スピッツや平井堅さんら日本を代表するアーティストのプロデューサーを務め、自身も「東京事変」のベーシストとして活動する亀田誠治さん(43)が、一流のクリエーターがその経験を語る「劇的3時間SHOW」に出演、満員の観衆の中でアーティストとしての思いを語った。その亀田さんにクリエーターへの道のりを語ってもらった。【西村綾乃】
亀田さんがプロになりたいと思ったのは中学時代。「卒業文集に『10年後、武道館で会おうぜ』と書いた。23歳で大学を卒業して、いまでいうフリーターみたいな感じになって。周囲の先輩や後輩がプロになっていく中、気持ちばかりせいて歯車がまとまっていなかった」と振り返る。
24歳のとき、三浦理恵子さんらが所属していたアイドルグループ「CoCo」の曲を書いたことをきっかけに、アレンジも手がけるチャンスが訪れる。「その時、僕のことを見ていてくれる人に対し、全力で頑張っていこう。自分が表舞台に立つのではなく、音楽の全ての行程にかかわっていこう」と決意した。
同じころ、シンガーソングライターの崎谷健次郎さんから「明日からツアーがあって、5弦ベースを弾ける奏者を探しているんだけど」と連絡を受ける。それまで5弦ベースを触ったことがなかった亀田さんだが、その日のうちに渋谷の楽器店で5弦ベースを買い、リハーサルに臨んだ。
「『出来ない』『無理』という言葉は使わない。20代の半ばに、ジュリア・ロバーツさんがテレビで『自分に出来ない役がオファーされたらどうする?』という問いに『Just fake it(出来るフリをする)』と答えていたのですが、それを見て、俺の中で『これだ!!』と鐘が鳴ったんです」。
今回の講演依頼を受けたのも、「迷っている若者に無駄な時間を使わせたくないから」という。「最前線の現場で何が起こっているのかを理解していない人達の薄っぺらいアドバイスによって、回り道したり、思い悩むのはもったいない。言葉のパワーによって導かれたときの安心感を伝えたいんです」と熱く語る。
好きな言葉は「一期一会」。一緒に作品を作り上げる人たちと、最高の時間を共有するために、毎朝5時半には目を覚まし、そのまま都心の仕事場に直行。午前中に執筆作業や、レコーディングに必要な準備を済ませ、心が澄んだ状態で新しい作業に臨むという。「失敗を恐れることは全くない。失敗をしないように準備を万端に。制作現場ではいろいろなことが起きる。自分が大変な時は周囲も大変だと考え、怒らず、イラつかず、平常心でさい配を振るいたい」。
冷静な仕事ぶりは「亀田マジック」などと称されるが、「一人でマジックを起こしているわけじゃない」といい、「クリエーティブなことは一人ではできない。アーティスト、レコーディングエンジニア、スタッフとアイデアを出し合って積み上げるからクリエーティブなものになる。いまの社会では、理由がないと動けない人が多かったり、失敗を怖がる人が多いけど、方向性通りに進むことは少ない。困難が起きたときは、頭で悩まず、まず行動して欲しい」と思いを込める。
亀田さんは11月4日、これまでプロデュースを手がけたスガシカオさん、Charaさん、風味堂のほか、藤井フミヤさん、奥田民生さんらと共に「Your Songs,Our Songs」のステージに立つ。チケットも既に完売という人気だ。「予期せぬアーティスト同士が、えっあの歌を?!っていう意外なステージをみせたい。アーティスト同士をつないでいきたい」と意気込む。
亀田さんはクリエーターを目指す人たちに、「いろいろな機会を見つけて、力のある言葉を投げかけていきたい。僕の言葉を現場で聞くことができないときは、同じ分量のエネルギーを自分の作品に注ぎ込んでいるので、僕の作品を聞いてみて下さい。どれも一点の曇りないと自信があります」とメッセージを送った。
<亀田誠治 プロフィル>
かめだ・せいじ。64年、米・ニューヨーク生まれ。89年頃よりアレンジャー・プロデューサーとして始動する。98年に椎名林檎のデビューアルバム「無罪モラトリアム」、00に「勝訴ストリップ」をプロデュース。これまでスピッツ、平井堅、アンジェラ・アキ、175R、秦基博らを手がけた。東京事変のベーシストとしても活動中。
2007年10月29日