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日本社会の崩壊(1) 救急医療制度 |
2007/11/03 |
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日本という国家がどんどん壊れていく音が聞こえるようだ。
国民皆保険制により、健康に関しては、世界の国の中でも比較的安価で標準的な医療を受けることができた。しかし今、診療報酬制度の改正によって医療費は値上げされ、特に地方では深刻な医師不足、看護士不足の傾向が強まって来ている。
最近では、大都市の東京や大阪でも、脳梗塞や心筋梗塞などの緊急性を要する急病患者が手遅れとなり、死亡したりするケースが増えている。救急車はやってきても、運ぼうとする病院から次々と受け入れを拒否されるためだ。脳梗塞や心筋梗塞などの治療技術は、それこそ日進月歩で、手当が早ければ軽症で抑えられるケースでも、医師不足によって患者に重大なマヒが残ったりするケースがあるとすれば、残念なことだ。
特に酷いのは、少子化の解決が叫ばれる日本社会で、社会全体が喜ぶべき「お産」だ。急に産気づいたり流産の徴候があった時、せっかく救急車がやってきたのに病院側から次々と拒絶され、妊婦さんが流産してしまうケースがある。大阪で昨年だったか、母子ともに亡くなってしまうような痛ましい事件があった。
これでは、政府が、いかに少子化対策と声高に叫んでも、「子どもを産むのが怖い」と若い女性が思うのは当然だろう。3年ほど前に、高野山で出産適齢期の女性がどんどん減る傾向にある、という話を聞いたことがある。高野山には産婦人科医もなく、数10km山を下った和歌山県橋本市まで運び込むことになる。そのため、高野山を降りて平地で暮らすようになっているのだ。また、生まれても、周囲には小さな子が居ない。小、中学校の生徒数もめっきり減り、親たちは教育環境の悪化を考えて、ますます少子化が進むという悪循環となっているのである。
日本では1991年、救急救命士法が施行され、国家資格として救急救命士が養成された。しかしあくまでも、この救命士は、医師の指示の下に、救急隊員の一翼を担う者であって、医師ではない。はっきり言って、現在のように肝心の病院に医師が存在しない状況では、何にもならないということだ。
問題は、この救急救命士制度と病院の医師が有機的に結び付くことによって、はじめて国民の命を預かる制度が完成するのだと思う。つまり、急病患者を救うシステムは、郵便制度同様、全国民が同一料金で公平に受けられる「ユニバーサルサービス」でなければ、意味がないのである。
例えば、東京のように各区の至るところに病院が点在しているように見える大都市がある。それでも、実際に救急車に乗せられると、病院側の受け入れ体制がないため、たらい回しのような状態になることも日常茶飯事のようだ。
いっそのこと、赤字垂れ流しの「新銀行東京」などは1日も早く清算し、都民の生命を守る意味で、都営の救急病院を各ポイントに設置し、消防庁の救急車と一体になった救急患者や救命制度を条例化でもしてみたらどうだろう。
小泉政権以降、「聖域なき財政再建」という標語が、当然のように医療界にも適用された。ユニバーサルサービスであるべき救急医療にダメージを与えたことは明白である。ユニバーサルサービスの典型だった郵便制度にも、民営化という情け容赦のない実質的な値上げが行われ、ユニバーサルサービスとしての郵便制度は、崩れつつある。医療の分野でも、同じことが起こっているということである。
(佐藤弘弥)
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