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after game over

2007-10-16

[]ある個人史の終焉

 初めて今の妻を、買ったばかりのおんぼろドイツ車に乗せてデートにいったのは、8年と5ヶ月前の5月24日のことだ。誕生日を指定して誘った乾坤一擲の賭けは見事にかわされて、「その日は友達と遊びに行くから」という答えを受け取った22歳の僕は、横に座ってうどんをすすっている女の子には、今ちゃんと彼氏がいるんだなということが直観的にわかった。親しくない男友達に誘われたデートに、「友達と遊びに行く」と応えるときのその「友達」は、僕の経験上降水確率よりもよほど精度の高いパーセンテージ95%で、彼氏である。果たして僕の想像はすぐに彼女からの「相談」という形で露呈し、僕は内心のウルトラがっかりをおくびにも出さず、とりあえず玉砕戦法は諦めて、「いい相談役」路線に切り替えることに決めたのだった。下策である。名軍師諸葛孔明にそう怒られそうだが、この際仕方が無い。諦めて僕は彼女の「いい友達」ポジションを狙った。ともかく、繋がった生命線を切らぬようにしなきゃいけない。とりあえず僕はそう決断する。誕生日はあきらめ、その数日後に「デート」にもならぬお出かけをするので我慢しておこう、僕は自分にそう言い聞かせたのだった。

 せっかちということでは、誰よりもせっかちで、脈が無いとわかると5秒で諦める性格の僕が、こんなにも彼女に拘泥したのは、一般教養の授業でたまたま横に座った、学科も違う彼女を見た瞬間に、僕はこの子と結婚するのだと思い込んだからであって、その確信と電撃をいわば神話へと変えるために、22歳の僕は自己変革を成さねばならぬと堅く信じたのだった。思えば青い、向こう見ずな思い込みだった。それから7ヶ月もの間相談役をつとめ、貞淑な「友達」として、手にさえ触れることなく過ごした日々の後に、突然振ってわいたように彼女の上に落ちてきた破局を、天与の贈り物と解釈した僕は、ここぞとばかりに封じ込めていた「男」としての役割を前面に押し出して、彼女と僕は出会ってから7ヶ月、ようやく付き合うことになった。僕は大学四年生で、彼女はまだ大学二年生だった。

 付き合い始めてからの時間は長いようで短かったように思う。紆余曲折はあった。僕は激しく、彼女は穏やかで、僕は言葉が多く、彼女はいつも寡黙だった。You say yes, I say no, You say stop, I say go go go.と歌ったミュージシャンがいた。まさに僕らはそんなカップルで、僕はいつも猪突猛進して激しく壊れ、泣きながら彼女に助けを求めた。そんな僕をいささか冷ややかな目で見つめる彼女は、それでも最後には僕のその向こう見ずな馬鹿さを「あなただったら仕方がないわ」と、横浜出身の綺麗なイントネーションの標準語で慰め、僕はその言葉の空中を漂うような重力の無い軽さに、救われたものだ。徐々にかつての意固地な思い込み「俺はこの子と結婚する」という自己暗示は、いつのまにか自然な目標になっていて、気づいたときに僕らは自然に結婚を口にした。プロポーズもないし、劇的な告白もなかった。ただ思い出すのは、あの11月の雨の日、はじめて彼女にキスをして、これから二人が付き合うことを、神聖なる雨の神ネプチューンの臨席の元に誓い合ったときに、「僕は君と結婚するよ」と冗談交じりに彼女に言って、それを聞いた彼女が声を出さないでにこにこ笑っていた、あのときのことを思い出す。「なあ、初めてキスしたとき、結婚するっていうたの、おぼえてっか?」と僕が言うと、彼女は「さあ、どう思う?」とあの時と同じ表情でにこにこ笑ってそう返し、僕はそれを見て、もう何も言わなくてもいいかと安心した。両家族に祝福されて僕らが結婚したのは、ほんの半年前のことだ。

 結婚前に、一つだけ、お互いの両親にも言っていなかったことがあった。それは僕と彼女だけが知る秘密。一度、彼女に例のローテーションが来ないときがあった。付き合い始めて数年した頃だったと思う。結婚もせず、その時はまだ収入の無い院生だった僕はパニックになって、珍しくうろたえる彼女と一緒に産婦人科に駆け込んだが、結局陰性。病院を出るとき、彼女にしこたま腹を殴られて、僕はインドネシアのゴム生産にこれからもっと貢献することを固く誓ったのだが、ここまでならよくある話。誰もが経験する、恋愛話のうんたらかんたら。後から笑える、酒飲み話。でも、一つだけ違う要素が、そこに紛れ込んでいた。ついでに、というのも変だが、彼女の体のことを調べた結果、彼女には卵子を排出する能力が著しく低いことが判明した。アレが来なかったのも、ある意味ではそのせい。医者は僕ら二人を前にしてデリケートに言った。「若い女の子にはよくあることだけど、ストレスでなる場合が多い。少しずつ治療していけば、いつか治るかもしれないから」。でも、そんなのは多分この診察室で百億回も繰り返した慰めの言葉であるのは、彼女にも僕にもよくわかっていた。帰りのバスの中で、彼女は僕の方を見ないでこう言った。「あかちゃんうめないって、なんかさびしいね」。長く住んだせいで徐々に関西弁が浸透していたこの頃の彼女の言葉から、慣れ親しんだ怪しげなイントネーションが消えて、びっくりするほどにうつろな標準語が隣に座っている女の子からするすると流れてきたとき、僕は自分の無力を知った。だから僕は何も言えずに、ただ彼女の肩をぽんぽんとたたいた。

 結婚前と結婚後、同棲期間が長かったせいで、生活は何一つ変わらない。定期的な診断に行っているらしい彼女は、僕にもう「病院に行ってきた」とも言うこともなくなり、「フニンチリョー」という言葉も虚しく響くようになっていた。それはもう、朝ご飯を食べて夜寝ることの、あの結果を伴わない偉大なルーティーンの中へと綺麗に組み込まれていて、特別な効果が出るようには思えなかった。僕も彼女に、他にもっと効果的な手法を試せ、なんて求めることはしなかった。多分、そういうことではないのだろうから。それに、彼女が欲しがっていた子供を、僕は別にそれほど欲しいとは思わなかったからだ。子供?実感さえわかない。僕の遺伝子?そりゃ、かわいそうだ。そんな風に思っていたくらい。

 彼女と付き合って、かれこれもう8年以上の月日が経っているのだが、僕と彼女の間には奇妙な協定が結ばれていて、車で迎えに行くときは必ず僕の方からそれを申し出るというのがそれ。彼女は、決して僕に「迎えに来い」という要求をしないのだ。熱で38度もあるのに、外せない仕事のために外に出て行って、そのくせ携帯を家に置き忘れたものだから、僕が「迎えに行こうか?」と提案も出来ずにもじもじと心配していた時も、結局彼女は自分の足で帰ってきて、そのまま部屋に倒れこんだくらいだった。自分から「迎えに来て」といわない彼女が、初めて僕に、「悪いけど、車で迎えに来てくれる?」と頼んだのは昨日のことで、僕はそれが人生におけるなんらかの転換点であることを予感した。到着すると彼女は寒そうにお腹をさすってバス停近くに立っていて、僕はそこにすべりこませるように車を止めると、彼女はさっと車の中に入り、僕はアクセルをタイミングよく踏み込んだ。いつもならすぐに何か言い出す彼女が、何も言わずにかばんの中をごそごそと探って、見つかったものを僕に渡す。自分の子宮の中を取った写真、そして、赤い手帳。「5週目だって」というと、いつも冷静で僕の前では泣くことさえしない彼女が、泣き出した。



 まだ生まれていない君へ。僕にはまだ君の父親になる覚悟は出来ていない。多分君は生まれてこないだろうと、僕は諦めていたんだろうと思う。怒ってくれていい、まるで望んでもいなかったような言い方をする僕を、いつかしっかり怒ってくれ。こんなことが起こるなんて思ってもいなかったから、僕は何一つ自分の中に「父親像」というものを意識していなかった。子供としての自分、友達としての自分、学生としての自分、社会人としての自分、先輩としての自分、後輩としての自分、教師としての自分、恋人としての自分、夫としての自分。そんないくつもの自分を何十回も検証していく中で、どういうわけか一度も「父親としての自分」を考えてこなかった。許して欲しい。だけど、これだけは覚えておいてほしいんだ。僕は、君が生まれてくることが本当に嬉しい。君の母さんが、僕の横で、前の車の助手席に座った人間が振り返ってみるほどに、マンガのキャラクターみたいに、わんわんと涙を散らして泣いたあの日、僕の心は驚くほどの安心と喜びに満たされていて、僕は言葉に出来ぬ感謝を君に感じた。君の母親と、そして僕を幸福な気分にしてくれた君に。

 正直なところ、君に対して僕は、「この世界は素敵なところだよ」なんて、100%邪気のない笑顔で言うことができない。日一日とこの世界はひどい場所になっていて、君が大人になる頃には僕らの世界は本当に何もかもが終わってしまった、地獄のような場所になっているのかもしれない。生きるということが、楽しかったとばかり思えないのも、また事実だ。時にうんざりするくらいに、生きるということはしんどい。君に対して、僕は「人生」という最も重い荷物を、本当に無責任に差し上げてしまうのかもしれない。それでも君にはわかってほしいと思う。僕ら二人は、この世界での使命を終えて、ようやく最後の安息に入っていくその瞬間まで、絶えることなく永遠に君の味方であるということを。僕ら二人はいつも君の側に立っているということを。世界が全て敵に回ったとしても、彼女と僕だけは永遠に君を守り続ける。僕は今まで、自分以外の人間のことを考えたことがなかった。僕が彼女のことを考えるときも、僕にとっての彼女という形でしか考えてこなかった。僕は傲慢で、意固地で、いやらしい人間だ。だがあの瞬間、彼女が自分の体の中の写真を見せた瞬間、僕は自分の人生が終わったことを理解した。僕の人生は、もう僕のものではない。僕はようやく、僕というこの重荷を放り出していいということを理解した。僕の命は、君のためにある。そして彼女の命もまた、君のためにある。

 いつかもし、分かり合えないでお互いの頬を殴りあうときが来るのかもしれない。今日の様な思いもまた、砂に消える愛の文字の様に、儚く忘れされられる運命にあるのかもしれない。それもまた、人生ということの、生きるということのつらさだ。家族さえ時に敵意を感じ、憎しみあうこともある。それが僕らだけに起こりえないと、どうしてわかるだろう?だが、これだけは、これだけは信じて欲しい。今のこの瞬間の僕の想いを、僕は死ぬときに必ず思い出すだろう。僕にとって人生で最初にして、そして多分最後の、最も高い場所に行き着けたあの日の気持ちのことを思い出して、僕はどんな死に方をしたとしても、安心して死んでいける。僕はもう悔いが無いし、生まれて初めてこの世の中に生まれてよかったと思う。こんなにしんどくて、こんなにつらいこの世界の中に生まれたことの素晴らしさを、僕は初めて君のために感じることが出来るんだ。僕はだから、万感の想いをこめて、こう君に言いたい。

 ありがとう、そして、君と出会う日を楽しみに。