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2007年11月03日(土曜日)付

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「連立」打診―甘い誘惑にはご用心

 びっくりするような提案が、福田首相の口から飛び出した。

 きのうの小沢民主党代表との党首会談で、「政策を実現するための新体制をつくることもいいのではないか」と、連立協議を持ちかけたのだ。ライバル関係にある2大政党が連立を組む、いわゆる「大連立」の呼びかけである。

 大連立は、ドイツのメルケル政権など例がないわけではない。だが、今回の打診は多くの日本国民にとっては、キツネにつままれたような話だろう。

 両党は夏の参院選で激突し、自公連立政権が過半数割れし、民主党が初めて参院第1党に躍り出たばかりだ。遠からず行われる衆院の解散・総選挙でいよいよ政権交代が問われる。ほとんどの国民はそう思っていたはずである。

 首相にとってのメリットは明らかだ。

 テロ特措法の期限が切れ、海上自衛隊はインド洋から撤収することになった。給油再開のための新法は、民主党の反対で成立のめどがまったく立っていない。給油問題に限らず、今のままでは重要な政策が何ひとつ前に進まない。

 「政治が止まっていいのかどうか。状況を打開しなければいけない」。そう語る首相の思いは理解できないでもない。同時に、政権を握りつつ、政治を前に進められるのなら、自民党側に失うものはあまりないという計算もあろう。

 給油新法とともに、自衛隊を海外に出す際の恒久法でも合意できるなら一挙両得でもある。

 私たちは、頭から大連立を否定するつもりはない。たとえば2大政党が国政の基本的な課題で衝突し、にっちもさっちもいかないとき、打開策としてあり得るかもしれない。

 だが、いまの時点での大連立はあまりにも唐突に過ぎる。とりわけ民主党にとっては、危険な誘いというほかない。

 日本の政治には政権交代が必要だ。国民にもうひとつの選択肢を示し、総選挙で政権を奪取する――。民主党は国民にそう訴えてきた。

 それなのに、肝心の勝負をしないまま、大連立で政権入りという甘い誘惑に負けたとなれば、有権者への背信だ。民主党がこの呼びかけを拒否したのは当然で、むしろ小沢氏がただちに断らなかったのが不可解である。

 ただ、政治を停滞させないための工夫が必要だというのはその通りだ。

 今週、政治資金規正法の改正をめざす与野党6党の協議が始まった。薬害肝炎患者の治療費をどう公的に支えるかなどでも、与野党で接点を探る動きが本格化している。

 与野党が折り合える政策は進める。その一方で、どうしても基本的な考えがぶつかる政策は何か、つまり対立軸は何なのかを国会論戦を通じて国民に示す。

 いま必要なのは、そうしたメリハリのある与野党関係ではないのか。談合のような「大連立」話はききたくない。

調書流出起訴―これを前例にさせるな

 昨年6月、奈良県で16歳の少年が自宅に放火し、母親ら3人が焼死した。この事件を題材にした単行本をめぐり、少年の精神鑑定をした医師が秘密漏示罪で起訴された。少年らの供述調書を単行本の筆者に見せたというのである。

 奈良地検は医師を逮捕し、筆者の元少年鑑別所法務教官からも事情聴取をしてきた。医師は筆者から頼まれ、供述調書を見せたことを認めた。調書を見せた理由について、医師は「少年に明確な殺意があったわけではないことを社会に訴えたかった」と話している。

 医師の起訴は直接的には、正当な理由がないのに職務上知り得た秘密を漏らしたという罪である。

 しかし、問題の本質はそこにあるのではない。単行本がどのくらい少年の更生を妨げ、プライバシーを侵害しているのか。それに対し、報道の自由はどこまで許されるのか。そうした微妙な問題が根底にあるのだ。

 奈良地検の捜査に対し、私たちはこれまで社説で、こうした報道の自由がからむ問題について捜査当局は介入すべきではない、と主張してきた。少年のプライバシーと報道の自由が対立するような問題では、解決は民事訴訟に委ねるべきだと述べてきた。

 奈良地検が医師の起訴にまで踏み切ったのは、残念というほかない。

 医師の起訴には、取材協力者やメディアを萎縮(いしゅく)させ、報道の自由、ひいては国民の知る権利を脅かしかねない危うさがある。この事件をきっかけに、報道や表現の自由に捜査当局がなし崩し的に介入するようなことがあってはならない。そのことを改めて指摘しておきたい。

 今回の捜査の背景には、出版直後に法相が調書の流出経路の調査を指示するなど、政治家の動きがあった。こうしたことが今後も起きないか気がかりだ。

 今回の事件では、メディアもいくつかの問題を突きつけられた。

 単行本はほとんどが少年や父親らの供述調書の引用だった。調書には少年の成育歴や父親の暴力が細かく載っている。いわばプライバシーの塊だ。少年の今後の人生のことを考えると、入手した調書をそのまま掲載すべきだったのか。

 もうひとつの問題は、取材源を守れなかったことだ。奈良地検は少年と父親の告訴を受けて捜査に乗り出した。単行本での調書や資料の使われ方から取材源が突き止められたようだ。それが結果的には医師の逮捕・起訴につながった。

 出版元の講談社は「出版・報道に対する権力の介入を引き起こしてしまった社会的責任を痛感している」として、社外の第三者も加わる調査委員会を設け、単行本出版のいきさつなどを検証する。

 少年の更生、プライバシーの保護と取材、表現の自由。こうした二つの価値がぶつかりあう問題をどうするのか。今回の逮捕・起訴を前例とさせないためにも、改めて真剣に考えていきたい。

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