土曜解説

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土曜解説:医療事故調査委の創設=社会部・清水健二

 ◇遺族の信頼獲得、不可欠

 高まる医療不信の解消に向け、厚生労働省が医療死亡事故の原因や過失の有無を判断する新組織「医療事故調査委員会」(仮称)を10年度にも発足させる。死因究明の第三者機関の創設は、医療現場の閉鎖性に苦しめられてきた医療事故被害者の長年の願いだったが、先月公表された試案からは刑事訴追を避けたい医師側や、医師不足対策に結びつけたい厚労省の思惑も透けて見える。被害者側の信頼が得られなければ、理念倒れに終わる危うさも潜んでいる。

 これまで、被害者側が医療事故の真相解明に取れる選択肢は、(1)病院に調査を求める(2)民事訴訟を起こす(3)警察に告訴状や被害届を出す--の3通りだった。

 しかし(1)は病院ごとに調査や公開の方法がまちまちで、紛争解決につながらないことが多い。(2)は時間と費用の負担が大きいうえ、最高裁の統計では判決で遺族側が勝訴する確率は約4割にとどまる。(3)の手段に訴えても、不起訴なら被害者は何も分からず、組織の管理責任には踏み込みにくい欠点もあった。

 こうした問題を解決する切り札として期待されるのが、公正な立場で死因分析や診療内容の評価を下す事故調だ。届け出の義務化▽報告書の公開▽調査結果の民事裁判や捜査への利用容認--といった制度の骨格は、被害者に立ちはだかる医療機関の隠ぺい体質や紛争解決の長期化の打破につながる。医師個人の責任追及だけでなく、医療機関全体のシステムエラーにも切り込めれば、同様の事故の再発防止にも役立つだろう。

 だが、事故調は被害者側への利点だけを考えて制度設計されたわけではない。導入を急いだのは、むしろ厚労省や医師側だった。きっかけとなったのは、06年2月に福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕された事件だ。

 この医師は手術中に妊婦を失血死させ、警察への通報も怠ったとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた。医師会や学会は「救命できなければ逮捕されるのなら、難しい手術や高度な医療はできなくなる」と強く反発した。厚労省も警察の介入が産科医不足に拍車をかけるのではないかと危機感を強めた。

 本来は日本内科学会が05年9月から始めたモデル事業の終了を待って検討するはずだった第三者機関の議論は、この事件を機に大幅に前倒しされた。今年4月に設けられた厚労省の検討会では、医師側から「捜査は故意の事案に限るべきだ」などと、刑事訴追に批判的な意見が相次いだ。

 事故調の運用で欠かせないのが、遺族の同意と人材の確保だ。死因究明には遺体の病理解剖が必要で、日本の法体系では遺族の同意が前提になる。新組織が遺族の願いに応えられる中立性・透明性と高い調査能力を持たないと、解剖の同意が得られず、実績は上がらない。認知度が高まらなければ、専門家の参加協力が得られず、さらに遺族の信頼を失うという悪循環に陥りかねない。

 被害者救済よりも、ミスを犯した医師を警察や司法の追及から守る側面が目立つようでは、医療不信はかえって強まる。新制度を看板倒れにしないために、厚労省は医療ミスを繰り返す「リピーター医師」の積極的な行政処分など、事故調の取り組みを目に見える形で医療の質の向上につなげる責務がある。

毎日新聞 2007年11月3日 東京朝刊

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