昨年六月に奈良県内の医師宅で起きた放火殺人をめぐる供述調書の漏えい事件で、奈良地検は当時高校一年だった医師の長男を鑑定した精神科医を刑法の秘密漏示罪で起訴し、一連の捜査を終えた。調書を引用した本の著者である女性ジャーナリストは嫌疑不十分として不起訴となった。
起訴状によると、精神科医は著者に頼まれて昨年十月に家裁から鑑定資料として預かった長男らの供述調書の写しを見せたり、精神鑑定書の写しを渡したりしたとする。
秘密漏示罪での立件は極めて異例だ。プライバシーの保護と憲法が定める表現の自由が対立する微妙な問題に捜査当局の介入はなじまない。しかも容疑を認め、逃亡や証拠隠滅の恐れもないのに逮捕に及んだのは疑問だ。情報提供者の委縮によって取材活動を制約し、国民の知る権利を損なうことになりかねない。
著者について検察は、漏えいを働きかけた「身分なき共犯」に当たるかどうか検討した。結局、公表方法で二人の認識の差が大きいことなどから共犯に当たらないとした。妥当な判断といえよう。
しかし、今回のケースは取材する側に大きな問題を投げ掛けた。調書の大幅な引用による少年や家族のプライバシー侵害が指摘される。「真相を伝え再発を防ぐため」と著者はいうが、表現の自由は少年の更生やプライバシーへの配慮が大前提だ。調書もすべてが正しいとは限らない。
情報提供者を容易に特定させてしまったのも失態だ。取材源の秘匿という取材者としての鉄則が守られなければ、信頼を損ない自ら真実への扉を閉ざすことになる。あらためて表現の自由の大切さと、責任の重さを肝に銘じなければならない。