて各国のGNPを換算すると、例えば日本の一人当たりGNP(22500ドル)はアメリカのそれの約80%にすぎない。一方、中国の一人当たりGNPは約5倍の2920ドルになり、中国の人口は日本の約10倍であるから、単純に計算して、中国のGNPは日本のそれを上回ってしまう。(242ページ)

それでは、やはり、購買力平価を用いて換算したGNPが各国の経済力を示すと考えてよいだろうか。否である。例えば、中国の通貨、元が、購買力平価の水準にまで大幅に増価したとする。そのとき、中国は現在の生産活動の水準を維持できるであろうか。それは不可能である。おそらく、中国の製造業は国際競争力を完全に失って、経常収支は持続不可能な赤字となるであろう。すなわち、市場為替レートとは、一国の産業が全体として競争力を失わないような、すなわち、持続不可能な赤字や黒字が累積しないような水準のことなのである。

例を変えよう。円/ドル・レートを例に取れば、「お金の使い出が同じになる」という基準で見れば、1ドル=150円ぐらいが妥当かもしれない。しかし、ここで日本が大幅な経常収支黒字国であることを忘れてはいけない。もし1ドル=150円になると、アメリカが将来借金を返せなくなるほど、日本の経常黒字が累積してしまうかもしれない。現実の市場為替レートとは、その国の長期的な信用力あるいは借金返済能力を表しているのである。

各国の経済力は、市場為替レートで換算したGNPで比較すべきである。

経済成長の長期的傾向

長期的に見て、いわゆる日米欧の先進資本主義諸国のGNPが世界のそれに占める割合は、拡大の一途をたどっているように見える。(225ページ)

1955年には、世界のGNPは約1.1兆ドルで、その約56%を日米欧が占めていた。ソ連のGNPは13.9%に相当していた。日本のGNPは世界全体のわずか2.2%にすぎなかった。

40年後の1995年には、世界のGNPは28兆ドルに達したが、その71%を日米欧が占めた。日本のシェアは18.1%に及んだ。国単位で見た世界経済の不平等は、戦後一貫して進行したかに見える。

一方、実質成長率は長期的低落傾向にある。(248ページ)

実質成長率とは、名目成長率−インフレ率、によって与えられる。

経済成長と所得分配の関係については、いわゆるクズネッツ曲線として知られている関係がある。経済成長の初期の段階では、経済成長の波に賢く、うまく乗って、資産と所得を拡大する人と、乗り遅れて没落する人との二極分化が起こり、経済の不平等度は拡大する。やがて経済が成熟し、一人当たりGNPが高くなってくるとともに、賃金上昇や政府による所得分配政策などによって、成長の恩恵が低所得層にまで及ぶので、不平等度が縮少してくる。そこで、所得を横軸に、ジニ係数を縦軸に取ると、逆U字形のクズネッツ曲線が観測されることになる。

ジニ係数とは、人々を低所得から高所得への順で並べ、横軸にとった人口の累積百分率と、縦軸にとった所得の累積百分率の関係を示す曲線と、45度線との間にできる三日月型の面積である。これが大きいと、その経済の所得は不平等ということになる。

現在、日本は世界でもっとも平等度の高い国の一つと言われている。(241ページ)

産業構造の変化

経済成長にともない、産業構造の根本的変化が進行する。日本の産業別就業者数を見ると、1970年で第一次産業が20%弱を占めていたが、1996年にはこれが6%以下に低下し、第三次産業が71%以上を占めるに至った。(45ページ)

世界経済をリードするアメリカでは、第一次産業が3%、第二次産業が17%、第三次産業が80%を、それぞれ占めている。

一方、1993年の中国では、第一次産業就業者が56%を占めているが、経済成長とは、産業別就業者数がいずれ、アメリカ並みの比率にまで変化する、ということなのである。

同じことが、同様に大きな人口を有するインドについてもあてはまる。世界中がアメリカ人のような生活をめざして成長したら、はたして地球環境はそのような発展に耐えられるであろうか。

地球温暖化

経済成長による温室効果ガス(CO2、メタン、フロンなど)の大量排出の結果、世界的に平均気温が上昇している。

そのうち、CO2の寄与度は55%に及んでいる。ヨーロッパでは、CO2排出削減の努力によって排出量は低下しているが、アメリカでは漸増が続き、アジアでは急速な経済発展にともない排出量が急増している。中国の排出量が日本のそれの2.5倍に達していることに注目すべきである。(23ページ)

世界全体の森林面積は、この40年間にほぼ微減で推移している。南アメリカでは大規模な縮少が進行しているが、アジアでは微減、北・中アメリカおよびヨーロッパでは、穀物過剰対策のために植林が進められた結果、森林面積はむしろ拡大している。そこで、今後、森林面積の大きな減少はないものと見込まれている。(90ページ)

貿易と資本移動

経済規模を反映して、世界貿易の60%は先進国間の貿易である。(184ページ)

基本的に、経常収支が赤字ということは、資本収支が黒字であるということである。外国からの投資によって、経済活動が活発化すると、その国の生産量を上回る需要が発生するので、貿易収支は赤字となる。しかしこれは、経済活動を外国からの投資によってファイナンスしているということに他ならない。

1970年代以降、変動相場制への移行と資本移動の自由化にともない、日本やドイツの恒常的貿易黒字と、北米、南米、アジアの恒常的貿易赤字が定着した。しかしこれは、赤字になっている国が何か壊滅的状態になっているということではない。むしろ、旺盛な海外からの投資によって、経済活動が活発になっているとみなしてよい。(185ページ)

一方、サービス収支(特許料、旅行、映画上映権等)を見ると、日本・ドイツの恒常的赤字に対し、アメリカは恒常的に黒字を続けている。これは、知的所有権の点で、アメリカがひきつづき世界をリードしているということに他ならない。(193ページ)

さらに所得収支(投資収益の受取)を見ると、日本の黒字転換に対し、アメリカの赤字転換が印象的である。日本が過去の貿易収支累積黒字によって蓄積した海外資産から、今や多額の収益を受け取っていることを反映している。(195ページ)

持続可能な経常収支と変動相場制

経常収支とは、ほぼ、貿易収支、サービス収支、所得収支の合計である。経常収支は、毎年の海外からの金銭の受取であるが、その赤字幅、黒字幅が一国のGDPに対し、過度に大きくなることがないように調整しているのが、為替レートである。

日本は、恒常的に黒字国なので、為替レートが円高に推移しなければ、海外に資産が使い切れないほどにまで累積してしまう。海外資産が一方的に累積するということは、一見良いことだが、裏返せば、外国は日本に対し返しきれないほどの借金を累積しているということだから、このようなことは持続可能でない。したがって、日本人が一生懸命働いて経常黒字を貯めれば貯めるほど、円高が進行してしまう。すなわち、変動相場制は、一国の経常収支が、対GDP比で見て発散しないように、為替レートを調整しているのである。(197ページ)

このことは、円高によっていずれ日本の経常黒字が解消することを意味しない。円高は、ただそれが持続可能な水準に推移することを可能ならしめるのみである。

アジア諸国は、1997‐98年にかけて通貨の急落(アジア通貨危機)に見舞われた。これは、海外からの大規模な投資が必ずしも生産力の拡大に結びつかず、固定相場制に固執するアジア諸国が、返済できないほどの借金を重ねていると市場が判断した結果発生したものである。

変動相場制を取る国であれば、為替レートは長期的な持続可能な経常収支をサポートするように日々変化しているので、通貨危機が起こるようなことはない。反対に固定相場制を取る国では、人為的に固定されている為替レートは、経常収支を持続可能ならしめるシグナルとして機能しない。したがって、人々が何らかのニュースに基づいてその国に対する見方を変えた時、破局的な為替変動となってしまうのである。

参考文献

竹内啓(編)『統計で見る世界』(2000年、東洋経済新報社、2800円)